ガラスノカケラ。 8




4 そして、これから

 やっぱりものすごく長かった三年目の夏休みも、気がつけば過ぎている。わりに
のんびりモードだったもーちゃんも、いよいよ目の色を変えて、
「ちょっとコーコ! これ! このアイドルいいよっ!」
…ないか。
「あのねえ、もーちゃん」
だから、昼休みごとにアイドル雑誌を広げる彼女へ、さすがに私も言うのだ。
「ちょっとは勉強したら?」
「いいのいいの。アタシが行くのはKタンプ。カシタニにだって、今のままでも
全然OKって言われたわよ、おほほほほ」
 けど、こんな調子でいつでも「右から左」。
「ミーコだって頑張ってんじゃん」
「ま、ね。あの子はOタンプだかんねえ。それなりにベンキョ、しないとってヤツでしょ」
「やれやれ」
 もーちゃんが言うところのKタンプっていうのは、K女子短期大学付属高校。で、ミーコの
希望のOタンプは、O女子大付属高校。どっちも私立で、二人はそれ一本、「専願」で行くらしい。
専願だと偏差値も少々多めに見てもらえるし、合格する確率だって高くなるから、っていうんで、
もーちゃんなんかは本当にマイペースだ。
「でも、大丈夫なわけ?」
「…アイツは、葦原、行くんだって」
「え」
すると私の言葉を遮って、もーちゃんは呟くように言う。
(葦原…)
ああ、やっぱりそうなっちゃったか、なんて、私はすごく失礼なことを切ない気分で思った。
「葦原にしか行けないようなオトコ、いい加減ふっきりな。同じオツムテンテンのほうだったら、
ほら! こっちこっち。最近デビューしたこの子らのほうがよっぽどいいって!」
「…は、あはは、もうっ」
 もーちゃんが押し付けるアイドル雑誌には、アクロバットをやってるアイドルの男の子達が載ってる。
確かにかっこいいけれど、世界が全然違うじゃない。
 葦原って、言うなれば「他に行くところのない中学生」が、一応進学するところだって、
その近所に住んでる人からの評判も悪い。
 三年になってから、本当にいきなり勉強だって難しくなって、
(ついていけなかったんだろうな…)
 もしもまだ『友達』だったら、勉強を教えてあげられるくらいは出来たかもしれない、なんて思った時、
「…今、ヒマか? ここ、教えてくれ」
「あ? ああ、うん。いいよ」
金田が、赤本を広げて私達の席へ持ってきた。
(K県立高校過去問、か)
 表紙を見なくても分かる。金田が尋ねて来たのは、去年の入試問題で一番難しいところで、
「あー、目が回るから、アタシ、失礼するわ」
もーちゃんは言いながら、そそくさと自分の席へ戻って行く。苦笑しながら見送って、
「ここまで出来るんだ。だけど、あとが分からない」
「うん、えっと、これだったら」
…正五角形の角だから、なんて言いながら、私も筆箱から鉛筆を取り出してその問題を解き始めた。
「…ここでこの公式を使えば、なんとかなったと…うん、これでいいと思うよ」
