パラレルワールドを追いかけて 3







ACT 3 再会



(…ん?)
くずれかけた塔の地下。しかしその内部には最新コンピューターで制御された武器庫や、
ありとあらゆる装置を備えた部屋などがずらりと並んでいる。
その一室で、彼女はふと目を覚ました。ゲリラの活動に備えて睡眠をとっていたのだが、
(ひょっとしたら?)
急いでベッドから起きあがり、緑の軍服と短いパンツへ着替え、ガンホルダーを肩へかける。
乱暴に部屋の扉を開けて『司令室』へ向かう彼女へ、驚いて部下の一人が付き従った。
「異分子が紛れこんだみたいだ」
それを振り返って、彼女は言う。
「…帝都からのスパイじゃない。気配が違う」
ショートカットの波打つ金髪を少しだけ傾げて、彼女は何物かの気配を探るかのように、厳しい目をすがめた。
「一応、第一分隊出動の準備を。私も向かう」
「はい、ダリス」
片手を右目の上へ掲げ、その部下は去っていく。
それを見送りながらしかし、彼女は…ダリスは何故かその口元に笑みを浮かばせていた。
不敵な、とも違う。実に妙な笑みである。
「ダリス」
そこへ、彼女の従弟であるロブが声をかけてきた。
「帝都から内密に、打診の使者が」
「放っておけ。答えは決まってる」
しかしそれへはうるさげに手を振って、ダリスは再び歩き出した。
「だけどダリス」
「ロブ」
ダリスは歩みを止め、彼女より少しだけ背の高い従弟を見据える。
どうやらアーシーズの血は、ミネルバではダリスにしか流れなかったらしい。この従弟には、
彼女が持っているような『力』は無かった。
「ここで降伏したら、私らの戦いは無意味になるんだ。死ぬのが怖いなら、あんただけとっとと降伏すればいいのさ」
彼女の言葉に、ロブはぎくりと体を強張らせた。そんな従弟をちらりと見やり、彼女は再び歩き出す。
(多分ヤツだ。ニーズホッグの洞窟からやってくるなんざ)
くっ、と、楽しげに小さな笑い声をもらしながら、彼女は部下が用意し終えたエア・モービルへ乗りこむ。
どうやら、どういった歓迎をしてやろうか、そんな風に考えているらしい。
地上への大きな扉が、ゆっくりと開く。途端に眩しい太陽の光が差しこんで、彼女は少しだけ目を細めた。
「行くよ! 手加減は無用だからね!」
その言葉に、喚声が答える。
それから間もなく、ミネルバの夕暮れの砂漠を横切るエア・モービルの群れが、一際その音を辺りに響かせながら、
どこかへ向かっていった。


