Re-production A




うとうととまどろんでいると、水の音が意外に近くで聞こえて、
(…あ、そうか)
美佐はむっくりと起き上がった。
(アマゾンに来ていたんだった)
苦笑しながら、隣で寝ている真紀子を起こさないように、荷物の中からノートパソコンを
取り出してそっと船室を出る。東のほうを見ると、うっすらと白みかけていて、そろそろ夜が
明けることを予感させた。
アマゾン川の上に停泊している船を吹きぬけていく風は、思っていたよりも湿気を含んでいず、
(わ、涼しい)
甲板に出て、中空にかかっている満月を見上げながら、彼女は大きく深呼吸をする。
(お父さんも、こんな風に過ごしていたのかな)
そこで思うのは、やはり父、日野教授のことで、
(山川君と、たった二人で)
持っていったものは、膨大な研究器具とノートパソコン二台だったという。六月中は居場所や生活状況も
それで、ブラジルの日本大使館へこまめに連絡してきていたらしい。だが、七月上旬に入った一週間、
絶えてそれがなくなっていたというので、心配した外交官が訪ねて、その『研究室』には
誰もいないということが判明したのだ。
美佐を憚って詳しくは話さなかったが、研究室はかなり荒らされているらしい。普通なら「民間人」が
自衛隊に加わってアマゾンの奥地へ行くとなれば、渋るのは当たり前である。しかし、今回許可が下りたのは
その外交官が言ったように、
「お嬢さんならその内容が分かるかもしれないでしょう」
二台あったはずなのに、その時一台になっていたノートパソコンの内容が、美佐には分かるかも
しれないという期待が外務省側にあったからなのだ。
「世界の日野」の研究は、これまでに日本政府に何度も利益をもたらしており、それゆえに発表されるまでは
極秘事項である。外務省の中に日野がやっていた研究内容を理解できない人間がいないとは思えないが、
もしも日野が無事に発見された場合、激怒してヘソを曲げ、せっかくの研究成果を闇に葬るかもしれない。
実際、日野教授は陽気ではあるが、さほどに偏屈な人間でもあったのだ。
だが、娘である美佐なら、内容を改めても機嫌を損ねないかもしれない。というわけで、ともかくもと
保管されたそのノートパソコンは今、彼女の手の中にある。
(でもこれ、山川君のだよね)
しかし、彼女はそう思って苦笑した。
研究室でも見慣れていたのだから、間違えるはずがない。父教授のものではないが、研究室の中で
誰よりも父に近かった山川のことだから、研究内容そのものとまではいかなくても、それに近い
何かを保存しているかもしれない。
甲板に置いてある荷物の上へ腰掛けて、美佐が黒いボディのそれを広げかけると、
「眠っていなくてもいいのかい、お嬢さん? まだ起床予定時刻まで間があるよ」
「田垣さん」
その前に、月を背にして、ぬっと現れた人物がいる。
「それとも、ひょっとして寂しくて怖くて眠れないとか?」
「…そんなんじゃありません」
中を改めようとしていたパソコンを仕方なく閉じ、美佐はしぶしぶながら返事をした。
この男、腕が立つとの評判を自覚しているらしく、少々ナルシストでもあるらしい。長ズボン一枚を
身につけただけで、筋肉が盛り上がった上半身は裸のまま、
「遠慮しないでよ。眠れないんなら、いつでも話し相手になってあげるのにさあ」
うっすら笑って、美佐の隣へ馴れ馴れしく腰を下ろしてくる。
「今日から歩くんだぜ? ちゃんと眠って食っておかないと、体力持たないよ。
怖いんなら、俺が守ってやるから。なんならベッドの中でも」
「…結構です。いざとなったら逃げるくらいは出来ますから」