何とか答えを導き出せて、ふと顔を上げたら、
「…金田?」
「…」
金田は、なんだかぼーっと私の顔を見ている。だから、
「こら、聞いてんのっ! 不意の目つぶしっ!」
三年前、よくやっていたみたいに、私はいきなり片手を広げて、彼の両目をふさいだ。
「わ、やられた!」
「やられた、はいいけど、聞いてるの? 生山、行くんでしょ?」
「…うん」
「だったら、ほら、頑張らなきゃ!」
「うん。さんきゅ。おかげでここは分かった。さっきの『技』も、すげえ懐かしかった」
「あはは、そうでしょ」
 金田は、本当に久しぶりに私に向かって笑う。それが私も本当に嬉しくて、
(ミーコ)
それは金田を男の子として好きっていうのともまた違うから、少し戸惑ってしまう。ミーコが今、
ちょっと用事で先生に呼び出されていて良かった、なんて思いながら、
『中畑はね、きっと迷ってるんだよ。金田だって、人から好きって言われたのが初めてだって言ってた。
だから、どう答えたらいいか、自分の気持ちも分からないって』
 あの言葉を思い出したら、本当に、そうかもしれないって、今は素直に考えられる。中畑が本当に
迷っているのかどうかは分からないけれど、今、もしも私が金田に面と向かって好きだなんて言われても、
今の中畑みたいにシカトするか、曖昧な態度をとってしまうか
もしれないってこと…だって、『友達』なんだもん。
 失いたくない、だけど友達から好きだって言われたら、友達としか思っていないと答えることで
傷つけてしまうかもしれない。だから、何て言っていいか分からなくなる。
「お前さ。やっぱ、ヨユーなわけ? 生山」
「ま、ね。大丈夫だからこの調子で頑張れって」
「わ、憎たらしい答え。俺なんて、カシタニに厳しいこと、言われっぱなしだぜ」
…親は喜んでるけどさ、なんて、ブツブツ言いながら席に戻って行く金田を見ていたら、
(どうして皆、『友達』じゃいけないんだろう)
何度も思うことを、また思ってしまって、胸がちくちくする。
 私が女の子で、金田が男の子だった、ただそれだけの話で、男の子と女の子の間には、友情なんて
成立しないって言い切れるものなんだろうか。カレシカノジョになれなければ、赤の他人。そうしなければ、
(いつかそういう関係になれるって、期待させちゃうから?)
どっちにしても、本当に「惚れたはれた」って、
「めんどくさいなあ」
私が思わず呟いたら、ちょうどそこへ「終わった?」なんて言いながら戻ってきたもーちゃんが、
「そうそう、めんどくさい受験勉強と、少しの間だけでもお別れするために、コーコにはぜひ、
このアイドルをお勧めしますっ!」
「はいはい」
大きな音を立てて、また私の机の上へ雑誌を置いた。
(そうだよねえ。恋に恋するだけなら)
アイドルにするみたいに憧れてるだけ、なら、いっそそっちのほうが楽かもしれない。
 やがて少しずつ、吹いていく風が冷たくなって…気がつけば、三年目の文化祭は間近だった。

