パラレルワールドを追いかけて 4





ACT 4 女神を我が手に!



「さあて、行くか、エミを取り戻しに、さ!」
「いいのか?」
カイルは、エア・モービルにまたがったダリスへ話しかける。
「いいのさ。元々このアジトは捨てるつもりだった。ただ、それが少しばかり早くなっただけの話さ。それよりも」
ダリスはヘルメットを被りながら、
「ミューゲの能力は、分かるか?」
「ああ。瞬間転移と空中浮揚。その二つだ」
「どうして断言できる?」
彼女と同じようにヘルメットを被り、手袋をはめながら、カイルもまた、エア・モービルへまたがる。
「最初の攻撃は、俺達を引きつけるためのもの。俺のように念動力を持っていたなら、あんなに派手に攻撃してこない。
そうやって、『囮』へ俺達の目を引きつけている間に、ミューゲは侵入して、エミをさらう手はずだったんじゃないか」
「…なるほどね」
その答えに軽く頷いて、ダリスは出発の命令を下した。
「まずは、ルート177号の洞窟まで。そこからは地下を通る」
「おい!」
ダリスの言葉に、しかしカイルは顔を青ざめさせる。
「ルート177号っつったら、ひょっとして」
「アンタと私がいるんだから、あそこは現時点で1番安全とも言えるだろ? ま、少々汗はかくかもしれんが」
にやりと笑って、ダリスは言った。
「期待してる。よろしく頼むよ」
「あのな」
軽口を叩き合いながら、二人はエア・モービルを発進させた。少し遅れて、他のモービルも一斉に音を立てる。
…今も少し、炎のはぜる音がするミネルバのアジト。
その近くの砂の上では、十字の柱に磔にされたロブが、腫らした顔をがくりと俯けて、ひとり取り残されていた。



(…いやー…これはすごいなあ)
あのとき、自分の腕をつかんでいた兵士が向けた銃から、白い煙が吐き出されて、それを吸いこんで
自分は意識を失った…はずだ。
そして気づいたら、どこかの豪華な部屋の中だった。口をあんぐり開けたまま、ベッドからのそのそと這い出して、
辺りをぐるりと見回してみる。
窓にも別に鍵はかかっていない。観音開きのその扉を思いきり開け放つと、ミネルバのそれとはまた違う、
森林特有の緑の匂いが流れてきて、恵美は思わず目を閉じ、深呼吸をしていた。
少し冷たい空気が、頬に心地よい。 どうやら冬ではないらしい。
(ムーザ、なんだろうなあ。ここが)
部屋は、自分の下宿の何倍の広さだろうか。
足元にはふかふかの絨毯が敷いてあるし、天井からは豪華なシャンデリアが下がっている。
…夜。
(あれからどのくらい経ったんだろ)
不思議なことに、恐怖感は全くない。これが平和ボケした日本人の性なのだろうか。
中天にさしかかった満月が、眩しいくらいに光っている。彼女は窓の半分を閉め、部屋の扉へ歩き出した。
途端に、
「おっと! お腹、空きませんか?」
「えと…ミューゲ?」
「はい」
扉がこちらへ向かって勝手に開き、あのときの少年が、微笑みながらワゴンを押してくる。
その上に乗せられている、雑誌でしか見たことの無いような美味しそうな料理を見て、恵美のお腹ははしたなくも音を立てた。
「空いてますね」
「うん」
我知らず、顔に血が昇る。ミューゲはクスクス笑いながら、部屋の中央に置いてある大きな円形テーブルへ、手ずから
その皿を並べ出した。
「あ、ごめん」
「いいですよ…いいのに」
慌てて手伝おうとする恵美へ、しかしミューゲは反って慌てたらしい。これも顔を真赤にしながら、
それでも恵美のするままに任せている。
「これだけ?」
「いえ、お代わりもあります」
「お代わりだなんて」
手近な椅子に座って、恵美はますます顔を赤くしたが、
「一緒に食べよう、ね?」
「え? だけど僕は」
取り澄ましたその顔が、恵美の言葉で、いかにもあどけない子供のそれへ変わる。
「あれ? もう食べちゃった?」
「いえ、僕もまだ」
「じゃあ、一緒に食べよ」
「…はい」
戸惑いながら、彼は恵美と向かい合った椅子へ座る。
「美味しいねー、嬉しい」
「貴方という人は」
手近な皿の上の肉をひときれ、口に入れた恵美の第一声に、とうとうミューゲは吹き出した。
「貴方は、僕の虜囚なんですよ? なのに」
「あれ? 『お客』じゃないの?」
「えっ…それは」
