ガラスノカケラ。 9




(さあて、いよいよ本番か!)
 三年生最後の期末テストも終わった。受験生だから、クリスマスだってお正月だって関係ない。
二月になるのってあっという間だ。カシタニさんにだって、「このまま調子をキープして、頑張れ。
大丈夫だ」なんて言われたし、後はこの、
(眠くてたまらないのを何とかしたいなあ、もう)
つくづく思う。私って、本当に寝なきゃダメな人間なんだよね、って、一緒の学校を志望してる子たちと一緒に、
「う、寒っ! でもここで寝たら死ぬ!」
「スカートはキツいねえ。ズボン、履きたいよねえ」
なんて言いながら、「寒風吹きつける中」を、オーテンと生山にそれぞれ願書を提出しに行ったりしていると、
本当に受験生なんだっていう、ちょっと怖いような思いがひしひしと湧いて来る。
(もーちゃん、ミーコ)
 だけど当然、この中には私の友達の姿はなくて、
(お別れなんだなあ…)
変に、すこん、なんて言う感じで晴れてる冬の空を見上げて、私は巻いているマフラーの中で首をすくめた。
 小学校からの「持ち上がり」も、ここで終了。本当に皆がバラバラになって、それぞれの道を行くんだ
…わ、ものすごく寂しい。
 それでも学校へ戻ってきたら、やっぱり少しだけホッとする。教室に入ったら、同じように願書を
提出しに行っていた子たちも戻ってきていて、
「で?」
早速、私の姿を認めて寄ってきたもーちゃんが、顎をしゃくって言った。
「で? って何」
「チョーシ、どう?」
「変わらないよぉ」
「そう?」
私が答えると、もーちゃんは少しだけ首をかしげて、つくづく私の顔を見る。
「ちょっと顔色、悪いような気がしてさ。ま、ムリしなさんな」
「大丈夫大丈夫。あと一ヶ月だけだもん」
「ま、ね」
バレンタインセールをやってたから安かった、なんて言って、私にチョコレートをくれながら、
「アンタなら大丈夫でしょ。けど」
もーちゃんは寂しそうに笑って、
「…マジ、友達で、いいの?」
 それが、中畑とのことを言ってるんだってすぐに分かった。答えようとした私を遮って、
「別々のガッコ、行くでしょ? 女の子同士だったら、連絡を取るのも気軽に出来るし、
離れ離れになるって気、しない。だけど、オトコへ向かって、友達だから遊ぼうっていう連絡、
アンタに取れる?」
「…そう、だね…」
「ブンソーオー?って? とにかくそんな言葉、あるっしょ。友達でいい、って言って、
もしも葦原に行った中畑に、ケツの穴の小さいアイツに見合ったカノジョが出来たら、アンタ、
それ聞いて平気?」
 …余計な形容詞はつくけど、恋愛方面でのもーちゃんの指摘はいつだって鋭くて、正しい。
「…うん…」 
 曖昧に私は頷く。本当は、今は受験のことだけを考えていなきゃいけない。だけど、好きな人と
別々の高校へ行くってことが、これだけ重くのしかかってくるなんて、ギリギリになるまで分らなかったから、
「その時になるまで、分らない…かも」
「っかー、優しいねえ、アンタ! ていうか、これがベンキョばっかで恋したことのない乙女のシコーカイロ、ってヤツ?」
「もう、もーちゃんっ!」
 すぐ近くの席で、戻ってきた金田が私達に背中を向けてる。だけどきっと金田にも聞こえているに違いないし、
「初恋は実らないものよ? ああ、切ないわねえ。なんだったら、アイツに最後の情けってな風に
チョコレート、渡す? 付き合うよ?」
「…ありがとうねっ」
最後の情け、だなんて、つくづく失礼な発言だ。入試まであと一週間だっていうのに、
「だーってアタシ、アンタと違ってただ『受けりゃいい』ガッコだもーん」
ってなわけで、もーちゃんはあっけらかんと笑ってる。
(そっかぁ)
 そのままなんだかミュージカル風に、他のクラスの子のところへ「アンタ、どうだった?」
なんておしゃべりしに行ってしまう彼女を見ながら、改めて思った。
 オーテンや生山に行ってしまえば、もうこんな個性的で素敵で、オシャレな友達はいないかもしれない、
それが本当に…寂しいって。
 でも、なんだかんだで一週間後、一番目にやってきた私立高校の入試も、とりあえず無事には終わった。
それでも公立高校との「併願組」にはまだ過酷な受験生活は続いていて、
「おい、川崎! お、浜田と後藤も一緒か!」
ほとんど自習ばっかりになってしまった学校へ、それでも皆は友達に会いにやってくる。私も同じように、
もーちゃんやミーコと校門から下足室へ向かっていたら、二階の職員室の窓から声がして、
「あ、おはようございまーす」
「お前、オーテン受かったぞ! さっき電話が来た! 浜田も後藤も受かってる。よくやった!」
朝の挨拶もどこへやら、カシタニさんが雷の鳴るような声で私達に教えてくれた。
(そんなおっきな声で言わなくても)
「はぁい、ありがとうございまーす」
でも、カシタニさんだって本当に喜んでくれてるってことが分かる。カシタニさんは、何といっても、
先生の中で一、二を争う生徒思いの先生だったのだ。
私達が三人で、苦笑しながら周りをそっと見回したら、
(あ、中畑だ)
偶然、同じ時間に登校してきていたらしい彼が、私を見て同じように苦笑していた。
(受かったのか)
その顔が、どこか遠い物を見るみたいな表情をしてる。中畑にも気付いたカシタニさんは、おんなじように
割れ鐘の響くような声で、彼の志望していた私立に受かったことを叫んで、
「…お疲れ」
「うん。中畑も受かったんだね」
下足室で上履きに履き替えながら、私達は短い言葉を交換し合った。
「だけどまだ、公立、残ってるもんね」
「そうだな」
「…ま、頑張ろ」
「うん。お前も。お前のが大変だろ?」
「大丈夫」
 かすかに笑って、私達はそこで別れる。ここで会えたし、今日は私のほうが少しだけ、登校時間が遅れたから、
中畑はいつものようには私のクラスの前を通らないだろう。
(別々の道、か)
そう思うと、下足室でこうやって別れたことすら切ない。それに、
(金田)
見てたのかな、って思った。中畑が近くの階段を登るまで見送ってた私の横を、金田は黙ったまま通り過ぎていく。
ミーコから聞いているんなら、金田は私が中畑を好きだった、ってことも知っているはずで、
(…結論、出さなきゃ)
公立高校の入試だけじゃない、色んなことに。曖昧なままじゃ、『卒業』できないような気がするから。
 公立高校の入試まで、一ヶ月を切った私立高校合格発表の日。朝からどんよりと曇っていたその日は、
昼から雪になった。