夕暮れ時とは言っても、やはり砂漠は砂漠である。慣れない者には暑い。
どうやら諦めた風情の恵美は、いつしか黙りこくってしまった。
あれから太陽がさらに西へ傾くまでの間も、二人は黙々と歩いている。
「エミ…ほら」
汗をかきながら、それでもカイルの後ろについて歩いていた恵美へ、彼が背を向けたまましゃがんだ。
「何?」
「おぶってやる」
「へ? いいよ!」
「いいから!」
真っ赤になった恵美を強引にその背に負い、カイルは再び歩き始める。
「…ごめんね。こんなに自分が体力が無いなんて、思わなかったから」
カイルの背中で、恵美が呟くように言う。
「いや、いい」
カイルは小さく首を振った。
「俺は、どうってことないから。軍人だったからな」
「軍人さんって、本当に強いんだねえ」
「まあ、そりゃ」
彼女を背負いながら、カイルは苦笑した。
…そんなこと、問題じゃないだろう。アンタは俺を罵ったっていい。
それきり黙って、二人は黙々と砂の上を歩んだ。
「あの岩陰で、少し休もう」
「あ、うん」
カイルの言葉に前方を見ると、大きな岩がある。その向こうに、彼らが目指している壊れた塔が、
心なしか大きくなってそびえていた。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫、と思う」
その大きな岩陰へ降ろしてもらい、恵美はほっと大きな息をついた。
「ごめんね。体力にだけは自信があったのになあ」
「…そりゃ、な」
それでも、その汗だくの顔へ眩しい夕日は差す。そっと陰を作ってやりながら、カイルは優しい目で彼女を見つめた。
「慣れてない人間が、本格的に砂漠を歩いたんだ。必要以上に体力を消耗するさ」
「うん…ごめんね」
なおも謝罪の言葉を口にして、そっと目を閉じている恵美の頬へ、カイルは触れようと手をおずおずと伸ばす。が。
「おっと!」
いきなり彼は恵美を地面へ押し倒した。その後へ、耳をつんざくようなバリバリという音が響き、辺り一面に
砂埃が立つ。
「久しぶりだねえ。すっかり有名人じゃないか」
「…ダリス?」
恵美をしっかり抱き締め、そのからかうような女性の声に、岩陰に隠れながらカイルは怒鳴った。
「アンタしかいないと思ってたんだよ。あんなとこから来るなんて」
「お前はテレパスだったもんな」
(ああ、だから?)
二人の会話を聞いていた恵美が、そっとカイルの顔を見上げた。
…だから、カイルは「連絡はいらない」と言ったのか。
「お前さんだと分かって、さてどうやって歓迎してやろうかなんて考えてねえ」
「悪趣味なスケだぜ」
どうやらダリスは笑っているらしい。その気配にカイルもまた、苦笑した。
「武器を下げな…客人だ」
これは彼女の周りの人間に言ったものらしい。ひとしきり金属の響く音がして、
「出といでよ。そこのお二人さん」
ダリスは再び怒鳴った。カイルは恵美を見てにやりと笑い、顎をしゃくる。
彼に続いておずおずと頭を出した恵美の目は、物々しい軍服に身を固め、
銃に体をもたせかけている男たちと、その中央の金髪の女性を映し出した。
「よろしく、ダリス=イトウだ。ミネルバ・レジスタンスのリーダーをやってる」
左胸のポケットからタバコを取り出して火をつけ、ダリスはにやりと笑って恵美へ片手を差し出した。
「あ。よ、よろしく。あの、私、有坂恵美です」
「あ?」
しかしダリスは一瞬、きょとんとした顔を作り、
「アリサカ、って名前か? こりゃまた面白い」
「違うよ」
途端に大声で笑いながら、カイルが後を引き取った。
「エミ。彼女はエミって名前。異世界の住人だ」
「へえ。…似てるな、いや、うりふたつじゃないか」
カイルの笑いに怒る様子もなく、一層にやにやしながらダリスは言う。
「だから連れてきたのか」
「違うよ」
カイルは真っ赤になって、彼女の言葉を否定した。
恵美はきょとんとしたまま、彼らの顔を交互に眺めている。
「とにかくさ、休ませて欲しい。まずフロだフロ」
「分かった」
ダリスは頷いて、部下たちを振り返り、
「聞いたろ? 私の客だ。丁重にもてなせ」
金色に光る砂漠に、何台ものモービルの爆音が、再び塔へ向かって響いた。