またしても意表を突く彼女の言葉に、思わずミューゲはフォークを取り落とした。
「…どうして、そう思えるんですか」
「だって、貴方が悪い子だとは思えないから」
「……」
ミューゲは、無言で恵美の顔を見つめた。お世辞で言っているとも思えない。まして、助かりたいために
こちらの機嫌を取っているとも到底思えない、にこにこと微笑んでいる優しい瞳を。
「美味しいねー、ああ、幸せ」
恵美は、しかしそんな彼の心の中に無頓着で、目の前のお皿を次々と綺麗にしていく。
…なんだか楽しいな。
父が殺されて以来、ずっと忘れていたそんな感覚を思い出して、彼も無意識に微笑んでいた。
それは、習い性になった、自分を守るための笑みではない。
「あの…お代わり、あるんだよね?」
「あ、はい」
恵美が恥ずかしそうに、おずおずと話しかけた言葉へ我に返って、ミューゲは手を叩く。
やってきたメイドらしき女性へ、その旨を告げる彼へ、恵美は
「お金持ちなんだねー」
「ええ、まあ」
なんとも率直な言葉を口に出す。苦笑しながら、彼はずっと心の中にあったしこりが、
少しずつ溶けていくのを感じていた。
「お母さんとか、いないの? あ、ごめん」
食後のデザートへ手をつけながら、恵美は何気なく言った。ミューゲが一瞬だけその顔を強張らせたので、慌てて謝っている。
「父は…本当の父では無かったけど…カイルに殺されました。
母は…知りません。姉がどこかにいると聞いたことがありますが、それも」
「ご、ごめん! 本当にごめん」
「そんなにも謝らなくてもいいですよ」
また『自分を守るための笑み』が、口元に浮かんでいる。それを意識しながら、
「僕は、だから、父の仇を取るためだけに生きているんです」
「…哀しいね」
恵美は、自分のほうこそ今にも泣き出しそうな顔をして、椅子から立ち上がり、
「憎しみは…だけど、何も生まないよ」
「え」
ミューゲがかけている椅子の側へ体をかがめ、彼の小さな片手を両手でそっとつつんだ。
「私の国では、ずっと戦争が無かった。だから、平和ボケした日本人…民族の戯言だと思うなら、
それでもいい。だけど、哀しいよ」
「……」
「憎しみは、何も生まない。カイルだって、決して喜んで貴方のお父さんを殺したわけじゃない…今、
彼は1番忠実であろうとした人から追われてる」
「だけど…だけど」
「可哀相だね。みんな」
恵美は、そっと彼の小さな体を抱き締めた。一瞬、びくりと動いたミューゲは、されるがままになっている。
「…泣いているのですか」
自分の額に降ってきた暖かい雨に驚いて、彼は顔を上げた。
恵美はこくりと頷いて、
「ね、無くそうよ、こんな哀しいことを。ダリスさんだって、カイルだって、貴方だって…。
一人の力は小さいかもしれないけど、皆でなら、きっと、この世界を変えられる」
ミューゲの小さな両手が、恵美の服をぎゅっとつかむ。
そのまま眠ってしまったらしい小さな体をそっと抱きかかえて、恵美はベッドへ横たえた。
「お休み」
そしてそっと耳元へ囁いて、自分もその横で眠りにつく。確かな力で握り返してくる小さな手を離さないように。



一方、どこかの地下洞窟では、
「ああもう、うるさい!」
ダリスが金髪を振り乱して、列の最後尾から怒鳴っていた。
「もっと静かに殺りな!」
「仕方ねえだろ!」
最前列から、カイルが怒鳴り返している。
ただでさえ物音が反響するこの場所で、ニーズホッグの上げる断末魔の悲鳴が、とてつもなく大きく聞こえるのだ。
「俺ばっかり酷使しやがって」
ニーズホッグの生息場所である。しかし、ダリスの言葉を借りれば、ムーザヘ行く通路は、この
ルート177号が「ある意味1番安全」だとは言える。無論、普通の人間なら当然一人で通ることなど思いも寄らない。
アーシーズの血を持つカイルとダリスがいるからこそ、他の兵士たちもそれを信じてついてきているのだ。
「もう何匹目だよ? しつこいヤツらだぜ」
「はいはい、もうすぐ着くさ。しばらく行ったら、道が二股に分かれてる。そこを左に曲がれば、
『ミューゲの泉』近くの洞窟に着く」
「はいよ」
ニーズホッグの粘液で、持っている剣はベトベトだ。
(ああ、気持ち悪りい)
握っている剣の柄を、カイルは履いていたズボンの右側で拭った。
「…ん?」
「やばいな。『主』か」