 その雪は、やがて跡形もなく消えて、
(三年間なんて、あっという間だったな…)
卒業証書授与、そしてこういう時にしか滅多に見ない校長の挨拶、なんて『式次第』は、体育館の中で淡々と続いている。
(本当に、お別れなんだ)
 周りで、クラスの子たちが目をウルウルさせたりしているけれど、私にはいまいち実感が沸かない。
なんとなく、ぼーっとしたまま式は終わって…ぼーっとしていたのは多分、受験勉強の寝不足のせいだと
思うんだけれど…そのまま体育館へ出ようとした私を、
「コーコ、お母さん、ちょっと先生方に挨拶してくるから」
呼び止めたお母さんに頷いて、
「少しだけ、校舎の中、見てくるからさ。校門で待ち合わせでいい?」
「いいわよ」
私は体育館の外へ出た。
(わ、春だ)
 憎たらしいほどに、外は晴れている。これで中学の校舎も見納めだ、なんて、ガラにもない感傷に浸りながら、
私はもーちゃんにもミーコにも内緒で、こっそりと校舎のほうへ続く渡り廊下を歩く。
「…よう」
「うん」
 私と中畑が初めて出会った場所。そこで、示し合わせたみたいに三回目、私達は出会った。
「…返事、するって言ったから。きっとここにお前、来ると思ったから」
「うん。ありがとう」
 私へ向かってぎこちなく片手を上げた中畑は、真っ赤になった顔を伏せながら言う。
「正直、今の今でも迷ってる。俺、お前には全然釣り合ってないんじゃないかって…高校だって、
あんな…『テーヘン』だから、お前と難しい話だって出来ない」
「…うん」
「だけど、もしも」
そこで、彼は顔を上げて私を見る。瓶底の眼鏡はあの時のまま、フレームだけが黒から銀色に
変わっていたけれど、その奥にある鋭くて、笑うと優しい感じになる目はそのままだった。
「もしも…今のままでよかったら、別々のガッコに行っても、ダチでいて欲しいって思ってる…俺を見てて欲しいって」
「…そう、だね」
「だって、そうしたらお前のこと、俺がオンナとして好きになれる可能性だってあるわけで、だから」
 ああ、やっぱり彼は優しかった。私って結構、人を見る目あるんじゃない?なんて思いながら、
「…ごめんね。ダメだ」
言った途端、涙が出た。
 迷うまでもなかった。もーちゃんに言われたからでもない。とっくの昔に、結論は出ていたのだ。
 私は、中畑の友達でいい、ただ話が出来るだけでいい、そう思った時から、これから中畑のことを
本当に好きになってくれるかもしれない女の子に負けていた。
 それに中畑の言うとおり、別々の学校に行ったら…授業内容だって経験することだって、なに一つ
共通点はなくなる。お互いの色んな『差』は開くばかりになって、話なんて全然合わなくなる…
それは今よりもずっとずっと辛いから、
「ありがとう、一生懸命考えてくれたんだよね」
泣いちゃダメ、なんて思ったら、余計に涙が出る。目を擦りながら告げようとした言葉は震えて、
「だけど、ね。頭が悪いとかそういうこと、全然関係なしに、私のほうがもうダメ。中畑のこと、
好きでいられる自信がなくなっちゃったんだ。ごめん」
「…そうか。俺のほうこそ、ごめん。もっと早く言えば良かった」
ついにしゃくりあげてしまった私へ、中畑はだけど私の大好きな顔で笑った。
「獣医になるんだよな、お前」
「…うん」
「頑張れ」
そう言って、中畑は大きな手を差し出す。その手をぎゅっと握り返して、
「さよなら。好きにならせてくれてありがとう」
私も泣きながら笑ったんだ。
 私と彼が初めて出会った場所。ずっとずっと忘れないでいようって思いながら。