「ディオ」
ここ帝都でも、赤い夕日がゆっくりと沈んでいく。珍しくバルコニーヘ出てそれを眺めていたディオへ、
クランツが遠慮がちに声をかけた。
「お休みですか」
「…いや。何か」
ゆったりとデッキチェアへ体を横たえていた彼は、ゆらりと立ち上がり、クランツを振り向く。
「例の…から報告です。カイルがミネルバに現れました」
「そうか…」
仮面の下の顔を歪めて、ディオは呟くように言った。
「それともう一つ」
クランツの目が、射抜くようにまっすぐ自分の目を見ている。仮面をつけていなければ、おそらくは
耐えられないかもしれない。
「聖域の泉に、再び水が湛えられました。おそらくは先日の雨が原因と考えられます。以上です」
「ご苦労」
自分の震えに内心苦笑しながら、ディオは彼をねぎらう。
「カイルを捕らえるよう、命令を」
「それはいい」
しかしクランツの言葉に、ディオの口は勝手に動いて返事をしていた。
「あれのことだ。こちらから手を下さずとも、あれのほうからここへやってくる…あれは私を
憎んでいるからな…そうだろう?」
「は…」
クランツはクランツで、少しく面食らっていた。ディオが彼に対して、こんな言い訳をするのを聞いたのは初めてだからだ。
「他に報告は?」
「いえ。では失敬」
クランツが右手を瞼の上へつけるのを、視界の隅でとらえながら、ディオは再びデッキチェアへ身を横たえた。
(カイル…やはり戻ってきた。泉が湧き出たのは、だから、か?)
『生み出したもう一人の存在』が、再び姿を現した、それをシーダが喜んだからだろうか。
(どうでもよい。奴がまた、私の前へやって来るのだ)
我知らず出た身震いがは止まらない。この身震いは果たして怯えから来るのだろうか、
それとも…。
(嬉しいのだ)
自分と同等、もしくはそれ以上の力を持つ彼が、自分を倒しにやってくる。
(来い。倒して私の力にしてやる)
くくっ、という笑い声が、彼の喉の奥からかすかに漏れた。


『アーシーズ』。
この大陸が、地母神シーダによって創り出されたとき、彼女の懐から飛び出した二つの光が、
そのまま空へ飛び散ってあまたの星になった。寿命を終えたそれらの星は、ゆっくりと地に近づいて
人の形をとる。それが現在『アーシーズ』と呼ばれる者の始祖である。
やがて、その中でもひときわ強い光を放っていた二つの星のうちの一つが、大地へ落りた。
空へ留まるのを良しとせず、己の力を大地で試してみたいとの思いを抱いて。



これらは、大陸の民なら誰でも知っている伝説に過ぎないと思われている。
しかし、ディオの体を巡る血は教えている。それは伝説ではないのだと。大地にやってきたその星は、自分自身なのだ。
そして、もう一つの星は。
(やってこい、カイル)
ディオの手は、無意識に椅子の肘を握り締めている。ぎりぎりときしむその音すらも心地よく聞きながら、
(お前を倒して、私はより完全な存在になる)
夕日は、彼の仮面を赤く染め、やがて夜の帳の中へ消えた。



