Re-production C




2 密林行

『六月二日。先生と一緒にアマゾン密林一帯に入る。地元の日系人たちに手伝ってもらって、
粗末ではあるが研究室を建てた。先生は早速、顕微鏡を覗いている。簡単な夜食を作って
食し、その日は就寝』
(…山川君の字だ)
真紀子を含む自衛隊員たちの調査は続いている。『研究室』から発見された研究日誌を渡され、
邪魔にならないように木陰の側へ移動しながら、美佐はそれへ目を通した。
日本でなら、どこにでも売っているようなありふれた大学ノートである。そこへ書き付けられた
ボールペンの、綺麗とはいえないが角ばった文字は、
『六月五日。食料を差し入れてくれる人たちと共に昼食を取る。このジャングルの奥には、
なんと旧日本軍が使おうとして半ば完成しかけていた『秘密の』研究室があるらしいと、
冗談交じりに言っていた。地図もあるのだがと言いつつ、わざわざ持ってきてくれたらしい
古い模造紙を机の上へ広げもする。先生と僕は、ありがたくそれを受け取ることにした。
研究の合間に探してみるのも一興かもしれない』
研究のことばかりではなく、そんな風なことも彼らしい語り草で几帳面に書き付けられていた。
「美佐ちゃん」
次のページをめくりかけると、真紀子が話しかけてくる。木の根っこに腰掛けていた美佐が
顔を上げると、真紀子は固い表情で、
「先生と山川君の血液型は?」
「父はO型で、山川君はAです」
美佐の答えを聞いて、綺麗に縁取られたルージュの唇はさらに歪んだ。
「…残されていた血痕の型は、Aよ」
少しためらった後、真紀子は続ける。息を呑んだ美佐へ、
「気をしっかり持って。二人に何があったのか知りたいなら、これからも私たちについてこなきゃ
いけないでしょう? 村田さんがああなったみたいに」
真紀子も一瞬、ぐっと口を結んで言葉を途切れさせ、
「…何が起きるか…またあの何かが襲ってくるかもしれないんだから。美佐ちゃんは、
ヘリと一緒に帰ったほうがいいかもしれないわ」
「でも!」
「そうそう、はっきり言わせてもらうけどね、やっぱりお嬢さんは足手まといなんだ」
反論しかける美佐に、新たな声が答える。美佐の背後へ立ちながら、田垣は、
「そりゃ最初は、教授センセイのところへお嬢さんを連れて行くだけだから、実地訓練のつもりで
いてもいいと思ったさ。けど」
担いだショットガンで、トントンと自分の肩を鳴らして、
「俺も実際に見たわけじゃない。暗かったし、突然だったから。だけど村田をあんな風にした
何かが、この辺りにいるってのは確実なのさ。ひょっとしたら、一匹だけじゃなくて、
わんさといるかもしれない。そんな中、お嬢さんを守りながら教授センセイとその助手を探すなんて
器用な真似、俺達には出来ませんよ。大尉だって、ホントのところはそんな風に思ってるくせに」
「…田垣君。貴方は調査を続けなさい。それともそんなことだけを言いに来たの?」
俯いてしまった美佐を庇うように、真紀子も立ち上がって田垣を睨む。すると彼は肩をすくめて、
「あの薄っ気味悪い植物を、お嬢さんにもう一度見てもらおうと思ったんです。
分析してもらえば、何か分かるんじゃないかってね」
「…じゃあ、私は必要ですよね!? 私、役に立てますから!」
美佐が立ち上がって叫ぶと、田垣は髪を短く刈り上げた自分の頭を、空いている片手の拳でゴリゴリと
掻いて、
「…分析とやらの結果が出たらジャングルから出て、せめてマナウスヘ戻るとかね。そう
