ガラスノカケラ。 7




「コーコ、ちょっと」
「ん?」
 そして夜。さすが田舎、っていうべきなんだろうか。私たちの感覚じゃ、「まだ」
八時なんだけど、窓の外をのぞいてみたら、ホテルの周りには人影一人見当たらなくてしんとしている。
 なのに、部屋の中ではクラスの皆があっちこっちで固まって騒いでいて、
「ちょっと来て。ほら、来―い来い来い」
「どうしたの?」
そんな中、もーちゃんが私の肩に手を置いて、部屋から出るように促した。くっついて廊下に出たら、
「ミーコ」
「コーコちゃん、話があるんだ。ロビーまで、ちょっといい?」
ミーコが恥ずかしそうに、だけどすごく真面目な顔でそこにいた。
 消灯時間まで後一時間。私もうなずいてミーコやもーちゃんと並んで歩き出す。降りていったホテルの
フロントの前には、悪趣味な鎧や兜が並んでいて、
(毛利家当主が代々使用したものです、か)
そこを通り過ぎないとロビーにはいけない。なんとなくそれへ目をやりながら通り過ぎて、
海のほうに近いテーブルの席に私達は腰掛けた。
「あのさ、コーコちゃん」
セルフサービスです、って書いてあるお水を、もーちゃんが気をきかせて持ってきてくれる。それへ
「わ、ありがと」なんて言いながら受け取って、ミーコは、
「…今までごめんなさい」
両手でコップを握り締めて、その中をのぞくみたいに俯いたまま、そう言った。
「な、なんで? 私、謝られるようなこと、されてない」
だから私、焦った。だって本当に、今まで避けられていて寂しかったことは寂しかったけれど、
そんな酷いこと、されているって覚えがなかったから。
 もーちゃんのほうを見ても、もーちゃんも私から、っていうより私達から目をそらすみたいに、
ソファへ仰向けにふんぞり返っていて、
「…あのね」
しばらく黙った後、ミーコはまた話し始める。
「私、さ。去年、金田にコクったの。好きですって…小学校の時からずっと好きでしたって」
「…」
 私の頭の中に、去年の踊り場の映像が浮かぶ。そうじゃないかとは思っていたから、
そんなにも驚きはしなかったけれど、
「だけど、フラれちゃった。ううん、フラれること、分かっていたから別に構わなかったの。
私ね、知ってたんだ。金田には、小学生の時から、他に好きな子がいて、ずっとずっと
その子だけを思い続けてるってこと」
「…そう、だったんだ」
ミーコは一体、なにを言いたいんだろう。金田がどうとか、私には関係ないことじゃんね?
なんて思って、それでも他ならぬ友達が真剣に話していることだから、私も(聞いてるよ)
って風に真面目に頷いた。
「その子はねえ」
 寂しそうに笑って、コップの水を一口飲んだ後、ミーコはまた、私から視線を落とした。
「ものすごく頭が良くて、勉強以外のこともそこそこ出来ちゃうから、私、すごいなって
思っていて、どうしたらそんなにも頭が良くなれるんだろうって羨ましかった。
だって私は勉強も、顔も、何もかもがフツーだったんだもの。だけど…女の子としての可愛さ、
っていうだけだったら、絶対私のほうが勝ってるって…ものすごく私、嫌なこと考えてた。
だから私、金田に言ったんだ。
『私でよかったら、相談に乗ってあげるよ』
って。だって私は、その子と友達だったから。金田も『その時は頼む』なんて言ってくれて、
私は本当に何とも思われてなかったんだなって、はっきり分かっちゃった。でも、それからも金田と
話せるんだったら、ただの相談相手でもいいって…少しでも側にいたいって思って…今でも
ホントはそう思ってるんだ、私。中畑のこと、今でも好きな今のコーコちゃんなら分かるよね?」
「…ミーコ」
「『誰にも言うな』って金田、言ったの」
 私が思わずミーコを呼んだ声を遮って、震える声でミーコは話し続ける。
「『頼むから』って。いつかその子と同じくらい、ううん、その子よりもずっとずっと頭がよくなって、
その子に自分から『好きだ』って言えるようになるからって。私、その子には他に好きな男の子が
いるんだよって言っちゃったのに、それでもいいってアイツ、言ったの。それを聞いただけでも
敵わないって思ったのに、その子がどんどん可愛くなっていくから、どうやって話しかけていいのか
