Re-production E



3 緑の襲撃

続けざまに起きた「人の死」と「得体の知れないもの」の発見。眠れないと思っていたのに、
(あれ?)
言われるまま、寝袋に潜り込んで目を閉じていると、いつの間にか眠っていたらしい。
気がつけば辺りはすっかり明るくなっていて、
「真紀子さん」
「おはよう」
美佐が起き上がると、研究室の前の「広場」では、真紀子が顔をしかめながら肩の治療を受けていた。
「ごめんなさい」
「…ふふ。だから、気にしないでって言ってるじゃないの。ああいう場合、民間人が咄嗟に避けられる
なんてこと、出来ないもの。ね?」
近づいていって顔を伏せる美佐へ、真紀子は笑う。胸が露になるぎりぎりの位置までめくり上げた
シャツの下で、白い包帯が何とも痛々しい。
「熱とか出ません?」
「大丈夫。解熱剤と鎮静剤、打ってもらってるから。これでも軍人よ? 鍛えてるんだから、
心配しないで。右手は使えるし、銃だっていつでも撃てるわ」
「ありがとうございます」
美佐が頭を下げると、真紀子はその右手で彼女の頭を軽く二つ叩いた。
「今日もキツいわよ? 覚悟は出来てる?」
「はい」
今日も変わらず太陽は登る。
連日のスコールで林のなかに篭った蒸気がたちまち辺りに立ち込めて、
「じくじくしませんか?」
「ちょっと、ね」
負傷した隊員たちをヘリの調査へ向かわせるように指示している真紀子へ美佐が尋ねると、
彼女は片目をキュッとつぶって答えた。
「だけど、思ったよりは傷は浅いらしいわ。七針縫うだけですんだもの」
「七針…」
(かなり痛いんじゃないのかな)
「はいはい、気にしない気にしない。消毒がちょっとウザいけどね」
呆然と呟く美佐の肩を叩いて、
「この際だから、日野先生が行きたがっておられたところに行ってしまいましょうよ、ね。
美佐ちゃんの前でナンだけど、あの先生、どこか子供みたいなところがおありだったから」
「そうですね」
言う真紀子へ、美佐も苦笑して頷く。真紀子は恐らく、山川の日記にあった「旧日本軍の研究室」
とやらのことを想像しているに違いない。
「だから、もう一度日記を見せて。パソコンも」
「はい」
美佐が大学ノートを広げると、真紀子がそれへ頭を寄せる。すると田垣が寄ってきて、
「ヘリの救助要請及び、この場からの撤退準備、終了しました。いつでも出発できます」
言いながら、これもノートを覗き込んだ。
旧日本軍研究室に関する山川の記事は、
『先生は時々、散歩と称して数時間いなくなる。どうやら研究室を探しているらしく、
地元の人が僕にくれた古い地図がちょくちょく消えていることがあり…』
のようなものや、
『先生がこのところ何か嬉しそうなので、おかしいと思っていたが、とうとう近々「引っ越す」
と言い出した。どうやらお目当ての物を探し当てたらしい。言い出したら聞かない先生の事
だから、恐らく引っ越すことになるのだろうが』
などというようなものがあり、それらを三人が目で追っていると、めくったノートの間から
紙切れがはらりと落ちた。
「…地図、ですかね」
素早くかがんでその紙切れを拾い上げた田垣は、黄色く変色したそれを広げて呟く。
スペイン語でかかれたそれは端のあちこちが擦り切れていて、なんともいえない色あせ具合が
その年月を物語っていた。
「スキャンして、パソコンへ保存して頂戴。いいわね、美佐ちゃん」
「はい」
田垣から地図らしきその紙切れを受け取り、一瞥して、真紀子は美佐へそれを渡す。
「その作業が終わったら、そこへ向かいましょう。直線距離にするとどれくらいかしら」
田垣がデジカメでそれを撮ったものを、美佐がパソコンへつなぐ。その作業の合間も、
研究室の外で、残った自衛隊員たちが銃を構えながら辺りを徘徊している。
「…直線距離だと、3キロくらいなんですけど」
ヘリが爆発してしまったため、負傷した和田隊員の『遺体』は、布をかけられた状態でまだ
研究室の床へ横たえられたままだ。極力それから目を逸らすようにしながら、
「ちょっとした丘みたいになっていて、沼も越えないといけないみたいです」