(昔は…あんな風ではなかった)
ディオへ報告を終えて、バルコニーへ通じる大きな窓をそっと閉め、クランツは廊下へ出た。
途端に、兵士たちのさざめきと軍靴の音に包まれて、わずかばかりに顔をしかめる。
「あ、クランツ将軍!」
その声に、ちらりと彼はそちらへ顔を向けた。廊下の角から彼を認めたらしい兵士の一人が駆けて来る。
「セルゲイ」
「聖域の泉が復活したんですよね? 良かったなあ」
「ああ」
まといついてくるセルゲイをそのままにして、彼は司令室へと歩き始める。
「クランツ将軍は」
クランツの無愛想にもお構いなしで、セルゲイは続けた。
「ディオの旗揚げのときから、ずっとお側にいらっしゃったんですよねえ」
「そうだ」
何を言いたいのかは知らないが、うるさい。半分は聞き流していた
クランツの手が、
「じゃあ、ディオの本当の顔についてもご存知なんじゃ?」
司令室のオートロックダイアルへ伸びかけて、
ぴたりと止まった。
「俺、いつも不思議に思ってるんですよ」
しかし能天気にセルゲイは話し続けている。
「あの仮面の下、一体どんな…ひっ!」
「口を慎め」
先を歩いていたクランツは、とうとう耐えきれなくなって、腰のサーベルを抜き、セルゲイの喉元へ突きつけた
「…お前に聞く権利があるとでも? お前は自分が可愛くて、友を売った。血をわけた従弟ですら、
お前は立身出世の道具にする。お前はディオの一参謀をもって自認しているようだが、
そんな人間を、本当にディオが信用しているとでも?」
「は、はは…冗談っすよ…怖いなあ。そんな顔、しないでくださいよ」
セルゲイは額から汗を流し、媚びるような笑いをクランツヘしてみせる。
「…とっとと己の持ち場へ戻るがいい」
「は、はい!」
見苦しいほどにうろたえて、セルゲイは駆け去っていく。
(ゲスが)
司令室の中央の椅子へ座り、コンピューターを眺めながら、クランツはそう考えた自分にしかし、苦笑した。
…たかが一部下の発言ではないか。
しかも、何かの考えがあって、言ったものではない。ただ単に、好奇心からくるものなのだ。
(カイル、やはり戻ってくるのか?)
あの人懐こい、大きな瞳を思い出して、クランツはそっと目を閉じた。
(出来ればあの方とお前を会わせたくはない)
手塩にかけて育てた、弟のように思っていた部下である。
(ダリスの元にいるのか。あれも元気なのか)
二人とも、部下である前に、自分にとって大事な存在だった。
彼らが二人ながらいれば…セルゲイのように、友を売って己の栄達をはかる不逞な輩は、少なくとも現れなかったかもしれない。
「クランツ将軍」
そして司令室へ入ってきた部下の一人へ、彼は首を振った。
「ディオの命令だ。カイルを追うのは中止とする。しばらく泳がせておく。以上だ」



…この壊れた塔の地下に、こんな場所があるなんて。
口を開けながら、恵美はキョロキョロと辺りを見回していた。
「はは、凄いだろ」
ダリスの従弟だというロブが、彼女を案内しながら自慢そうに鼻の下をこする。
「誰も、あんなボロい外見の下が、こんなになってるなんて
思わないだろうって寸法さ」
「ダリスさ…ダリスってすごいね」
「そうさ」
恵美の素直な賛辞に、ロブはほんの少しだけ寂しそうな顔をする。しかし、すぐにそれを隠して、
「あれはさ、溶鉱炉。あそこでここの施設全部の発電を
まかなってる」
「ふーん」
ダリスの精悍さは、しかし同じ血が流れているはずの彼には丸きり感じられない。どことなく自信が
なさそうな、おどおどしているような白い頬に、緑の目…。
ムースで固めているのだろうか、自分の世界でもファッション雑誌でちらりと見たことのある髪形を
してはいるが、その金色の髪が反って彼の頼りなさを証明しているようで…。
「で、アンタ…エミ?」
「は、はい?」
何となしに彼の顔を眺めていた恵美は、ロブがいたずらっぽくその目を輝かせているのに気づいて、
慌てて返事をした。
「『あの』カイルと、一体どういう関係?」
「え」
きょとんとした恵美へ、さらに彼は、
「アンタ、だってユーリとおんなじ顔、してるんだもん。おまけに指名手配犯(お尋ね者)だしさ。
一体どこでどうやって知り合ったのかなー、なんて」
「…ユーリ?」
「知らなかったのか? こりゃまた…忘れてくれ。ごめん」
「聞かせて」
慌てて口をつぐんだロブへ、今度は恵美が食い下がる。
「その人、誰? カイルは何も言ってくれない。詳しく教えて。彼が私の世界に来たわけと、
ひょっとして何かのつながりがあるかもしれないんだから!」
その迫力に負けてロブは頷き、話し始める…。



