Re-production D



「どっちにしても、このまんまじゃ分析すらできないんじゃねえの?」
すくんでしまった美佐へ近づいて、田垣はからかい半分、侮蔑半分の笑みを口元に浮かべた。
「教授センセイがどうやってアレを扱ってたのか知らないけどさ。ビンを開けたら
飛び掛ってくるなんてさ。お嬢さん、アンタってほんと、悪運が強いよな」
「…」
言われて、美佐は唇を少し噛み締め、俯く。確かにあの時、実際に「動く植物」の被害を受けて
命を落としていたのは彼女かもしれないからだ。
同時に、和田というあの隊員の倒れた姿を思い出してしまって、彼女はノートを開いたまま、
思わずぶるりと体を震わせた。
「田垣さん」
「あん?」
彼女につかつかと近づいて、刺さったナイフをぐいっと引き抜いた彼は、美佐が話しかけると
そのナイフを二、三度振って腰のベルトへ戻す。
そんな彼を見ながら、
「田垣さん、は…平気なんですか?」
「んなわけねえだろ? これでも自分に『水になれ』って必死で言い聞かせてんのさ」
「水?」
「冷静になれ、ってこと。いつでも頭を冷やしておけってことだよ」
「そう…そう、ですよね。ごめんなさい」
ノートを閉じて、美佐はぺこりと頭を下げる。既に二名の犠牲者を出しているのに、他の自衛隊員には
全く動揺している気配が見えないので、さすがは軍人だと思っていたのだが、
「俺らだって人間だしな。人間相手ならともかく、あんな気味悪いブツとかが相手じゃ、
どう対策を練っていいやら」
田垣がそう言うのも無理はないだろう。
「植物相手なら火。燃やすかブった切る。それが一番だと思うんだが、結構素早く動いたしな。
ま、最初に村田をやったヤツはアレじゃないかもしれないし、別モンかもしれねえけど」
「…はい」
「だから」
そこで、田垣はぐっと美佐へ近づいたかと思うと、
「ひっ!」
再び大きな音を立てて、美佐の頭上へナイフを突き立てた。
「…お嬢さんは、今来てるヘリと一緒に大使館へ戻んな。ま、言っても聞かないだろうけどさ」
彼がそう言いながらナイフを引き抜くと、今度はその刃に大きなクモが突き刺さっている。
「忠告はしたぜ? 俺らについてくんなら、自分の身は、可能な限り自分で守れ」
「…はい」
「一応、後続のヘリももう一台、こっちに向かうように要請はしてある。だから、もしも
それに乗るんならのれ。アンタの自由だ」
「ありがとうございます!」
美佐が頭を下げると、田垣は忌々しげに「フン」と鼻を鳴らして彼女の側から去っていく。
いつの間にか、また周囲は薄暗くなっていて、自衛隊員たちが研究室の前で火を焚いている。
そっちへ向かっていった田垣は、ナイフをその火へ無造作にかざして突き刺さったクモを焼いた。
たちまちそれは火に焼かれて、ナイフからぼろぼろと剥がれ落ちていく。
「美佐ちゃん。こっちへ。そんなところにいつまでも独りでいちゃだめよ」
「はぁい」
なんとなくそれを見ていた美佐を、火のそばから真紀子が呼んだ。美佐が走り寄っていくと、
「インスタントだし、食欲は無いかもしれないけど、とにかく何か胃に入れておきなさい」
「ありがとうございます」
渡されたアルミの容器を押し頂くようにして受け取り、美佐は真紀子の側へ腰を下ろした。
火の明かり引き寄せられて集まってきた大きな蛾や、名も知らない夜行性の虫たちが、焼かれては
消えていくのを見つめながら、
「お父さんは…お父さんが、アレを作ったんでしょうか」
美佐が尋ねると、
「美佐ちゃんはどう思う?」
真紀子は逆に尋ね返してくる。火を囲んだ彼女らの周りを、田垣を含む自衛隊員たちが銃を構えつつ
警戒していて、
「…お父さんなら、やったかもしれません。そういう技術を持っている人ですから」
彼女の側を通り過ぎた田垣が、一瞬、ぴくりと体を震わせた。美佐は続けて、
