Re-production B




「全く、これだからトーシローのお嬢さんは」
悲鳴を上げた美佐に対して言っているらしい。真紀子に連れられて張ったばかりの
テントの中へ入ると、美佐の足から力が抜けて、聞こえよがしな田垣の声がする。
(…迷惑かけないって思ってたのにな)
テントの床に、足がぺっとりと張り付いたように動けない。これがいわゆる「腰を抜かす」
といった状況なのだろうか。
「無理かもしれないけど、落ち着いて。ミルクも砂糖も無いけど」
ステンレスの水筒から熱いコーヒーを注いだコップを、真紀子が渡してくれる。
それを受け取ろうとした手が、自分でも笑ってしまうくらいに震えていて、
「…ありがとうございます」
「気にしないで。私達は、いつもああいうことも想定に入れて訓練していたんだから」
美佐の肩にそっと手を乗せ、そう告げる真紀子の声も、少し緊張感を含んでいる。
「大尉、いいっすかね。現在分かっていることを報告したいんですが」
そこへ、テントの外から田垣の声がした。
「待って。出るわ」
「あの、気を遣わないで下さい」
立ち上がろうとした真紀子を、美佐は止めた。そんなつもりはなかったのだが、真紀子の袖を
つかんだ彼女の手はまだ震えている。まるで、母親にすがる怯えた子供のようだと自分でも苦笑しながら、
美佐は、
「私、平気ですから。それに、私も何が起こったのか、ちゃんと知りたいです」
「…そうね。知っておかないと危険だものね。分かったわ」
すると真紀子は優しく笑い、
「田垣君。報告して」
テントの外へ声をかけた。すると田垣は地面をざっと蹴り上げて最敬礼を取り、
「テントを張っている途中、草むらの中から姿を現した何者かに村田は襲われた模様。
側にいた同僚の話によると、薄暗くなっていたのでよく確認できなかったが、それは
背丈が人間の腰辺り程あり全身が緑色。上からちょうど10センチほどの高さのところから、
粘液状の物を村田へ吐きかけて遁走したとのこと。村田の足はそれにより溶解。
村田の負傷場所に付着している粘液状の物を拭った布は、ただ今成分調査中。村田へは
ただ今止血剤と鎮痛剤を与えて、休みを取らせています。ヘリへ連絡しましたので、
一両日中にはこちらへ到着、ブラジリアの病院へ搬送されることになります。
以上。新しい事実が分かり次第、また報告いたします」
「ご苦労様。よく分かりました」
「はっ! では、これにて失礼致します」
真紀子が言うと、田垣の影はもう一度敬礼をして、その場から去った。
「と、いうことよ」
そして彼女は大きく吐息をついて、美佐を振り向き、首をかしげて微苦笑(わら)う。
「さっきは想定内だって言ったけど、緑色の生き物…小型の蛇かしら? 正直、私も
少し怖いわ」
「…ジャングルって、そんな生き物もいるんですか。あの、そんな…人の足を溶かしちゃう、とか」
「そうねえ。いない、とは言い切れないかもしれないわ」
怯えた顔をする美佐の頭を軽く二つ叩いて、
「最後の秘境よ? 人間が知らない突然変異種だって、まだまだたくさんいるかもしれない。
とにかく、今夜は交代で見張りに立つから、美佐ちゃんはお休みなさい。私達はともかく、
あなたは少しでも眠っておかないと、もたないわよ?」
「…はい」
真紀子の好意は純粋に嬉しいが、それでもやはり眠れそうにない。「じゃあね」と言い置いて
テントから出て行く真紀子へ頷きながら、
(お父さんは、こんなところへ)
今更ながら、美佐は呆れ半分にそう思うのだ。
すると、テントの周りが、ぱっと明るくなる。自衛隊員たちが持参のライトをつけたらしい。
やはり明かりの精神的効果は大きくて、ようやく少し安心したような気分になった彼女は、
(突然変異種…だからかな)
ジャングルの奥に、新インフルエンザに対する免疫成分を持っている植物がいると言っていた
父教授の言葉をそこで思い出す。
真紀子ではないが、ひょっとしたらそれはやはり「突然変異」で出来た植物なのかもしれない。
父にそれを伝えたのは地元の町医者で、彼も偶然発見したのだというが、
(それにしても、こんなところまで来るなんて…お父さんったら)
六十を越えた人間が、わざわざ密林へ分け入る…やはり並みの精神力ではない。
三十代半ばという、比較的遅くに出来た子供である美佐のことはそれこそ猫可愛がりに
可愛がってくれたのだが、学者の世界でも言われるように、日野教授はどこかやはり「変わり者」なのだろう。
(お父さん、無事で)
しかし、何と言っても今は父一人子一人なのだ。父教授を心配しながら、美佐はそっと目を閉じた。

眠れない、と思っていたはずが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目を開けると、テントの周りは明るくなっていて、
「あら、おはよう。 よく眠れたみたいね。よかったわ」
「真紀子さん」
テントの入口の布をそっと開けた真紀子が、寝袋からむっくりと起き上がった美佐へ笑う。
おそらく、夜の間に、美佐を起こさないように何度となく美佐の様子を見てくれていたに
違いない。
我知らず赤くなりながら、
「あの、ごめんなさい。見張っていてくれたんですよね」
「うふふ。気にしない気にしない。着替えたら出てきてね。朝ごはんよ」
そう言う真紀子へ、美佐はぺこりと頭を下げた。
太陽が昇ると、密林の中は一気に蒸し暑くなる。
「ここからもうすぐだからね。村田君の見張りは?」
朝からカップめん、という少し重い「食事」を取りながら、美佐と田垣、等分に
話しかける真紀子へ、
「大丈夫。川井がついているそうっす。ヘリもあと数時間で到着するとか」
田垣が伝える。すると、
「なら心配ないわね」
真紀子が頷く。それはなんてことない日常会話のようで、
(しっかりしなきゃ)
美佐は、さすがに彼らは軍人だ、という認識を新たにした。
「さ、行きましょう。『研究室』についたら、まずは現場の調査よ。美佐ちゃん、しっかりね」
「はい!」
そして美佐が食べ終わるのを待って、真紀子が立ち上がる。それをしおに、他の自衛隊員たちも
一斉に散ってテントを片付け、荷物をまとめはじめた。
「前夜の何者かがいつ襲ってくるか分からない。よって警戒を怠らないように。
いつでも銃を構えられるようにしておくこと」
美佐を挟んで隊列を組むと、真紀子がそう言う。皆が一斉に敬礼をすると、再び今日も
「行軍」が始まった。