ますます分からなくなった、って相談された時は…もうダメだって思っちゃった。心の中でその子のこと、
私より全然女の子らしくない、なんて思ってた罰が当たったんだって」
ミーコが両手で握ってるコップの中へ、ぽとりと一つ、雫が落ちた。
「今でも心のどこかでね、私、金田がその子にフラれたらいいって思ってる。だから、早くコクって
フラれなよって。そしたら…ひょっとしたら、金田は私のほうを向いてくれるかもしれないから、って
…だけど昼間、金田がその子を探してどこかへ行くのを見ちゃったから、辛いの…こんな嫌な子が
友達だなんて、その子には思われたくなかったから、ずっとずっとその子の側にもいられなかった。
だけど私はやっぱりその子のこと、好きで、図々しいけどこれからもずっと、友達でいたいって思ってたの。
だから、お願い、コーコちゃん!」
そこで一つ、悲鳴みたいな声を漏らして、
「早くフッちゃってよ、金田のこと、さ…これ以上私が嫌な子になる前に…お願い」
ミーコは肩を震わせてしゃくりあげた。
(そう、だったんだぁ)
 長い長い「懺悔」の間、私の耳の中でミーコの声と一緒に響いていたのは、昼間聞いた波の音。
『シーグラスっていうんだ。これ、大事にするから一つくれ』
三年前よりも、ずっとずっと大きくなってしまった手が取ったのは、心に痛いほど透明なシーグラスで、
『俺、お前と同じ高校へ行くから』
あの時、彼が言ったのは、
(そういうこと、だったのかぁ…)
「全然、分からなかったよ。気付かなかった…ごめん」
私、なんて自分のことしか考えてなかったんだろう。苦笑いしてもーちゃんを見ると、もーちゃんは
黙ったまま唇を尖らせて、ミーコのほうへ顎をしゃくる。まだ黙って聞いてろってことらしい。
 大きくため息をついて、コップの中の水を一気飲みしたら、
「コーコちゃん」
ミーコが泣いて真っ赤になった目で、もう一度私の顔を見た。
「…金田も言ってたんだけどね。同級生としか思ってなかった女の子から好きだって言われたら、
返事に困るって。中畑の態度がグズグズしていて、中畑からの返事がないのは、きっと中畑も
迷ってるからだと思うの」
「だ、だけどあの時」
「病院のことだったらさ、私も言ったと思うんだけど、中畑は恥ずかしくて、思わずあんな風に
怒鳴っちゃったんじゃないかな。だって中畑、コーコちゃんに嫌いだって言ってないじゃん。だって私だって、
私よりも頭のいい金田にコクる時、思ったもん。頭が悪いから、もしも付き合えたとしても、金田には
釣り合わないかもって。だから、中畑もそうじゃないのかなあ」
「…そう、なのかな…話しかけてくれないっていうだけでも、十分嫌われてるような気がするけど」
 私はまた、苦笑いした。ああ、ほんと良く分からないな、男の子って。だけどもう、私にはもう一度
『押す』勇気はない。恥をかくのは一度で十分だし、
「心の中で『友達』だと思ってるだけで、私は十分なんだけど」
「そうなの? カノジョとかになりたい、じゃないの?」
私が言うと、ミーコは驚いたみたいに目を丸くする。
「うん。今みたいに目が合って、笑ってもらえて、それだけでもういい」
 そこんところが私の、やっぱりちょっと変わってるところかもしれない。辛くないっていえば嘘になるけど、
恋に恋してる状態も悪くないし、ちょっと大人びた、どこかの小説の中の登場人物が言った台詞みたいに
『惚れたはれたって、やっぱりめんどくさい』、私もそう思う。
「まあ、どっちにしても、ルール違反はあっちのほう」
 そこでやっと、今まで黙ってたもーちゃんが口を挟んだ。
「好きって言われたんなら、何か、そう、『イシヒョージ』?をして当たり前! フるならフる、
好きなら好きって返事をしないと、コーコとしてはいつまでたっても、新しいオトコを好きになれないってこと。
どっちにしても、コーコとアイツが付き合うなんて図、想像すらできないわよアタシャ」
「あはは、もーちゃんってば」
「あははは」
「笑いごっちゃないっ」
 いつもやってたみたいに、ミーコと私が思わず声を合わせて笑ったら、もーちゃんはテーブルを
  どんっと叩いてのたまった。
「だから言ったじゃないのさ。アイツにはコーコは勿体無い! そんなアイマイ?っていうの? 