「瓶の中の液体は、あれを育てるための培養液でしょう。お父さんがもしも『無事に』あれを
培養していたなら…もしもあれの中に、タミフル耐性患者さんにも効く成分が入っているなら、
お父さんがそれをなんとか抽出しようと考えないわけがありませんから」
「そうね」
すると真紀子は頷いて、
「私もそう思うわ。ひょっとしたら、教授があれを培養し始めた頃にはまだ、あれは成長しきって
いなかったのかもしれない。だから、あんな風に素早く動くことも無くて」
「はい」
「気付いてた?」
すっと顔を引き締め、彼女は美佐を見る。
「大きな瓶、内側から割られたみたいなものもいくらかあったってこと」
「…え…」
「中の培養液も、ほとんどなくなっていた。あれが先生の開発した成果だとしたら、私も分析して
みたいところだけれど」
驚く美佐へ、真紀子は苦笑して、
「…滅ぼすべきものでしょうね」
「はい」
美佐もそこで大きく頷いた。あれを外に出してはいけない、そのことだけは分かる。
緑色をしているのだから、密林や森林に紛れてしまえば、ちょっと見ただけではそれだと分からないのだ。
近づいていく人間が、たちまち被害にあってしまうことは想像に難くない。
一番最初に村田隊員の足を溶かした「もの」とはまた別かもしれないが、
「でも、お父さんはあれを育てていました。ちゃんとビンを開けられていたってことですよね」
「そうね」
「…一体どうやって」
呟くように美佐が言うと、真紀子は大きくため息を着いて首を振った。
「とにかく、暗くなってからの移動は余計に危険だわ。あまり気は進まないけど、今夜は
この研究室に泊まるしかないでしょうね」
彼女にとっても予想外のハプニングに違いない。少し疲れたような顔をして真紀子が言うのへ、
「はい」
美佐も神妙に頷いた。

その深夜である。
(蒸し暑いなあ)
密林のこととて、当然ながらシャワーを浴びるなどという贅沢は出来ない。水も貴重だからというので
ほぼ全員がシャツに簡易ズボンの上から水を浴びるという「行水」で、
(体がベトベトしてる)
その上に何者かによる自衛隊員二人の惨殺、そして得体の知れない「何か」を父が培養していたという発見は、
美佐を容易に眠らせてはくれない。
寝袋は、片付けられた研究室の床へのべられている。その中央からむっくりと起き上がって、
美佐はふと周りに目をやった。
警戒のために研究室周囲に焚かれている火の明かりは、真っ暗な周囲から浮き上がっているようで、
その明かりの中で時々、見回っている自衛隊員の姿がうっすらと見える。
(少しでも眠っておかなきゃ)
覚えず大きなため息を着いた時、部屋の片隅で小さく音がしたような気がして、美佐は何気なく
そちらへ上半身をひねった。
暗がりでよく見えないが、そこから何かがあわ立つような音と、ガラスが割れるようなピキピキといった
音が同時に響いてきており、
「…真紀子さん!!」
思わず美佐が叫ぶと、彼女の周りで眠っていた自衛隊員が一斉に跳ね起きて、外で警戒していた隊員たちも
駆け寄ってくる。
「どうしたの!?」
ついさっきまで美佐の隣で寝息を立てていた真紀子が、素早く彼女の側へ近づいて尋ねる。
それへ美佐が、
「あれ…」
指差して答えると、懐中電灯の明かりがそちらへ向けられた。
「あ…!」
懐中電灯の震える輪の中で、それはぼうっと浮かび上がる。
培養液の入った大きな瓶。とうに腐っているのだろう液体が激しくかき回されて、内側からその瓶の
表面にヒビが入り始めていた。
しかしそれは、
「もっとよく照らせ! それから、火の用意!」
田垣の合図で7つばかりの懐中電灯に照らされると、なぜかその動きを潜めた。
「なんで…さっきまで」
「真紀子さん」
呆然と呟く真紀子へ、美佐は意外に冷静な表情で、
「一度、懐中電灯を消してみてもらえませんか」
「美佐ちゃん!?」