してくれっとありがたいんですがね」
「その保障は出来かねるわね。そうね?」
代わりに真紀子が答える。彼女が水を向けるのへ、美佐は大きく頷いた。
「美佐ちゃんは私がついてるから。貴方達はその『何者か』へ警戒を怠らないで。それくらいは
できるでしょうよ」
「…了解」
すると田垣は呆れたといった風に肩をすくめ、研究室のほうへ向かっていく。その後を真紀子と
共に追いながら、
(山川君の血…ひょっとしたら、お父さんと山川君も、あの『何か』に襲われて村田さんみたいに)
今更ながら、美佐は戦慄した。
田垣の言うように、父を探し続けるということは、自衛隊員と行動を共にするということで、
より一層密林の奥へ入ることになる。そうなると、村田隊員を襲った正体不明の何者かに
再び襲われる危険性が高まるということにもなる。本当のところはやはりマナウスへ戻って
彼らの報告を待つのが一番なのだろう。
「じっと待っているのなんて嫌でしょ。心配ですものね」
「…ごめんなさい」
そんな美佐の気持ちを見抜いたように、真紀子は微笑う。
「二人の間に何があったのかは分からないわ。だけど」
研究室の床へ登ると、その床はぎしぎしと嫌な音を立てる。先ほどちらりと見ただけの『温室』の
ビニールをそっと開いて、
「先生と山川君が残していったものを見届けるのは、美佐ちゃんの義務よね?」
言う真紀子へ、
「はい」
美佐は大きく頷いた。
その『植物たち』は、液体付けの大きな瓶の中で今も不気味に蠢き続けている。
「…どんなことになるか分からないので、よろしくお願いします」
研究用の白衣とマスク、手袋に身を固めた美佐は、その瓶のフタに手をかけながら、自分の周りに
集まった自衛隊員へそう告げた。
「いつだってぶっ放せるぜ。大丈夫だから開けな」
「はい」
美佐の左にいる田垣へ頷いて、美佐はゆっくりとフタを回転させていく。徐々にフタが緩んで、
中の植物の『頭』が直接眺められるようになったかと思うと、
「わあっ!」
美佐の右手にいた和田が悲鳴を上げた。
瓶の中から突然伸びてきた緑色の蔓のようなものは、液体を周りへ噴出させながら、和田の
両目の辺りへベトリと貼り付き、覆い隠す。たちまちそこから赤い血が周りへ飛び散り、
大きなビンもたちまち横倒しになって、中の液体を机の上へ撒き散らした。
「美佐ちゃん!」
呆然と突っ立っている美佐を、真紀子が抱きつくようにしてその場から引き剥がす。
「討て! 植物には火だ。燃やせ! 切っちまえ!」
田垣の上ずった声の合図で、辛くも立ち直ったほかの自衛隊員たちが銃を構える。
辺りにはたちまち銃声が轟いた。
震えている美佐の肩を、真紀子がそっと抱き寄せる。悲鳴と怒号、そして銃声は、やがてやっと
静かになって、
「…お嬢さん、大尉」
肩で息を着きながら、田垣が二人の元へやってきた。
「和田は、やられました。眼球及び前頭葉に穴が空いて溶かされて…一瞬だったようです」
「…昨日の何かも、ヘビじゃないことがこれで確かめられたってわけね」
真紀子が、空いている手で美佐の右手をぐっと握り締めながら、唇を歪めてそれに答える。
「ただし」
さすがに田垣も大きなため息を着いて、
「その『植物』は、和田を襲った後、溶けて消えました。どうやらあの液体から出ると
長く存在し得ない模様。つまり」
「不完全個体だった、ということ?」
「おそらく」
(お父さんは、一帯何を研究していたの?)