上げた顔を険しくして、カイルとダリスはあたりを見回す。他の兵士たちには感じ取れない、かすかなその気配を敏感に悟り、
「この先にはもうヤツらはいない。お前達は先へいけ」
ダリスはムーザへと通じる穴の方へ、顎をしゃくって部下たちを促した。
彼らの背後から、静かに、確実にその気配は近づいてくる。部下たちがひそやかに進んでいくその後をふさぐ格好で、
カイルとダリスは穴の前に立った。
「…でかいな」
「だね」
カイルは右手に生じさせた力を剣へ移し、ダリスは懐から出した小さな充電器をレールガンへ補給した。
やがて、巨大なニーズホッグが、その全貌をはっきりと二人の前に現す。
「うわ、でかすぎ!」
「参ったな、畜生」
その大きな口からヨダレを垂れ流し、『主』は彼らへ食いつこうとする。
紙一重でそれを交わすと、避けた後に大きな穴が出来る。
「固い! くそっ!」
カイルがその背中に飛び移り、剣を突き刺そうとするが、あまりの皮の分厚さに、剣が折れて飛んだ。
「やばい! 逃げたほうがいい!」
ダリスの叫びに、
「賛成!」
カイルも叫び返して、『主』ニーズホッグの背中から飛び降りる。しかし、ムーザへの洞窟へかけこもうとしたとき、
それを察してか、『主』は、太いその尻尾で穴をふさいだ。
「…やるじゃん」
「低能の癖にな」
顔を見合わせてにやりと笑う二人に、しかし『主』は容赦の無い攻撃を繰り返す。
「やばいかも」
「だな」
二人が肩で息をしていると、
「大丈夫ですか!」
新たな声が響き、光につつまれた小さな人影が、二人の腕をしっかりとつかんだ。
「ミューゲ!?」
「大丈夫ですか?」
カイルが驚いて叫ぶのへ、現れたミューゲはにこりと微笑み返し、
「僕の家へ案内します。どうぞ」
彼の『力』であるところの転移能力を使って、その場を脱出したのである。


…そうじゃないのだ。ただ自分の居場所が欲しかっただけ。地上へ降りてきた星、そのひとつが自分なのだとわかっている。
戻れと言った「母」の手を振りきって一人、戦火の渦巻く中で
どうやって生きてきたのか、それすら覚えていない。地上で生きる『人』に憧れて、憧れるあまり、空で輝く星という
立場を捨てて、気づいたら、自分は『帝都』の主。
望んでこうなったわけではない。ただ、人としての自分の居場所、確たる居場所が欲しかった。
誰かに、「ここに存在(い)てもいいのだ」と言われたかった。
だが、人として生きる自分に、この世界はあまりにも厳しく…。
「…そうか」
ディオは椅子をきしませながら、部下の報告を聞いている。
「逃げられた、か」
「いえ! 今、セルゲイが懸命にアジト跡を探索しています。必ずや何らかの手がかりが」
「では、手がかりを得たなら報告しに来れば良い」
うるさげに手を振って、ディオは椅子ごとくるりと後ろを向いた。
報告しに来た部下は、そそくさと部屋を去っていく。
…ミネルバへ進攻した帝国軍は、燃えているそのアジトを発見して大半が虚しく引き上げてきたのだ。
(敵ながら、見事)
思わず口の周りに笑みが浮かぶ。背後で、クランツがまだ、何か言いたげに立っているが、
これも一礼して部屋を去っていった。
(楽しんでいるのか?と問われれば、そうだと答えるだろう)
帝都の空は、いつもどこか色あせている。昔からこうだったのか、それとも…。
(カイル…彼を手に入れれば、私は完全な存在になれるはず)
ディオは立ちあがり、バルコニーから外を眺めた。
(そうすれば、このような迷いが生じることなど無い。
この世にただ一つの私の半身。手に入れられたなら)
この心の隙間も埋まるのだろうか。
少しだけ伏せられたその顔の、その表面を覆う仮面からはしかし、彼の表情を窺い知ることはやはり出来ない…。



ミネルバのアジトは、今も燃えている。
そしてセルゲイは、舌打ちをしながら、アジト跡を探索していた。
たかが地方の小首領のアジトだとバカにしていたが、これがどうして立派なものだと、しぶしぶではあるが認めながら。
じりじりと焼けつくような、砂漠独特の太陽の光の下で、セルゲイは、いまいましげに瓦礫を蹴飛ばしながら、入り口とは
ちょうど反対側の、ちょっとした広場のようになっている場所へ出た。
…誰かが磔にされている。
眉をしかめながらその正面へ回ってみると、
(ロブ!?)