「やっと人心地がついた。サンキュな」
カイルは、柔らかいソファへどっかりと腰掛けて、目の前で微笑んでいるダリスへ礼を言った。
「どんな者でも、帝都から追われているヤツはかくまうのがミネルバの…いや、私の流儀だ、気にするな」
「サンキュ」
「ま、飲め」
ダリスは柔らかく微笑んで、カイルへ冷たい茶を勧めた。
「大体の経緯は聞いてる。お前さん、ムーザのあれに手を出さなかったんだって?」
「…ああ」
冷たいコップを両手で握り締め、苦い顔をしたまま、カイルは一気にそれを飲み干す。
「それで追われるハメになった、か…帝国若手要員NO.1にしちゃ、間抜けだな」
「ほっとけ。俺はもう、帝国の人間じゃない」
「だけど、懐かしい」
ダリスは、彼が見ているだけで、もう5本目のタバコへ火をつけ、遠い目をして微笑んだ。
支配者は、非情でなければならない。少なくとも、人の上に立とうとする者は。
「…表面上は、私はあの人に育てられたようなもんだ」
「だな。お前も『アーシーズ』だったから」
「あの人にとっては、一応『価値があった』わけだ。クランツは元気か?」
「ああ、今も…多分、お前のことを心配してる」
カイルの言葉に、ダリスは遠い目をしたまま微笑む。その唇を、赤い口紅が綺麗に縁取っている。
それから、つ、と目を逸らし、カイルは天井を仰いだ。
「お前は変わらないな」
「変われないさ。少なくとも、ミネルバの頭分だっていう、この立場から私は逃げられない」
ミネルバの王族は、ディオに滅ぼされた。
あまりにも幼すぎたダリスがその事実を知ったのは、養成所へ入れられて十年の後。
どこをどうやって、帝都の厳しい目をかいくぐったものか、とにかくミネルバの王族に従っていた者の
一人が、ダリスヘ『真実』を告げた。
「知ってしまったからな、私は。自分の敵に育てられたなんざ。私よりも小さな弟もいたのに…それも全部」
「…ダリス」
「だけど私は後悔していない。アンタと戦うことになったとしても…『力』じゃ、アンタには
全然叶わないとは分かっていても。だけど」
「ん?」
ダリスは、タバコを灰皿に押しつけて立ち上がった。
「アンタは私のところへ来た。それならそれでいいさ。敵の敵は味方だ。そう思っていていいんだろ?」
「感謝する」
厳しい訓練を共に越えた者同士の、ひどく親密な時間が流れる。
「さて、そろそろ晩メシだ。アンタの『レコ』も呼ばないとな」
「べ、別に俺と恵美はそんなんじゃ」
ダリスがいたずらっぽく目を輝かせるのへ、無駄だと知りつつもカイルは否定する。
「はは。アンタの心を読むのはやめておいてやるよ…けどなあ」
「なんだよ」
「彼女を口説くんなら、ピンクのバラの花束くらいはプレゼントしなよ?」
「てめえ!」
「おっと!」
ふざけた調子でカイルが繰り出す拳を避けたダリスの顔が、次の瞬間、険しくなる。
「どうした…!」
その彼女へ尋ねかけ、カイルも不穏な気配に気づいて、顔を引き締める。
「ダリス!」
そこへ飛びこんできたのは、監視役の兵士の一人だった。
「ムーザの奴らがやってきた! どうする」
「っち」
ダリスは小さく舌打ちし、それからカイルをちらりと見て、
「不可侵条約を破ったか。とにかく、ひとまずは応戦だ」
言い捨てて司令室を出、兵士たちへ激を飛ばすべくエア・カーゴへ向かう。
「状況は?」
カイルも並んで歩きながら、ダリスとその兵士の会話を聞いていた。
「ミューゲ御自らお出ましだ」
「ミューゲが」
カイルが思わず言い、大きく息を吐き出す。
ムーザのミューゲ。麒麟児と呼ばれている。当然ながら、『アーシーズ』の血をも引いていて、若干9歳ながら
ムーザではディオに対する随一の人物だと言われている。
「厄介だな。ヤツがどんな『力』を持っているのか、読み取れない」
アーシーズ同士では、テレパスの力は通じない。何故なら、心を閉じることが出来るからだ。
ダリスもまた、ふっ、と息を吐き出し、その兵士がレールガンを差し出すのを、うるさげに払って言った。
「私には要らない。恵美はどうした」
「ロブが」
「アイツじゃ頼りにならないだろ」
カイルが、苦笑混じりに兵士が答えるのへ言う。
(それにしても厄介だな…アイツが)
彼が以前、『手を出さなかった』少年が、ミネルバへ牙を向いたのだ。
「とにかく、俺は恵美の側へ行く。構わないか」
「ああ、行ってやれ」
ダリスは頷いて、そのまま廊下の角を曲がる。それをちらりと見て、カイルもまた、別方向へ駆け出した。