後ろから肩へ回ってきた彼の手を交わすように、美佐は眉をしかめながら素っ気無く言って、
立ち上がろうとした。
「だからトーシローは」
すると田垣は、瞬時に彼女の腕を捉えて、
「い…痛いっ! 離してくださいよっ!」
「もしもこんな目にあったら、君、逃げられんの?」
クスクス笑いながら、さらに背中へねじ上げる。その時、
「おっと!」
田垣は言って美佐の手を離し、ひょいと後ろへ頭を反らした。彼と美佐の間を縫って、
飛んできたサバイバルナイフが、大げさな音を立てて船の壁へ突き刺さる。
「…大事な後輩に傷をつけたら、アンタでも許さないからね?」
ショートカットにした髪の後ろから、炎を静かに燃え立たせているような風情で、
「…やだなあ、松井さん」
現れた真紀子に、田垣は馬鹿にしたように鼻を鳴らしながら、
「ほんのジョークっすよ。トーシロー相手にマジになるわけないでしょう。松井さんも、
本気に取らないで下さいよ」
突き刺さったナイフをぐいっと引き抜いて、真紀子へ投げて渡す。
その柄を見事に片手で掴んで捉え、その手に持ったままで、
「美佐ちゃん。そろそろ上陸するから、貴女も私達みたいなスーツに着替えなさい。
ジャングルには毒のある生き物もいるから、肌をなるべく露出させないようにね」
真紀子は美佐に近づきながら、田垣をまるきり無視して彼女に優しく話しかけた。
「それから、絶対に無理しないで。疲れたらいつでも言って。私達は、貴女を護るためにいるんですからね」
「すみません。ありがとうございます」
田垣に捻り上げられた美佐の腕をゆっくりほぐす真紀子へ、彼女はすまなさそうに頭を下げる。
「かぁーっ、暑いっすね。今日も蒸し暑くなりそうだ」
そして田垣は、先刻のことなどけろりと忘れたようにそう言い、
「さて、俺らも朝メシにしますか。おい、貴様ら、起きろ!」
船底へ向かって怒鳴りながら、階段を降りていった。

さすがに、最後の秘境といわれている熱帯雨林である。赤道直下の、年中『真夏』な気候の中、
毎日降るスコールのせいでぬかるんでいる道なき道を、一歩一歩踏みしめながら、
(暑いなぁ、やっぱり)
額に滲んできた汗を、被った帽子を少しずらして手の甲でぬぐって、美佐は空を仰いだ。
空、といっても、それは時折うっそうと茂る樹林で覆い隠されて、まさに「昼なお暗い」といった
箇所になる時もある。時々足を滑らせかける美佐を、彼女の後ろからついてくる真紀子が
支え、美佐の前、つまり一行の一番先頭を歩く田垣が、木の枝からぶらさがる大きな蔓を
サバイバルナイフで切り開きながら歩いていく。
船を下りて、どれくらいになるのだろう。美佐以外の自衛隊員は、皆、それぞれ水や食料、
器材などを抱えて、ただ黙々と歩いているのだが、
(体力あるなあ、さすがに)
軍人であり、鍛えているだけあって、この中で喘いでいるのは民間人である彼女だけだった。
それを見て取って、
「少し休憩しましょうか」
真紀子がそっと彼女の腕を取り、田垣へ話しかける。こういう気配りは、やはり女性
ならではだろう。田垣や、他の男性自衛隊員は、どうやら美佐の様子は気にも留めていないらしい。
「またっすか?」
案の定、振り向いた田垣は少し嫌そうな顔をした。美佐を連れているせいで、朝から何度も
休憩を取っている。それさえなければ、日野教授の研究室にはもっと早くつけるのにと
言いたげなその顔を、真紀子が睨むと、
「はいはい、いいっすよ。もう少し行ったら、ちょっとした広場に出るらしいし、ぼちぼち
日が暮れそうですからね」
田垣は肩をすくめて苦笑し、棟のポケットからマップを取り出した。
「夜営っていうには少し早いけど、そこでテントを張って、今日の「行軍」はこれで終わり、