彼の父方の従弟…やはりその父も、ミネルバの情報を帝都へ流していたという噂のある…が、
血まみれの顔をがくりとうつ伏せにして、磔にされていたのである。
呆れたようにため息をつきながら、それでもセルゲイは、ロブを救出すべく、彼を縛り付けている縄を解き始める。
(まだ蘇生させられるようなら、なんらかの情報が引き出せる)
…それに出世への道につながるかもしれない。
脳裏に夢を描いてほくそえみながら、セルゲイは従弟の縄を解き続けた。



「…さて」
ガチャリ、と音をさせて、小さな人影が彼らへ銃を構えた。
ムーザの針葉樹林の中である。ミネルバのそれとは打って変わった爽やかな風が、彼らの頬を撫でていく。
「…こちらへ」
銃を油断なくかまえ、カイルとダリスへつきつけて、歩くように促して、ミューゲは二人の前を歩いていく。
「処刑されるのか?」
「…かもね」
「黙って歩いてください」
カイルとダリスの軽口へ、むっとしたように振り返ってミューゲが命令した。
「…貴方たちの処分は」
ミューゲは、再び前方を見た。
「あの兵士たちとも合わせて、僕が下します」
つられてカイルとダリスも前方を見る。先へやったはずのミネルバ兵士たちが、やはり同じように周りを囲まれて、
銃をつきつけられながら地面に座っている。
「これじゃ逃げられないな」
「だねえ」
ミネルバ兵士たちが人質に取られている。
まさか二人だけで逃げ出すわけにはいかないし、何よりも恵美を救出する目的で来たのだから、
「大人しくしてますよ」
「それでいいんです」
肩をすくめながら言ったカイルへ、少しだけ苦笑を浮かべてミューゲは答えた。
「…さて」
「お前の家…だったな?」
「いちいちうるさい人ですね」
今度ははっきりと苦笑しながら、ミューゲはカイルとダリスもまた、地面へ座るように促す。
どっしりと落ち着いた、大きな屋敷である。噴水が左手前に見える芝生の上に、彼らは座らされた。
「改めて見てもでかい屋敷だな。お前ん家、ホント金持ちなんだ」
カイルはあくまでも冗談口を崩さない。そこへ、
「カイル! ダリスさん!」
ムーザの兵士に抑えられながら、屋敷の大きな扉を開けて、恵美が姿を現した。
「…使えない部下だな」
「全くで」
カイルの言葉に、ミューゲは苦笑を崩せない。
「では、処分を下します」
言いながら、さいぜんから持っていた銃を、改めてカイルとダリスヘつきつける。
「ミューゲ! だめ!」
恵美の悲鳴とともに、静かな森林を奮わせるような音が響いた。
「…これで、貴方たちへの僕の処分は終わりです」
やがて聞こえてきたミューゲの声に、恵美がおそるおそる顔を覆っていた両手を下ろすと、
「なんだ…殺さないのか? 俺はお前の父親を」
「いいんです」
カイルとミューゲが、静かな、哀しい顔でお互いを見ている。弾丸は、カイルの頬をかすめたらしい。
その頬から小さな赤い筋がつ、と流れては落ちていく。
それを拭いもせず、
「殺せよ…俺はお前になら殺されてもいいんだぜ?」
カイルはは哀しい、優しい目でミューゲを見上げた。
「父は…言っていました」
ミューゲは、静かな笑みをその口元にたたえ、構えていた銃をベルトにしまいながら、
「帝国からきっと、自分を暗殺するための人間が来る。だが、その人を恨むな、と。本当の敵は…帝国なのだと。
それに僕は」
その大きな目から、ころりと涙をこぼす。
「…僕は、貴方という人をこの目で見てしまった。貴方は、あのとき、僕が思ったような貴方じゃない。
だから…僕には殺せません」
「ミューゲ」
「貴方が帝国に追われているというのなら」
そしてカイルが差し出した手を握り、立ちあがるのへ手を貸しながら、
「僕も及ばずながら、協力させていただきます」
…その日、ムーザの森を、歓呼の声が揺るがした。
その模様を、森の陰からこっそりと覗いている人物に気づいたものは、誰もいない。



(ったく、相変わらず使えねえヤツ)
これも相変わらず舌打ちをしながら、帝都救護センターの廊下をセルゲイが歩いている。
もう真夜中である。