「ユーリさんって…そっかー」
溶鉱炉が、大きな音を断続的に立てている。地上まで続いているのだろうか。
それをなんとなしに見上げながら、恵美はため息をついた。
「ああ、ダリスとカイルの実の姉みたいな人だったらしい。特にカイルなんかはえらく懐いていて」
ロブは、恵美の横顔を見ながら話しつづけていた。おっとりしている風貌だが…見ていて心が和む。
ユーリに似ているだけでなくて、どことなしに地母神シーダにも似ているような気がする。
「だけど、ユーリは聖域に」
「うん」
ロブの言葉に、恵美は地面へ視線を落とした。
ディオは、カイルの敵、だと聞いている。カイルに無実の罪をかぶせてその存在を消そうとした、ゼノン帝国の大帝。
(支配者…為政者っていうのは、非情でなければならないって、
どこかで読んだなあ。じゃ、ひょっとしてディオが仮面をつけているのは)周りでは、
ミネルバ兵達が忙しげに動いている。再び顔を上げてそれを見やり、
「大変なんだね。戦争するって」
「はは、やれやれ」
恵美の発言にロブが苦笑したとき、地下施設が大きく揺れた。
同時にアラームブザーが鳴り響き、敵の襲来を告げる。
「何事だ!」
ロブが恵美をかばいながら、階段の上の兵士へ怒鳴ると、
「ムーザのミューゲだ!」
「ミューゲ!?」
「とにかく、エミを早くダリスの側へ」
「分かった」
ロブはその兵士へ怒鳴り返し、
「エミ、ダリスのところへ行こう」
「なんで?」
「ダリスの側が1番安全だからさ!」
恵美の右手を引っ張って走り出そうとした。が。
再び地面が揺れる。恵美の右手にある壁が、一瞬にして大きな口を開けた。
同時に、
「こんにちは」
いやに礼儀正しい、高い少年の声がして、恵美は思わずそちらを振り向く。
「ミューゲ!」
「やあ、こんにちは、ロブ」
ミューゲと呼ばれた少年は、にっこり微笑んでロブへ頭を下げた。
「『情報提供』、ありがとう。おかげさまでとても役に立ちました。だけど…」
(これが、ミューゲ?)
恵美は、しげしげと目の前に突然現れた少年を眺めた。
では、彼が、『カイルが片付け損ねた』ムーザの代表者の息子なのだろうか。
青みがかったキノコのような髪、そして理知を秘めて輝く大きな瞳。肩はほっそりしていて、まるで女の子のようだ。
「おい!」
しかし、ミューゲは後ろを向いて怒鳴る。たちまち屈強な兵士たちが3人、壁に穿たれた穴から現れて、
そのうちの一人がロブへ銃をつき付けた。
「ああ、貴方は怖がることはありません」
あくまでもにこやかに、ミューゲは恵美へ話しかける。
「僕はカイルとは違う。余計な人殺しなんかしない」
「違うわ、カイルは」
「ご同行願います」
恵美の言葉を遮って、ミューゲはまるで貴婦人に対するように恭しく、その片手を取った。
「あ…っ!」
しかし、その手は何かに弾かれて、ミューゲは渋面を作る。
「ミューゲ。エミをどこへ連れていく?」
「カイル!」
「現れましたね」
その姿を見た途端、ミューゲの渋面が憎しみのそれへ変わった。
そちらへ向かって駆け出そうとする恵美を、ムーザ兵たちが引きとめる。
「貴方にとって、大事な存在なのでしょう」
「…くそ」
銃を突きつけられて動けないロブへ、恵美へ、ちらっと目をやり、
カイルは悔しげに顔を歪めた。
「それとも、僕の父のように殺しますか」
「うるさい!」
「ああ、ダメですよ。手元が狂います」
いつの間にかミューゲは、小さなナイフを恵美の喉元へ近づけている。
「貴方さえ僕の要求を聞いて下さったら、エミさんは無事です。僕の要求は、僕が引き上げてからおいおい…では」
それだけを言い捨てて、ミューゲは兵士たちへ顎をしゃくり、自分の側を固めた。
「手荒なマネはしませんよ、絶対に。それはお約束しますから」
そしてそのまま、姿を消す。
「カイル! エミは」
「遅いよお前」
その後で駆けつけてきたダリス達へ、カイルは力なく文句を言った。
成す術も無く床に膝をついている従弟と彼を交互に見て、ダリスもまた、手にした銃の先を地面へ向ける…。