 公立高校の入試は、中学校の卒業式の三日後っていう日程になっている。どうせなら、
入試が終わってから卒業式とかにすればいいのに、なんて、どうでもいいことを思いながら、
いよいよ本命の高校入試の日がやってきた。
「川崎さーん!」
「はーい、今行くよ!」
一緒に行こう、なんて約束をしていた、同じ高校を受験する子が、朝早くから私を誘いに来る。
吹く風にはほんの少しだけ春の匂いがして、
「お待たせ」
自転車に乗って待ってくれていた子に言って、私はその匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 公立生山高校。私の家から自転車で三十分ほどの距離にある、
(中畑が入院していた病院の近く、か)
共学の高校。近づくにつれて、周りには同じような制服を着て自転車に乗った中学生がどんどん増えていって、
「…ドキドキしてきたよ」
「頑張ろう、ね?」
その子と話し合いながら、私は高校の教室へ向かおうとして、
(ミーコ…?)
 ふと、高校の校門へ目をやった。そこには、私の友達の一人の姿が見えて、
(私を応援しに来てくれたんじゃないんだ)
金田のためなんだ、って、分かった。だって私が到着したのは、ミーコが現れた少し前。金田はまだ
来ていないのか、姿も見えない。専願だったミーコ自身の受験はもう終わっているはずだし、
(…本当に好きなんだね、金田のこと)
また、泣きたくなるくらいに切なくなる。
『友達でいいって言って、別々の学校に行った中畑が、アンタ以外の女の子をカノジョにしたとしたら、アンタ、平気?』
気付かなかったフリをして、教室へ続く階段を上りながら、私の頭の中に浮かんできたのはもーちゃんの言葉だった。
 もしも好きな人が別の高校へ行って、自分じゃないほかの女の子と彼女になって、それが自分の友達だったら?
それとは別にしても、せっかく出来たカノジョが、アイツは女友達なんだって言う「カレ」の言葉を信じなくて、
別れることになったら? それはそのまま、今の私とミーコにも当てはまることじゃないかって。
(…こっちも、か)
 学校単位で願書を出しに行ったから、私達は同じ教室で受験することになっている。二列横、教壇から数えて
三番目の…私の斜め前の席に着いた金田の制服の背中を見て、
(私は、どうすればいい)
自分に問いかけて、こっちの答えもとっくに出ていたことに、やっと気付いた。
 だから私は、配られた真っ白な解答用紙に、自分の名前だけを書いたのだ。