「いよっ、キマってるよ、孫悟空!」
「…ちょっとフクザツ」
三蔵法師の格好をしているもーちゃんの言葉に、私はムスッとしたまま答える。そう、今年のわれらが
英語部の英語劇は、何故か分からないけど「孫悟空」なのだ。
 弁論組にも、最後だからっていうんで出番がもらえて、私が一応、一番台詞の多い主役。主役だとは言っても、
「孫悟空だもんね…」
「ほらほら、もうすぐ出番だよ!」
自分の格好を見下ろして、ちょっとため息をついた私へ、観音様の格好をしているミーコも、にこにこしながら促した。
「はあい。さて、行くか!」
私も、自分の頬を自分の両手で叩いて気合を入れる。
 皆が言うみたいに、灰色っていうほどじゃないけれど、やっぱり少し息が詰まるような受験生活の中で、
部活動は格好の息抜きだったのだ。
(もう少しで、それもなくなる)
文化部所属の三年生は、この文化祭で引退。運動部の人たちはすでに夏休みで引退していたから、
私が今感じてるこの寂しさって、
(皆もきっと、感じてるんだろうな)
体育館の舞台でスポットライトを浴びながら、席をぐるりと見渡して見栄を切る。中学生活、最初で最後の
『舞台』になってしまったけれど、
(あ…見てくれてる)
中畑が、その席にいる。それが嬉しくて、われながらゲンキンだとは思うけど、練習の時よりも熱が入った。
(どうせなら、シンデレラとか、そっちの格好のほうがよかったなあ。猿だもんね)
「たはは」なんて思いながら、それでも席から楽しそうな笑い声が上がるのは嬉しい。
「ナウ、レッツ ゴウ トゥ ガンダーラ!」
最後の締めの台詞を、もーちゃんや他の子たちと一緒に言うと、同時に音楽が流れる。ゆっくりゆっくり幕は下がって、
「お疲れ様! 着替えたら、各自体育館へ戻ること」
(終わっちゃった…)
新保ちゃんの声で、嫌でもそう思った。
 上映時間、二十分。ずっと続いて欲しいような、舞台の上でだけ時が止まったような、そんな不思議な感覚は、
新保ちゃんが開けていてくれた部室に戻って、皆がまだちょっと興奮している風に着替えている間も
私の心の中で続いていた。
「あー、絡まった!」
「はいはい、ちょっとじっとしてて!」
もーちゃんが、ちょっと複雑なミーコの衣装の紐を解くのを手伝ってあげているのを見ていたら、
「はいはい、終わった人はさっさと体育館に戻る!」
新保ちゃんが手を叩く。だから、
「先、行ってるね!」
「はいはいよー」
「気をつけてねー」
私が言うと、そんな風に答えを返してくれる二人へ手を振って、私は部室から出た。
 走っちゃいけない、なーんて言われてる廊下を、ほんの少しの駆け足で体育館へ戻ろうとしたら、
「…お疲れ。お前の孫悟空、面白かった。笑った」
「…うん、ありがとう」
体育館の二階に続く、今は誰もいない渡り廊下。そこで突然、私の前は遮られる。
(ひょっとして、私が戻るのを、待っててくれてた?)
嬉しくて、泣きたくて、複雑な思いで、
「それから、さ」
改めて見たら、背はまた伸びたらしい。それをかがめるみたいに、彼は…中畑は、
「お前にもらったアレ、大事にしてる。他のヤツらが言ってるみたいに、お前みたく頭が良くなる、
なんて思わないけど、だけどちょっとくらいならマシになるかもって」
「うん…ふふ、ありがとう」
久しぶりに聞いた彼の、「私だけに向けられた声」。どれだけ聞きたいと思っていただろう。
「あの時の袋に入ってた紙、読んだ。ごめん、怒鳴って。それと、今までシカトして」
「…うん。こっちこそ、ごめん」
 メモ用紙を紙、って言うところがまた彼らしい、なんて思いながら、私の胸は一気に高鳴った。彼の顔、
もう見ていられない。思わず俯いたら、廊下と一緒に、相変わらず薄汚れてる彼の上履きが目に入ってくる。
「俺…本当にアタマ、悪いから…なのに、お前は全然違う。だから、どうしてお前が俺のこと、
そんな風に思えるのか、ずっと分からなくて…正直、今でも分かんない。お前にどうやって返事したらいいのか、
ずっと悩んでる。だってお前、女じゃ唯一、俺が普通に話せた『ダチ』だったから」
「…いいんだよお、そんなの」
 うん、そんなの、別にもういいんだ。こうやってまた話せた、ただそれだけで嬉しい。中畑のほうも、
ちゃんと私のことを『友達』だって思っていてくれていた、そのことが分っただけで、こんな風に…
泣けてきそうなくらいに嬉しい。
「返事、したいけど、俺の気持ちもこんなだから、分らない。だから」
「…うん」
 廊下には、私達二人だけの声が響いている。この瞬間も、永遠に続けばいいのにとこっそり思ったら、
「卒業式には、返事、するから」
その声に、チャイムの音が重なった。途端に、体育館のほうから皆が一斉にざわめく声が聞こえてくる。
休憩時間に入ったらしい。
「じゃあ」
「うん」
 短く言って、中畑も渡り廊下のほうへ歩いていく。
(おんなじ、だぁ)
どこかで見たと思っていた今の光景は、初めて出会った時と場所のそれとまるっきりおんなじで、
気付いた途端にとうとう涙が零れた。
「コーコ! あれ? まだこんなところにいたの?」
 廊下の曲がり角から、もーちゃんの声が聞こえてきて、慌てて俯いて目を擦ったら、
(確か、あの時もここに)
あの時、廊下に落ちて欠けてしまった、中畑の眼鏡の欠片と同じような場所に、ぽとりと雫が一つ落ちた。
舞台にまだいるような、夢の続きを見ているような私の中の時間は、そこでようやく終わりを告げたのだ。

to be continued…

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