ってことにしてもいいっすね」
「じゃ、そうしましょう」
真紀子は「当然だ」と言いたげに頷いて、
「もう少し頑張れる?」
美佐へは優しく声をかける。美佐は肩で息をしながら、
「…ごめんなさい。頑張れます。…情けないなあ、私」
「だから、気にしないの。民間の人を助けるのが私達、自衛隊の役目なんだからね」
真紀子がそのまま彼女の腕を引っ張ってくれる。
(ほんと、情けない。田垣さんが呆れるのも無理ないよね)
引っ張られるままに任せながら、美佐は苦笑した。
そこからしばらく歩くと、なるほど、田垣の言うように、樹木が途切れて空が見える場所に出る。
そこへ着くと、自衛隊員たちは早速荷物を下ろしてテントを張り始めた。
「休んでいていいわよ」
真紀子が言うのへ、美佐は首を振って、
「私も手伝いますから」
「…うふふ」
軍手をはめた美佐へ、真紀子がまるで妹を見るような目で見て笑う。
「もうすぐよ。もうすぐ…そうね。ここからだと二時間くらいかしら。日野先生の研究室に着くわ」
「はい。でも、どうしてお父さんは自分でこんなところに」
ロープを張りながら、美佐がため息を着き、
「この辺りの植物が、タミフル耐性患者さんに効く薬の成分を持ってるって。だから、
行かなきゃ、とは言ってたんですけど」
「それがあの先生のご性分でしょ?」
「…はい、そうでした」
クスクス笑う真紀子へ、美佐も苦笑する。確かに、「何事も自分の目で見て、動いて確かめないとダメだ」
が、父教授の信条だった。
「だから、毎度毎度、母も振り回されて…」
父が留守の間の家を、そして美佐を護らなければならないと、その細い体で気負いすぎたのだろう。
美佐の母は彼女が大学院に入ると、安心したように亡くなったのである。
「そうねえ」
父一人、子一人だったのだと、真紀子も改めて美佐の顔を見ながら、
「でも、お母様は先生を尊敬してらした」
「…はい!」
これ以上はない労わりの言葉に、嬉しくなって美佐が言った時、彼女たちの背中で凄まじい悲鳴が上がった。
「どうした!」
彼女らのすぐ右手でテントを張っていた田垣が、すぐさま立ち上がって反対側のテントへ駆けていく。
「陸尉殿っ!」
美佐と真紀子もそちらへ駆けていくと、地面を転げまわって苦しむ自衛隊員のそばについていた
もう一人の隊員が、
「村田が、何者かに足をやられました!」
「美佐ちゃん、貴女は見ないで!」
真紀子が叫ぶ。しかし、その光景は彼女の背中から覗き込んだ美佐の目にしっかりと焼きついてしまい、
美佐は思わず悲鳴を上げた。
村田という名らしい自衛隊員の右足は、膝のちょうど下あたりから、何かの液体がかかったかのように
溶けきってしまっており、泡だった血が地面へ流れていく。
「田垣君! 手当てを頼んだわよ!」
よろけた美佐を抱え、強引にその場から離れたところへ連れて行きながら、真紀子は叫んだ。
「落ち着いて。こういうことは戦場ならよくあることなのよ」
側に蛇などがいないか確かめてから、シートを敷いてその上に美佐を座らせた彼女は、
携帯していた水筒から注いだ水を美佐へ勧めながら、美佐の顔を覗きこむようにして話す。
「ただ…今回はまあ、戦場じゃないから」
真紀子はそこで苦笑して、
「『敵』が何者か、はっきりしないのがちょっと辛いわ。ここは危険だから、今日は
休むけれど、明日はまた早く出発したほうがいいでしょうね」
その言葉に、渡されたコップを両手で包むようにしながら、美佐は何度も頷いていた。


…to be continued.


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