「そうか」
そして帝都では、ディオがその報告を受けて、仮面の下の口元を歪めていた。
「…『例の虫』は、ちゃんと動いているようだな」
「は」
答えるクランツの渋面を視界の隅でとらえながら、ディオはさらにその口を歪める。
「では、総攻撃だ。明朝、全軍をミネルバへ投入しろ」
「…御意」
何も言わずに、ただ顔をしかめたままで司令室を出ていくクランツへ、椅子にかけたままのディオはそれを回転させて
背を向けた。
…取るわけにはいかない、この仮面は。
為政者は非情でなければならないと、自らを戒めるためのもの。泣き、笑い、怒りさえも見せてはならないと。
だが、カイルは。
(あのままで、『素』のままで、皆から愛されていたな)
…羨ましい。
今なら、素直にそう思える。自分の思うままに、率直に振舞って、なおかつそれが皆に愛されるのが。
(ディオ、きっと俺は、貴方の名に恥じない兵士になります!)
いつでもありありと、あの日…養成所の全ての訓練を終えた兵士がディオに対面する日…のことを思い出せる。
あの瞳は、今もまっすぐなままだろうか。自分ですら、時には好もしいと思った、あの瞳は。
(ミネルバで、死んで欲しくない)
そう思ってもいる自分に驚きながら、ディオは天井を仰ぐ。



「問題は、だ」
そして恵美が連れ去られた後、いらいらと司令室の中を歩きながらダリスが口火を切った。
ミネルバの塔の地下基地のおもだった兵士が全て集められ、ダリスの言葉を神妙に聞いている。
「信じたくは無いが、この中に『チクリ』がいるってことだ」
「その通り」
途端にざわめく兵士たちを代表する形で、カイルも同意の言葉を吐く。
「でなきゃ、こうタイミング良くミューゲだって来ない。多分その『チクリ』、
ディオとも通じてるぜ? そう思っておいた方がいい」
さらに大きくなった兵士たちのざわめきは、しかしダリスが片手を上げると、ぴたりと静まった。
「…分かるか?」
カイルが、ダリスの目をまっすぐ見詰めて尋ねる。ダリスはそれへ頷いて、一人の兵士の前でその歩みを止めた。
「…あんただろ? 隠そうとしても、私には通用しない」
哀しみすら秘めた目で、ダリスはその兵士を見る。頼りなく揺れる金髪と、細かく震える肩へ視線を移しながら、
「理由は聞かなくても分かってる…だが、私の仲間に
臆病者はいらない。裏切り者の末路は分かるな、ロブ?」


それから数時間後、ミネルバの壊れた塔は、地下から炎を吹き上げて崩れ落ちた。



…続く。

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