いつも曇っている帝都の空には珍しく、丸い月がくっきりと空へ浮かんでいる。
(ほんっと、「ボコ殴り」にされてやがんの)
唇が切れて、体のあちこちに青いというよりドス黒い痣を作っているロブを思い浮かべ、彼はぶるぶると頭を振った。
…一命は取りとめて、従弟である彼が語ったのは、
・カイルが現れて、ダリスと手を結んだこと。
・自分を『私刑』した後、ニーズホッグの洞窟を使ってムーザへ行ったらしいこと。
・地母神シーダ、そしてユーリと同じ顔をした少女もまた、ムーザにいるかもしれないこと。
そして今、帝都からの間諜の一人が、ムーザへ潜入している。
(だけど、こんなチンケな報告じゃ出世させられない、って顔してたよな、ディオ)
どうやらセルゲイにとっては、ロブが助かったことよりも、自分の出世のほうが余程大事らしい。
(これでムーザへ俺が行ってりゃ、ちょっとは違ったかもしれないけど)
…有り得ない。
フン、と鼻を鳴らして、セルゲイは少しだけ人をバカにしたような笑みをその口元へ浮かべ、
救護センターの自動ドアから外へ出た。
(潜入して、もしも自分が殺られちまったら元も子もねえもんな)
…月はやはり、そんな人の営みなど知らぬ気に、辺りを照らしている。



その月の恩恵は、ムーザにも及ぶ。
「これ、月光草。月の光で育つんだ」
「へえ?」
歓迎の食事と、これからのことを話し合うための準備をするから、というので
ミューゲは屋敷のどこかへ引っ込み、ダリスもまた、シャワーを浴びにあてがわれた一室へ向かっていった。
「カイル。シャワー、しないの?」
「メシ食ってから。それにさ」
恵美の居室とされている部屋のベランダで二人。並んで月の光を浴びながら、カイルは恵美へ笑いかけた。
「無事で会えたから…もう少し、エミの側にいたい」
「え…えーと。うん、そうだ!」
カイルの言葉に、我知らず顔を赤らめた恵美だったが、
「あのとき、ミューゲに『お前になら殺されてもいい』って言ったよね?」
「あ? まあ」
「そしたら、私を元の世界へ帰すっていう、あの言葉は? 果たさないつもりだったの、ねえ?」
頬を膨らませ、カイルへ激しく詰め寄った。
「違うさ。…でも、万が一俺がいなくなっても、ミューゲがいるだろ」
「ええ?」
ヘドモドしながら、カイルは恵美をなだめるように、両手を挙げる。
「あいつなら、俺よかずっと頭がいいし、きっとエミがあの世界へ帰る方法も見つけるとも思ってたし…あ、もちろん!」
思わずゲンコツを振り上げたエミの手を受け止めて、カイルは真剣な眼差しで彼女の顔を見つめた。
「…本当にどうしようもなくなったら、エミを連れて逃げるつもりだったさ。だって、俺は」
「…俺は?」
部屋の外では、いつの間にか、ダリスがそっと盗み聞きをしている。ちょうど通りかかったミューゲが
声をかけようとしたのへ、慌ててその口をふさぎ、羽交い締めにした。
…中の二人は、その様子に気づきもせずに、話し続けているようだ。
「…俺は、何? その続きは?」
「俺は…その」
カイルの顔が、真っ赤になっている。恵美がますます顔を近づけるのへ比例して、その度合いも増しているようだ。
「俺は」
カイルが決心したように話しかけたとき、扉が勢い良く開いて外からダリスとミューゲが転がり込んできた。
「お前ら!」
顔を真赤にしたまま、カイルは叫ぶ。やっとダリスの手を振り解いたミュ−ゲは、カイルの前を素通りして、
ベランダへ立った。
「ミネルバ、ムーザ、両兵士諸君、そしてそれぞれの民よ!」
そして、呆気に取られているカイルと恵美を尻目に、彼はいきなり演説を始めたのである。
「我々は、今、はっきりと帝都へ叛意を示した!」
ミューゲの屋敷に入りきれずに野営していた兵士たち、そして市民達が何事かとミューゲを見上げる。
「しかし、ゼノン大帝ディオが、我らが地母神、シーダを手にしている限り、大義名分はあくまでも
ゼノンにある。これを如何にすべきか!?」
「おいおい、熱すぎるんじゃないか?」
ダリスが苦笑混じりに、後ろから声をかける。だが、ミューゲは素知らぬ風で、