「一瞬だけ。一瞬だけでいいんです」
「…消して」
美佐が真剣に言うのへ、真紀子は頷いた。そして明かりが消されると、再びガラスの割れる音と
液体のあわ立つ音が、今度ははっきりと聞こえてくる。
研究室の外で焚かれている火の乏しい明かりの中で、確かに瓶の中の何かは息づいていて、
外へ出ようとしているのが確かめられた。
「いいです、懐中電灯をつけてください。早くこれに向けて!」
美佐が言うと再び懐中電灯はそれへ向けられ、その場所だけが真昼のような明るさになる。
明かりを向けられると、瓶は再び静かになった。
「…強いて言うなら反光合成(アンチひかりごうせい)ですね。暗いところで増殖するんでしょう」
美佐が大きく息を吐きながら言うと、
「ええ? でもそれって、あり得ることなの?」
「あり得ないわけではないんです。どこで読んだのかは忘れたけど、ずっと昔、どこかの砂漠の
墓場で発見されたコケが例として挙げられていた文献のことを覚えてますから。だけど」
信じられないといった風に真紀子は首を振っている。それは他の自衛隊員も同様で、そんな彼らに
苦笑しながら、
「私も実際に見たのはこれが初めてです」
「…明かりを当てていればいいのね?」
「はい」
これまでの常識では考えられないことだけど、などと言いながら、それでも真紀子は美佐の言葉を
信じたらしい。たちまち予備用の大型懐中電灯までもが、一斉にそれらの瓶を照らす。
「でないと、私達が襲われてしまうでしょう」
「そうですね」
真紀子と美佐が苦笑して顔を見合わせたとき、
「あ…ヘリが!」
田垣が叫ぶ。どうやら彼が呼んだ後続のヘリが到着したらしい。密林上空すれすれに、こちらへ
向かって飛んでくるヘリコプターを見上げて、
「美佐ちゃん、貴女はもうお帰りなさい。これ以上は危険だわ」
真紀子が言った途端、辺りを揺るがすような爆発音が響いた。
「危ない! 伏せて!」
爆風で、たちまち木々がなぎ倒される。ぱらぱらと何かが焦げた残骸が落ちてくるのから、
とっさに真紀子は美佐を押し倒してその上へ覆いかぶさった。
しばらくして、ようやく辺りは静まり返り、
「…真紀子さん!」
何か暖かいものが自分の頬へぽたりと落ちてくるのを感じて、美佐が目を開けると、
「美佐、ちゃん。…貴女は大丈夫?」
真紀子は苦痛を堪えて笑った。飛んできた何かの残骸がかすめたらしい。左肩がざっくりと避けて
血があふれ出している。
「真紀子さんこそ!」
「一尉!」
「私は大丈夫。手当てをお願い」
大きく呼吸を繰り返しながら、真紀子はよろよろと立ち上がる。それへ隊員の一人が肩を貸すと、
真紀子は額に汗を滲ませながら、美佐へ向かって苦笑いをした。
「大丈夫よ。それより、さっきの爆発は何?」
早速、医療の心得のある隊員が彼女の治療を始める。時々顔をしかめながら、真紀子はそれでも
「隊長」としての使命を果たすつもりらしい。
「ヘリが爆発したんすよ。まあ明日にでも調査するべきでしょうね」
田垣が答えると、一瞬、全員の顔に狼狽と緊張が走った。
「これでまた当分、帰れなくなったわけだ。調査班に何名か残して、センセイを探しに行ったほうが
いいと思いますがね」
「…それでいいわ」
「隊長。隊長は動かないほうがいいんじゃ」
「何を言ってるの、大丈夫よ。神経や骨までやられてないもの。行くわ。痛み止め、お願いね」
真紀子の言葉に、田垣は黙って肩をすくめる。
「今の爆発で負傷した隊員は、調査班としてここに残ること。昼の間に行動して、夜は
明かりを絶やさないこと。睡眠は交代で昼に取ること。いいわね?」
苦しげに呼吸をしながら真紀子が下した命令へ、隊員たちは敬礼で答えた。


…to be continued.


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