(ヘビ…緑色の)
先頭を歩いている田垣が、時々マップを確認しては進む。密林の隙間から見える空に
輝く太陽は、中天に差し掛かりつつあり、
(緑色)
黙々と歩きながらそう考えて、美佐ははっとした。
(船から見たあれ、かな)
最初の日の夕暮れ。やはり薄暗くてよく見えなかったが、どうも船が着いたのと同じ側の岸辺
だったような気がする。そこから現れた緑色の「生き物」の様子をなんとか脳裏に描こうとして、
「到着しましたよ。お疲れさん!」
立ち止まった田垣の背中に、美佐の顔がぶつかった。
「しかしまあ、なんとも風情がある『研究室』っすねえ」
言う田垣を、真紀子が睨みつける。肩をすくめる田垣を見て、美佐も苦笑しながら、
(お父さん…)
その『研究室』を眺め渡した。
前夜、彼らが「夜営」したのと同じような、少しだけ開けた平たい場所である。
大きく茂った一本の木の下に幹を背にしたその研究室はあった。床を少し高くして
南と東の壁は作らないまま、作り付けの戸棚や実験用の机がむきつけに見える。
田垣のいうように、まさに何ともいえない風情なのだが、
(お父さんだ…)
そこには、確かに「父」を思わせるものが漂っている。ぐっと胸に迫るものを覚えながら、
「じゃあ、『調査開始』ね」
言う真紀子に並んで美佐はそちらへ近づいたのだが、
「…血が乾いてこびりついてるっすね」
『研究室』の床へ先に上がった田垣が呟いたので、再び足を止めてしまう。
途端に真紀子を含むほかの自衛隊員たちも、さっと顔を引き締めた。
「美佐ちゃん、ここに」
散らばって『現場調査』を始める自衛隊員をよそに、真紀子は手近な岩へ美佐を導き、
そこに彼女を座らせる。
「…何があったんでしょうか…あの、血だなんて」
「ただ今調査中」
青ざめた美佐の頬を、安心させるように冗談っぽく両手で挟んで告げながら、
「大丈夫、大丈夫よ。落ち着いてね。私は側に居るから」
真紀子は美佐の側にくっついて離れない。恐らく、あの「緑色の何か」を警戒しているのだろう。
心の中で密かに感謝しながら、
「…ぬかるんでるから、靴の跡がはっきり残ってるな。ここからさらに北…奥へ向かってますね」
研究室の左脇を眺めていた田垣が彼女らを振り向いて言うのへ、しかし美佐は思わず息をのんだ。
「中尉!」
そこへ、研究室に置いてある、小さな温室らしいものを調べていた隊員から声がかかる。
「こちらへ来て下さい! 大尉も、お嬢さんも!」
その声に、皆が一斉に研究室へ集まってくる。
「どうしたの、和田さん」
「…お嬢さん、あの、これ…どういうことだか分かりますか」
和田という名らしいその男性隊員は、しかし真紀子問いには答えずに美佐を見た。
「心して見てください。これ、私には何と言っていいものか分かりかねます」
言いながら、和田はそのごつい体を少しずらす。恐る恐るその「温室」を覗き込んだ美佐の
目に飛び込んできたのは、ずらりと並んだ大型のビンで、
「…動いてる…?」
それを見た途端、美佐は思わずそう呟いていた。
父は一体、何を研究していたのだろう。新しい薬の成分調査、ということではなかったのだろうか。
五本ほど並んだ、一メートルあまりのビンの中には、得体の知れない液体に入った緑色の何かが
蠢いていて、それは時折、人間のように何かを吐き出すような仕草を見せる。
『全身』緑色のその生き物はしかし、
「植物…これ、植物です!」
思わず美佐が叫ぶと、自衛隊員たちが一斉にどよめいた。
(信じられない…植物が動いている)
確かに、ハエトリスミレやモウセンゴケ、オジギソウなどのように、触れられると『動く』
植物もある。だが、それはあくまでも『植物として』の生態上、そのような形状になったからに過ぎない。
(こんな風に動くなんて)
今、美佐が見つめているようなビンの中の『植物』は、しかし自分で意志を持っているかのように、
わずかずつながら分枝を手、根を足のごとく動かしているのだ。
「日野先生、一体何を研究なさっていたの?」
呟くような真紀子の問いも、美佐へ向かって放たれたものではないが、美佐はビンを見つめて呆然としたまま
首を振った。
「…このこともヘリに連絡しておいたほうがいいっすかね」
の田垣のいつもの「おちゃらけ」も、さすがになりをひそめているらしい。いつになく真剣に
真紀子へ言うのへ頷き返して、研究室内を見渡し、
「この血のことも気になるから、私達は靴の跡を追いましょう。早く先生に会って、ちゃんとした
事情を確かめないと」
壁へ飛び散ったドス黒い跡を示しながら、真紀子はそう言ったのである。

…to be continued.


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