眩暈がしそうになるのを懸命に堪えながら、美佐は二人の会話を聞いていた。
あの得体の知れない、植物とも動物ともつかない『生き物』を作るのが目的だったのだろうか。
液体の中でしか存在できない『不完全個体』ですら、あれだけの殺傷能力を持っているのだ。
(お父さん、山川君…もしかしてもう)
そんなものを研究していれば、よほど取り扱いに注意しないと無事ではすまないだろう。
最悪の事態を想像しかけた美佐は、
「あ、ヘリ。どうします?」
田垣が空を仰ぐのにつられてそちらを見た。
なるほど、先日テントを張ったと思しき場所の上空にヘリコプターが止まっていて、ロープに
くくりつけられた人間が二、三、上へ運ばれていくのが見える。
「一応、連絡を。こちらにも負傷者がいますってことを伝えないと。それから医療物資及び
弾薬と銃の手配と確認、大使館へ連絡して隊員の増員を要請して頂戴」
「了解」
真紀子が下した命令へ敬礼で答えて、田垣は無線へ飛びついた。
「ここに長く留まっているのは危険だし、増員を要請したところで到着するのは恐らく一週間後。
となると」
美佐の側で呟くように言って真紀子が考え込んでいると、
「大尉殿! こちらに何かを引きずったような後と、乾いた血の痕があります!」
引き続き、『研究室』の左手を調査していた自衛隊員が叫んだ。真紀子がちらりと美佐を見て、
そちらへ走っていく。美佐も後をついていくと、
「美佐ちゃん、見覚えは?」
自衛隊員から何かを受け取った真紀子が、右の手のひらを見せる。そこには、
「…お父さんのパイプです」
父がエジプトを旅行した時、カイロ大学で親交を結んだ教授からもらったのだと嬉しそうにしていた
愛用のパイプがあった。
「…確かに、先生がいつも吸っていた葉巻の匂いはするわね。しかもまだ、そんなに古くはなってないような
気がするわ」
それへ鼻を近づけて、真紀子は顔をしかめる。
「どちらにしても、新しく他の隊員が来るまで手をつかねてるわけにはいかない。先生と山川君の
命が優先だからね。せめて二人がどこへ行ったかだけでも分かれば」
「真紀子さん!」
「ど、どうしたの?」
突然叫んだ美佐へ、真紀子は驚いて尋ねる。その前に、美佐は手にしていた『日記』の頁を開いて、
「山川君の日記なんですけど。ここに、旧日本軍の研究室かなんかがあったんですか?」
「…そういう話は聞いてるわ。戦前から移民を奨励されていた土地だったから、軍もいざという時には
アメリカへ対抗するつもりで作ったんだって。だけど、そうならない前に終戦になってしまったんで、
そのままうち捨てられて、って…よくある話よ。それに、もしもあったとしても、使い物にならないんじゃ
ないかしら」
「だけど大尉」
すると田垣が、少し馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべながら、
「何かを引きずったような跡は、確かにそっち方面へ向かって続いてるんっすけどね」
「…なんですって」
「ほら、これ」
真紀子の鼻先へ、黄色く変色した模造紙を広げて差し出す。それは手書きではあるが、確かに
この辺りの地形を示した絵で、
「さっき研究室から見つかったんですよ。その山川ナニガシとやらの日記と一致しません?」
「確かに、ね。美佐ちゃん、ちょっと待ってて」
そこで大きく息を着き、真紀子はそう言い置いて田垣を促す。『研究室』では未だに調査が続いているが、
彼女は机の周りに自衛隊員を呼び集めて、何かの打ち合わせを始めたようだ。
(山川君の…日記)
六月五日以降も、当然ながらまだ日記は続いている。毎日のように一定時間降るスコールに驚いたこと、
ナメクジが大発生したこと、そして毒ヘビに脅かされたこと…。
『六月二十七日。今日、先生は例の研究室を探すと言い出した。言い出すときかない先生のこととて、なんと僕が
昼食の支度をしているうちに探ってきてしまったらしい。こっちは、どこへ行ったのか心配していたのに。
あまりのことに、つい先生を責めてしまったが、先生はなんてことないようにあっけらかんと笑う。
そして「大発見をしたから、君も着いて来い」と仰った』
『六月三十日。まさか本当にあれを先生が発見するとは思わなかった。ここはどうやら普通種だけではなくて、
突然変異種の植物の宝庫でもあるらしい。その植物から抽出したエキスが、どうやらタミフル耐性を
持つ僕のような人間が、インフルエンザにかかったときに効くらしい。この研究室では手狭だからと…』
そこまで目を通したところで、
「きゃ!?」
どすり、と音を立てて、美佐の右頬の横にナイフが突き刺さった。
「…毒虫。油断するなよ」
近づいてきた田垣に、何をするのかと文句を言い掛けた美佐は、
「…すみません」
ちらりと横を見て、また鳥肌を立てたのである。

…to be continued.


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