その紙切れの地図と、現在の地形状況を見比べつつ、美佐は答える。
「沼…に出ると、少しは安全かしら」
すると真紀子が、大きく息を吐きながら、
「とにかく、見通しのいい場所に着くまでは休めない、と思っていたほうがいいわね。
もしも…」
「…はい」
パソコンを閉じて、自分の顔を神妙に見上げる美佐へ、
「もしも村田さんや和田さんを襲ったものが同じものだとしたら、反光合成するんでしょう。
つまりは夜行性…だったら、夜は動くべきではない…彼らに意志というものがあるのかは分からないし、
どういうつもりで動く生き物へ攻撃を仕掛けてくるのかも分からないけど、あれが普通の植物とは違って、
夜に行動することは間違いない。まずは日野先生に会って、詳細を問いただすことが第一だわ」
「はい」
真紀子が言うことについては、美佐も全く異論はない。
父は一体、どういうつもりでこのような「生き物」を作ったのか。どのようにして培養していたか、そして
どういった研究をしていたのかということを考え、突き詰めていくと、結局全てはそこに
帰結するのだ。
(お父さん)
インフルエンザの薬に耐性を持つ患者のための薬を開発する。それが当初の目的だったはずなのに、
(一体何が起こったの)
父の顔を思い浮かべながら、美佐は思わず俯いた。視界に飛び込んできた粗末な研究室の木の床が
たちまちぼやけて見えて、
「行きましょう」
真紀子が、その動く右手でそっと美佐の手を取りながら言うのへ、
(…山川君…会えるよね、きっと。泣いてる場合じゃないって)
力なく頷き、彼女もまた荷物を背負って歩き始めたのである。
「結構蛇行してるから、実際の道のりにしたらその倍くらいでしょうねえ」
歩き出してほんの十分くらいで、もう汗は沸く。道なき道を遮る蔓や植物をナイフで切りながら
先頭を歩く田垣が、手の甲で思い切り汗を拭いながら振り向いた。
「しかし、参ったな。ちょっと心細いかも」
そして、苦笑する。ヘリの爆発によって負傷した隊員は、総員のほぼ半数にのぼり、比較的怪我の軽い者を
入れても、今、美佐や真紀子と一緒に歩いている隊員たちは十名にも満たない。
そういう田垣も、ヘリの小さな鉄片が手の甲を掠めたらしい。彼の左の手に白い包帯が巻かれているのを、
目を細めながら美佐は見つめた。
美佐と真紀子を除いて、ほぼ全員がショットガンと火炎放射器の両方を担いでいる。道がいつも
ぬかるんでいるせいもあってか、行軍は遅々として進まなかった。
「ヘビや毒グモのが、よっぽど敵としてはマシと思えてきますねえ」
「確かにね」
やがて太陽は中天に昇った。美佐と並んで歩いている真紀子は、田垣が話しかけると少し苦しそうに
息を吐きながら苦笑する。
「…一尉。この地図が正確だとしたら、もう少しで沼に出ますから。そこでちょっと休みましょうや」
「真紀子さん、しっかり」
田垣の意外な優しい言葉と、美佐の励ましの双方へ、真紀子は黙って頷いた。
出発してから、かれこれ二時間が経とうとしている。病院に入院して、動かずに手当てを受けている
わけではなく、美佐を護る、その一念で体をずっと動かしているのだから、いくら鎮痛剤や解熱剤を打った所で
すぐに効果は消えてしまうに違いない。
それを見かねて、美佐は無理に真紀子の右腕を取り、自分の肩へ回した。
「…ありがとう。ごめんなさいね、貴女を護るためにいるのに、逆に貴女に助けてもらうなんて…ブザマだわ」
「そんなこと!」
額に、暑いせいとはまた違う汗をじっとりとにじませて真紀子が苦笑するのへ、美佐は首を振る。
「まだまだ何が起きるのか分からないでしょ? だったら自衛隊だから民間人だからって関係なく、
協力し合わないと」
「ほんと、その通りね。ありがとう」
「早くお父さんが見つかってくれたら、それが一番手っ取り早いんでしょうけど」
「あらあら」
そして二人は顔を見合わせ、クスクス笑った。
そこへ突然密林が途切れて、沼が現れる。
「…一尉の傷を診てくれ。解熱剤と鎮痛剤!」
美佐の肩から真紀子を奪い取るように抱え上げ、田垣は沼のほとりの岩へ彼女を座らせた。