「我々も、新しい女神を擁立する必要がある! 我々にとっての女神、それは」
と、まだ呆然としている恵美の手をとり、自分の側へ引き寄せた。
「異世界よりシーダによって招かれた、エミ=アリサカ。彼女だ!」
…とたんに、兵士や市民達の間から歓呼の喚きが湧きあがる。
「となれば、帝都に祭られているシーダはもはやぬけがら。我々は、新しいシーダ、エミとともに、
堂々と帝都へ乗りこむのだ!」
ミューゲは叫び終え、拳を突き上げた。同じように、兵士や市民達も拳を突き上げ、シーダとエミの名を交互に
叫び始める。
「おらぁ、ミューゲ! てめえ!」
カイルがミューゲへ飛びかかろうとするのを、ダリスが苦笑しながら羽交い締めにしている。
それをしれっとした顔で見つめ返し、
「はい、これでエミは貴方の側にいられるでしょう? 僕達も守ってあげられる。
帝都へ着くまで、頑張りましょうね。あ、それから」
ミューゲは片手で彼の胸をぽん、と叩いて食事へと向かいかけ、くるりと振り向いた。
「『女性を口説くなら、ピンクのバラの花束』ですっけ?」
…あくまでしれっとそう言い放つ彼の背後で、やはりカイルは苦笑しているダリスに抱きとめられている…。





「そうか。それでよい」
月は、はや中天にさしかかっている。
…眠らない街、ゼノン。
いつもは夜毎の歓楽で賑やかなその都市も、今は厳戒態勢を敷いているので別な意味で慌しい。
ディオは、ムーザから戻ってきた間諜の報告に、初めて満足したように、椅子へ深く腰掛けた。
「…その娘を奪え」
「は」
そばに控えているクランツが、セルゲイが、同時にちらりと自分の顔を見る。
だが、それに構わず、ディオは仮面の下で顔を歪めながら、自分の前に膝をついている間諜を見下ろした。
「ロブの報告。そして君からの報告。それを考え合わせると、
その…エミとかいう娘、それはこちらの手の中にいるほうこそが相応しい。早急に、彼らの手から奪い取れ」
…新しい我が贄(にえ)。
自分の心の隙間が何故あるのか、はっきりとは分からぬままだが、ひょっとしたらその娘こそが、
それを埋める存在なのかもしれない。
ユーリと同じように…愛していた女性を、完全に自分のものにするにはこれしかない。
歪めた口の周りに笑みが浮かぶ。ディオは心のどこかで、「淡い期待だ」と呟く自分を意識的に頭の片隅へ追いやって、
「奪い取って…私の前へ連れて来い。シーダに生き写しとのその娘。本当にその噂通りか、私が自ら確かめてくれよう」
「は」
出ていく間諜を見送り、ディオはクランツとセルゲイにも、
「…その娘がここへ来れば、カイル達もほどなく来よう。迎撃の準備を」
その顔を見ず、それだけをつげて、椅子を回転させ、彼らに背を向けた。
(カイルも、必ず来る)
…彼と、そしてその娘。二つながら手に入れれば、やっと私は、この心の隙間を埋めることが出来るかもしれぬ。
そのまま、ガラス張りの大きな窓から外を見る風情のディオへ、クランツとセルゲイは一礼し、司令室を後にした。



「…じゃ、俺、一度着替えてきますんで」
部屋の扉を閉め、足早に通信室へ急ぐクランツへ、セルゲイが如才なく話しかける。
クランツはちろりとそれを見たきり、足を緩めない。
セルゲイが一礼して近くの扉を閉めるのを気配で感じ取り、反って足を速めた。
(戒厳令を発動させなければなるまい)
ゼノン政府にとって、前代未聞の敵が少なくとも3人。これが帝都へ向かってくるとなると、
おそらくは自分の予想を越えた、最悪の事態が発生する。
壁の非常召集ボタンを押し、通信室の扉を勢い良く開け、何事かと緊張した顔で彼を見つめる部下たちへ、
「…戒厳令を発動させろ。間もなく戦時下に入る。帝都内の全ての要員、兵士たちを集め、戦闘に備えるよう、伝えよ」
クランツはなるべく己の感情を抑えるべく、努力した声でそう告げた。
「はいっ!」
たちまち、部下たちはコンピューターへ向き直り、彼の命令を忠実に発動すべく、行動を開始する。
(…ディオよ)