そんな態度でいるバカなんざ、こっちから見限って、金田とやらに乗り換えな!」
 そこでまた、私とミーコは顔を見合わせて笑ってしまった。
「何がおかしいのよ」
もーちゃんが膨れて言った途端、
「こら、そこの女子!」
見回りの先生の怒鳴り声が響いてきて、私達は一斉に首をすくめる。
「消灯時間が近いから、はやく部屋に戻りなさい!」
「はぁい!」
「ごめんなさい」
 その先生の前をコソコソと通り過ぎてそれぞれの部屋へ戻って…、
(うん、ちゃんとある)
豆電球だけが照らしている部屋の中、自分のカバンのビニール袋に、昼間集めたシーグラスが
ちゃんとあるのを確かめてから、私も布団へ潜り込んだ。
(金田…ミーコ)
 いつもならそれだけですぐに眠れるはずなのに、目を閉じてもなかなか眠れない夜を、
私はその晩、生まれて初めて経験したのだ。


 修学旅行から帰ってきたら、もう夏だ。いよいよ周りは受験色が濃くなってきて、私も睡眠不足で
クラクラする頭を振りながら廊下に出た休み時間、
「川崎さん。弁論大会、今年も頑張ってね」
隣のクラスから、授業を終えたらしい新保ちゃんが私に声をかけてきた。
「受験にも有利になるからね」
「はぁい」
文化部のクラブ活動は、文化祭が終わってから引退、ってことになってる。そして今年も私は
『弁論組』に入っていて、中学三年生の弁論大会に出場するだけで、なにやら受験の内申に
有利に働くような仕組みになってるらしい。
(そういうの、やだなあ)
 私は伸びをしながら、新保ちゃんの背中を見送った。そういうのって、どこか学校に媚びてる、
っていう感じがする。優等生しか見てませんよ、っていう気がするから、自分にとってはトクかも
しれないけど、あまり今年はやりたくないような、でも楽しいことは楽しいからやりたいような、
変な気持ちだ。
「川崎さん! 私、シーグラスもらってないよ〜?」
「あはは、はいはい」
大きなアクビをしたら、教室の扉が開いて、中からクラスメイトがいたずらっぽく顔を出した。
「ちょっと待ってね。余ってるかなぁ」
『修学旅行土産』のシーグラス。ビニール袋に一杯あったから、「受験勉強のお守り」みたいにして、
なんて言いながらもーちゃんやミーコへあげてたら、
「川崎さんの頭の良さにあやかりたい」
なんてクラスの他の子も言い出して、結局クラスの女子、全員に配る羽目になった。
 今みたいに、いつ要求されるか分からないから、いつだって制服のスカートのポケットにそれは入ってる。
もうあと少しになったそれを取り出して、
「どの色?」
「これ、可愛いからこれにする」
その子が選んだのは、ピンク色に透けたシーグラスだった。
「ありがとう! これを見ながら勉強したら、私も川崎さんみたく頭、良くなるかな。あはは」
「あはは」
手を振りながら、彼女は教室の中へ入っていく。
(もーちゃんは…やれやれ)
 教室の中には、相変わらずアイドル雑誌やファッション雑誌を広げてるもーちゃんの姿や、そのアイドルが
載ってるグラビア部分だけを切り抜いてもらってる子、っていう風景が広がっていて、
(受験勉強はどこへやら、だよねえ)
でも、どことなく心が和む。こういった光景も、本当にあと少しで見られなくなるかもしれない…友達と
本当に別れ別れになる…本当に、寂しい。
 ちょっと感傷的になってしまって、慌てた。俯き加減になって袋をポケットにしまいかけたら、
「あ…れ」
ちょっと先の廊下の床に、女子のよりも一回り大きくて汚れた上履きが立ち止まったのに気がついた。
「…」
(中畑)
 三年生になってから毎朝、私のクラスの前の廊下を通って自分の教室へ行くようになっていた彼が、
私の前に立っている。この休み時間だって、私のクラスに何か用があるとは思えないし、音楽室や美術室だって、
そもそも私のクラスの前を通っては行けない位置にあるから、
「…」
何か用なのか、と尋ねかけた口をつぐんで、私は黙ったまま、しまいかけた袋を取り出した。
「…はい」
 彼へ渡したのは、群青色のシーグラス。受け取ってくれるだろうか、なんてドキドキしながら、
震える手で彼へ差し出して、
「…ありがとう」
おんなじくらい震えてるように見えた大きな大きな手の平が、上へ向いた。その手の中へ確かに群青色のそれは落ちて、
太陽の光を反射しながら眩しい光を放つ。受け取ってくれたことが嬉しくて、
「ありがとう」
私はもう一度、彼にお礼を言った。
(…頑張ろうね)
 黙ったまま、私に背中を向けて自分のクラスへ歩いていく彼へ、私はまた、心の中でその言葉をかけたのだ。
『それでも、やっぱり好きなの。今のコーコちゃんなら分かるよね』
 やっと仲直りできた友達の、あの時の言葉を思い出しながら。

to be continued…

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