 エピローグ

 そして、高校に通い始めて一ヶ月。F駅で帰りのバスを待ってたら、雨が降ってきた。
(参っちゃったなぁ)
私はちょっと空を見上げて、ため息を着く。最寄のバス停から家に走って帰るにしても、この調子だと
雨は本降りになっているだろうから、濡れるのは避けられない。
 さてどうしたもんかと考えていたら、後ろから肩を叩かれて、私は思わず振り向いた。
「もーちゃん、ミーコ。あれ? 二人ともこっちじゃないよね?」
そこには懐かしい二人が立っていて、それぞれ新しい制服を着ながらニコニコしている。
「それはこっちの台詞。アンタ、なんでオーテンの制服なんか着てるわけ? 似合ってるけどさ」
 もーちゃんが、相変わらずの調子で話しかけてきてくれた。
「コーコちゃん、ほら、こっち来て」
 それに答えかけた私の腕を、ミーコが取って近くのドーナツショップへ引っ張っていく。
「…コーコちゃん、私に遠慮したでしょ? コーコちゃんが生山、落ちたって聞いて、びっくりしたんだよ、私ら、ねえ?」
席に着いてドーナツとドリンクのセットに手をつけながら、ミーコはもーちゃんにもフリながら、
いたずらっぽく私を見た。
「オーテンだったら親にも文句言われないシンガッコーとやらだし? 金田とやらにも会わなくて済むし?」
 文句を言い掛けた私を遮って、もーちゃんもニヤニヤしながら言う。まさにそうなのだ。図星だから、
私も思わず言葉に詰まってしまう。
「そうはトンヤがダイコンオロシってヤツよ、ほれ」
そこでもーちゃんが、私の後ろの店の扉のほうを指差すもんだから、つられてついそっちを見たら、
「…金田じゃん」
照れくさそうに笑って、公立高校の制服を着た金田が立っている。
「生山に受かったのはいいけど、小テストでアカテンばっかとって、親御さんが嘆いてるんだって。助けてやんなよ、コーコ」
「こればっかりは、私も無理だもん」
 言いながら、もーちゃんとミーコは、「お先に」なんて自分の分のトレイだけを持って、とっとと席を立っていった。
「…お前、ずりぃ」
 二人に「頑張ンな」「負けないで」なんてすれ違いながら言われて、顔を赤くしながら、それでも
私の席の前に座った金田は文句を言う。
「入試問題に白紙で出した女子生徒がいるって、今でも語り草だぜ? 浜田や後藤が連絡とってくれなきゃ、
ずっとこのまんまだった」
「…ごめん」
 金田に対しては私、別に謝らなくても良かったと思うんだけどなー、って思いながら、それでも私が謝ったら、
「…これ」
「あ」
 金田は、ポケットから取り出した何かを、手のひらに乗せて私に見せた。
「…もしも」
「うん」
 そこで、すっと真面目な顔をして、金田は私をじっと見る。
「もしも…これから、俺と、彼女として付き合ってくれる気があるなら、これ、受け取らないでいてくれ」
(もう、あれから一年経つんだ)
その手のひらに乗っていたのは、あの修学旅行の時、金田が持っていった透明なシーグラス。
 私はそれに両手を伸ばして、金田のその手をそっと閉じさせる。それが私からの金田への返事。

 傘を持ってきていた金田に家の前まで送ってきてもらって、何気なくポストを見たら、
(あれ?)
そこには珍しく、宛名が私になっている封筒が入っていた。少し多めの切手が貼られているそれを、
部屋へ持っていって開けながら、
(懐かしいな)
私は思わず微笑む。中に入っていたのは、彼なりに気を遣ったんだろう、
(『これ、返す。追伸…お前にあの時言われてやっと気付いたけど』)
青くて小さなメモ用紙と、他に何か小さなもの。
(今頃遅いって…もう)
その続きを読んで、私はその封筒へ改めてセロテープで封をしながら、切なさと一緒にほろ苦く笑った。
 鍵のかかる机の引き出し。その奥に仕舞い込んだのは、『お前が好きだった』と書かれた
小さなメモ用紙と群青色のガラスのかけら。


FIN


著者後書き;かなり脚色してますが、実はこれ、中学時代の恥さらしだったりします(苦笑)。
あの頃を思い出すと、今でも透明なガラスの欠片みたいだったなー、なんて照れくさく懐かしくなったり。
お付き合いくださいまして、ありがとうございました! (2009年6月17日連載完了)

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