その様子を見ながら、クランツはデスクの間を通りぬけ、長年彼が愛用してきた長官用の机の側へ立った。
(これが、貴方の目指してきた帝都の在り方か。…ミシェイルと同じだ)
力でもって、各国を抑えてきたあの国と。
あの国の圧政から逃れた人々は、彼らを解放してくれた「英雄」ディオを歓呼でもって迎え入れた。
まだその頃は、地方都市に過ぎなかったゼノンで、クランツが密かに組織していた「解放軍」。
それを率いていくためには、何かが足りないと思っていた矢先のことだった。
どこからやってきたのか知らない。だが、ディオはその『力』でもって、その名の『力(ディオ)』の通り、
ゼノン解放軍に勝利をもたらしたのだ。自然、ディオは解放軍の旗頭として推挙されるようになる。
そして民衆は歓呼に沸いた。いよいよ民中心の、新たな時代がやって来る、と。
だが。
(ディオが望んでいたのは、そんなことではなかったのだな)
ゼノンの民のみならず、この世界の民全てが熱狂して、彼を迎え入れた。解放軍の旗頭になったころから被っていた仮面は、
さらにその孤独を増したようで。
(貴方が本当に望むところは、所詮俺などには分からない。だが)
黄昏近く、空に黒い雲がたれこめている空を見上げ、クランツはほろ苦い微笑でもって自分へ言い聞かせる。
(俺はどこまでもディオについていくのだ)
それが、たった一人、仮面の下の顔を見せてくれるほどにクランツを信頼してくれているディオへ彼が出来る、
たった一つのことなのだと。



ゼノンから見えるのと同じ夕暮れを見つめながら、
恵美は呆然としたまま、ミューゲ邸のバルコニーの手すりに両手をついて、口を開けていた。
(…なんでこんなことになったんだろう)
昨日の興奮が未だ冷めやらない、といった風情で、眼下の兵士たちは、時折恵美を見上げては手をふる。
何気に手を振り返しかけては、はっと気づく。今朝目覚めたときからそれの繰り返しで、半日が過ぎた。
(私は…女神なんかじゃない。普通の女子大生なのに)
…女神の代わりになどなれるはずがない。おまけに、
(ユーリさんの代わり…なのかな、私は)
いつの間にか、恵美の心の中にそのことが、彼女自身が驚くほどに重くのしかかってきている。
(私は、私なんだよ。シーダにもユーリさんにもなれないんだよ)
似ている、と話には散々聞かされているが、実際には会った事もないのだと、彼女は口から大きく息を吸いこんで、
鼻からそれを出した。
今日も打ち合わせだとかで、あの3人は今朝からずっと、司令室になったミューゲ邸の広間にこもりっきりになっている。
自分には軍の動かし方なんて分からない。それに何よりその場の空気が苦しくて、
恵美はそっと居間を抜け出し、自室としてあてがわれた部屋へ戻ったのだ。
だが、独りになったそのことで、反って思考はとりとめもなく沈んでいくようで、先刻からため息ばかりついている
自分に気づき、ふと彼女は苦笑する。
(帝都って、どんなところなんだろう。ディオって、どんな人なんだろう)
そこへ行けば、彼に会えば、自分の世界へ帰る糸口がつかめるのだろうか。だが、帰ってしまえば、
(もう彼とはこれきり会えなくなるんだ)
そう考えた自分にも、そう考えて胸を痛めた自分にも驚きながら、恵美はやはり、自分へ手を振ってくる
兵士たちへおずおずとその手を振り返すのだ。
木立からもれてくる、兵士たちがかざしているたいまつの光が美しい。
暮れなずむムーザの森は、気がつけば、その懐に闇をつつんで彼女に迫ってきていた。
(…みんな、心配するよね。そろそろ戻ろう)
くよくよ考えても仕方がない。今、自分で出来ることを探そうと、恵美は自分へ言い聞かせ、バルコニーへ背を向けた。
が、
「…ロブ!?」
その目の前に、ミネルバへ置き去りにしてきたと聞かされていた彼が立ちふさがった。
「…やあ、久しぶり」
照れたような、泣きたいような、そんな顔で、ロブは恵美へ、おずおずと片手をあげる。
「どうして? あの、ダリスさ…ダリスやカイルにボコ殴りにされたって聞いたけど、大丈夫だったの?