心得た風に隊員が二名、その側へ駆け寄って早速『処置』を始める。
「…ここまでで、やっとこ半分だぜ」
密林が途切れると、太陽は再び容赦なく彼らを照らす。片手を目の上へかざして空を見上げながら、
田垣は美佐へ話しかけてきた。
「あと三キロか。ちょうど俺の家から最寄の駅くらいまでの距離だが、慎重に進まねえと…
ってことで、旧日本軍の研究室まで、上手く進んで夕暮れだろうよ」
「上手く行かなかった場合は?」
「そうだなあ。ま、決まってんだろうよ」
そこで田垣はまた、小ばかにしたように鼻から息を漏らし、美佐を見る。
「密林の中でテントを張ることになって、また誰かがやられるわけだ。その誰かは、お嬢さんかもしれねえぜ?」
「…はい。そうかもしれません」
「おいおい、半分以上、ジョーダンのつもりだったのによ」
美佐が真に受けて頷くので、てっきり彼女がムキになると思っていた田垣は、少し驚いたらしい。
「そんなことさせたら、俺らのセキニンモンダイってやつになるからな。いざとなったら俺が守ってやるって」
「いえ…そういうことじゃないんです」
「あん?」
「上手く言えないんだけど…そうなってもいいかなって、覚悟は決めてますから。だってもしも
父が原因であんなものが出来たのなら、その責任を取るのは娘の私の役目ですし」
「…やれやれ。参っちまったね」
すると田垣はまた呆れたように肩をすくめ、自分の足元においてあった大きなリュックサックの口を
開けたかと思うと、
「ま、食え。どっちにしても腹にモノを入れて、いつでもいざとなりゃ自力で逃げられるくらいの体力は
保っておいてくれ」
「あ…」
美佐へ彼が差し出したのは、ラップに包んだオープンサンドだった。
「田垣さんが作ったんですか?」
「ま、な。腐るようなモンは入れてない。アンチョビが入れてあるから、携帯食にも使えると思って」
「…わあ…すごい。ありがとう、いただきます」
「そんな大したモンじゃねえよ。一尉だって、こんくらいはちゃちゃっと作っちまうんだから」
美佐が礼を言うと、田垣は少し頬を膨らませて言う。どうやら照れているらしい。
(意外だなあ)
頼りにはなるかもしれないが、カッコつけで、邪険で…そういった彼のイメージが、少しだけ
良くなったような気がして、美佐は思わずニコニコしながら彼を見た。すると田垣は美佐から
ぷいと頬を背けてしまう。その横顔は、彼女と同年代の若者の、いかにも、なそれで、
(山川君とはまた違うけど、同じだよね)
「美味しいです!」
「そっか。まあ…メシが美味く食えるんなら、まだ大丈夫だな」
サンドイッチを口にした美佐が思わず言うと、田垣もまた嬉しそうに頷いた。
「…お? 無線」
その時、彼の胸ポケットからかすかな音がして、
「はい、こちら田垣…どうぞ」
そこから取り出した携帯へ向かった田垣の顔は、しかし瞬時に引きしまる。
「どうしたんですか?」
尋ねる美佐に「ちょっと待て」と言った風に片手を挙げ、
「一尉! ヘリが墜落した原因が判明しました!」
田垣は、ちょうど手当てが終わったらしい真紀子へ向かって叫んだ。
「報告して! そこからでいいから」
「はっ!」
(どうしたんだろう)
田垣の緊張した顔と、生色の戻った真紀子の顔を美佐が見比べていると、
「ヘリの尾翼部及びエンジン動力部に、溶解した痕跡あり。ヘリの残骸に残っていた、
溶解液と思しきもの、色は緑。成分分析のための液体採取は、採取用器具も溶けるため
現時点では不能。調査中、夜間に隊員が二名、正体不明の何者かに右手及び
左足を溶かされ負傷。その二名は現在、船において治療中」
「…ヘリはまだ? 呼んだなら、そのヘリに隊員と医薬品の補充も要請して」
「はっ!」
険しい顔で真紀子がした命令を、これも緊張しきった顔で田垣が受ける。
真紀子は言い終えると、大きく息を吐いて右手で左肩を抑えた。それを見ながら、
(お父さん)
美佐もまた、大きく息を吐いて身震いする。

…to be continued.


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