ダリスには許してもらえたの?」
「ここへは、帝都から、携帯転送装置を使ってきた…ごめんね」
矢継ぎ早に自分を案じる言葉を紡ぐ少女へ、しかしロブは泣きそうな顔のまま、後ろを振り返る。
「…セルゲイ、頼む」
「アンタがエミか? こりゃまた…どうも、お見知りおきを」
「あなたは?」
ロブの後ろへ、やはり突如姿を現した男は、馴れ馴れしく恵美へ近づいてくる。
思わず警戒して後ずさりをする彼女の肩へ、遠慮無く手を伸ばしながら、
「ロブのオヤジさんのアニキの息子。つまり、ロブの父方の従兄で、
セルゲイっていいます。このたびは」
小狡そうな笑みを口の端に浮かべた。
「ディオの命令で、アンタを『お迎え』に来ました」
「なっ…カイル!!」
助けを呼びかけた恵美の口を、湿った布切れが覆う。
「…ロブ…どうして?」
口の中でもごもごと呟くように言ったかと思うと、そのままクナクナと力を失って、人形のようにセルゲイに
もたれかかった恵美を見つめるロブへ、
「さ、とっととズラかるぜ? お前も俺も、これで出世は思いのまま、ってヤツだ」
セルゲイは恵美を担ぎ上げ、にやりと笑い、顎で指図する。
それに答える形で、ロブが腰につけていた携帯転送装置を頭上へかざした瞬間、
「エミ! どうした…セルゲイ!?」
叫びを聞きつけて駆けてきたカイルとダリスが、彼らの姿を見て思わず立ちすくむ。
「悪いな、カイル。この女のコはもらった。お前には」
そしてカイルとダリスの足の間を駆け抜けようとしたミューゲへ、レーザー銃をつきつけて、
セルゲイは小バカにしたように言い放つ。
「重ね重ね、感謝してるんだぜ? これからもせいぜい、俺らの出世のタネになってくれよな、あばよ!」
転送装置から発生した光が、セルゲイ、ロブ、恵美をつつむ。
「ロブ! アンタ、そこまで腐ってたのか! バカ野郎!」
ダリスの叫びに、ロブはちらりと彼女を見て、つ、と目をそらす。そのまま彼らは光につつまれ、姿を消した。
「悔しいなら、泣くな」
彼らの姿が消えた後、一生懸命目をこすっているミューゲの肩へそっと片手を置き、カイルは拳を握り締めた。
「こっちから出向いて行って、必ずエミを取り戻してやるさ!」
「そうだな。泣いてる場合じゃないぞ?」
ダリスも、優しい顔をして膝をつき、ミューゲの頭をなでながらその顔を覗きこむ。
ミューゲが恥ずかしそうに、にこりと笑って頷くのを見て、
「帝都へ侵攻だ! 予定より早いけど、皆、頼む!」
カイルはバルコニーへ出て、叫んだ。
「ディオのヤツを、ぶっちめてやろうじゃないか!」
その声に、兵士たちの吶喊が答える。
テラ歴200×年、夏の終わり。
ここに、ミネルバ・ムーザ連合軍は、帝都ゼノンへ向かって侵攻を開始した。



…続く。

MAINへ ☆TOPへ