ガラスノカケラ。 6




 それに、辛いのはもう一つ。
「ねえ、もーちゃん」
授業中も、休み時間も、体育の授業以外は大抵、中畑の視線を感じるようになって一ヶ月。
「何? バレンタインチョコ渡すから手伝えってか? だから、あんなの(中畑)に渡すなっての」
「違うよ、違う違う!」
 例によって、私の答えを変に先取りして言うもーちゃんに、私は苦笑して首を振った。
昼休みのお弁当を広げている私の席には、
「ミーコ、最近どうしちゃったの?」
最近ではお弁当すら、ミーコは食べにこなくなって、そっちのほうも心配だった。
「…私さ、ミーコに何かした? 私のせいなのかな」
「えー…っと。それは、まあ」
尋ねたら、もーちゃんはたちまちキョドって、とってつけたような笑いを口元に浮かべる。
「コイのナヤミってやつ。当分誰にも黙っておきたいんだって。コーコと会ってると、
どうしてもコーコにも言っちゃいそうだから、『誓い』は守りたいって」
「何よ、それ。言ってくれたっていいのに。友達甲斐、ないよ」
「まあまあ」
私が口を尖らせると、もーちゃんは誤魔化すみたいに、私の肩を叩いて、
「解決したらさあ、また三人で色々…遊ぶから、ってミーコも言ってるんだ。だからさ、
しばらくそっとしておいてやりな。アンタのことを嫌いになったわけじゃないんだよ」
「…うん…それなら、いいけど」
 正直、面白くない。いいけど、なわけない。どうしてもーちゃんには言うことを、私には
言ってくれないんだろう。私達、友達じゃないかって心の中でミーコに言い掛けたら、五時間目の予鈴が鳴る。
「アンタんとこ、次、英語? だったらごめん! 数学の教科書、貸して! 忘れてきちった、あははは」
「しょうがないなあ」
もーちゃんに頼まれるまま、私は数学の教科書を渡す。その時にまた、強い視線を感じて顔を上げたら、
「ミーコ!」
廊下側の窓には、こっちを見てた中畑と、その向こう側にもう一人の友達がいた。
 思わず立ち上がって、そっちへ走り出そうとした私の腕を、
「…だから、今はダメ」
「もーちゃん…」
思いがけない強さで、もーちゃんがぐっと握り締める。
(ものすごく、深刻な問題になってるんじゃないの…?)
 彼女の真剣な表情に、私は椅子から上げかけた腰をもう一度下ろした。話をするのも、
声をかけるのもダメだなんて、
「修復不能なんじゃない」
「そんなことない。そんなことないから、ミーコのことはアタシに任せてな。…じゃ」
私に、というよりも、自分に言い聞かせるように頷いて、もーちゃんは私のクラスから出て行く。
 入れ替わるみたいにしてクラスへ入ってきたモモコちゃんが、
「皆さんに、言っておかなきゃならないことがあります」
同じくらいに真剣な、少し寂しそうな表情をしながら私達に告げたのは、モモコちゃんの結婚についてだった。

 結局、バレンタインも、二年最後の期末テストも、そしてもちろんホワイトデーも春休みも何てことなく過ぎて、
(もう、あれから一年が経ったんだ…)
ミーコとはなんとなく(私には分からない原因で)離れ離れになったまま、私達はとうとう三年生になった。
 クラス替えがあっただけで、他は何も変わらないように見える学校生活だったけれど、
少しずつ、小さなところが変わった…と思う。一年の時から英語を担当してくれていたモモコちゃんは、
結婚退職してK県へいってしまって、今はもういないし、代わりにやってきた英語担当の先生は、
言っちゃ悪いけど「おばさん」だし。
(ケッコン、かあ…いいよねえ)
 モモコちゃんのことだから、きっとすごく綺麗な花嫁さんだったに違いない。私だってお嫁さんになることに
憧れていないわけじゃないけれど、
(その前に相手がいないと、こればっかはどうにもならんわなあ)
どんどん優しくなってく日差しの中、苦笑しながら見上げた同じクラスの貼り紙の中に、
(あったあった。三年三組、川崎香子。あ、もーちゃんだあ…と、金田。ミーコとはまた別のクラスかぁ)
浜田朋子、金田祐司の二つの名前を発見して、
(中畑…は、ああ、六組。これで辛くなくなるよね。これがクラス替えのいいとこかもしんない)
ホッとしたり「やれやれ」なんて思ったり。中畑の姿をダイレクトに見られなくなるのも辛いけど、
視線だけが合って、なにも話しかけてこられないのはもっと辛いから。
 ついに高校受験。来年は高校生になっているんだっていう実感は、いまいち沸かないけど、
獣医になるんだっていう夢は叶えたい。だから、
「四王天高校と、生山を受験したいなって考えてるんだけど」
一学期が始まってすぐの三者面談で、私は新しく担任になった、男子体育担当のカシタニさんへ言った。
「ふうん、すると『オーテン』を滑り止めにして、生山が本命か」
「うん、一応」
 男子の体育担当だから、ちゃんと私と話したことなんて、これがひょっとしたら初めてかもしれない。
カシタニさんは、がっしりした熊みたいな体を白い長袖のポロシャツに包んで、下半身はそれでも
気を遣ってるつもりなのか、セットになってるスーツのズボンを履いていた。
「『オーテン』が滑り止めってのも贅沢な話だと思うが…まあ、お前ならイケるだろう。頑張れ」
「はあい、ありがとうございました」
 お母さんも、安心したみたいに私と一緒に頭を下げた。
 『オーテン』を私が滑り止めにする、って言ったのを、カシタニさんが贅沢だって思うのも当たり前で、
四王天っていったら私達が住んでるN県一の、超難関私立女子高だって言われているのだ。当然、
偏差値だって生山よりも高い。
 東大や京大へ行く人だってバンバン出ていて、だったら私が目指す
(H県立大の農学部獣医学科なんて余裕だよね)
そう考えたからだ。
「今まで以上に勉強、頑張らなきゃいけなくなるけど、大丈夫?」
「大丈夫だって」
 そんな風にお母さんと話しながら教室を出たら、廊下に置いてある二つの椅子に、
(金田)
金田と、そのお母さんなんだろう人が並んで座っていた。お母さんは「あら」なんて言いながら
頭を下げあっていたけれど、
(金田は、どこに行くんだろう)
私が手を振っても、やっぱり金田はどこかムスっとしたまま、チラッと私を見たきり黙ってる。
(ま、どこへ行くかなんて本人の自由だし)
 思いながら、ふと廊下の先へ目をやると、他のクラスの前にはも同じように椅子が並んでいたり、
家族の人たちとそれへ座ってる子たちがいたりして、
(中畑)
廊下の曲がり角にある彼のクラス。その前の廊下には彼が、お祖母さんと一緒に椅子に座っていた。
(うん…頑張ろうね)
 彼も私を認めて片手を上げかけて、慌てた風に下ろす。それを見ながら改めて思った。
異性として好きとか、嫌いとか、そういうのはもうどうでもいいんだって。あんな風に罵られても、
中畑が私のこと、もしも嫌いでないなら、私は中畑のこと、心の中でこっそり『友達』だと思っていようって
考えたら、知らず知らずのうちに笑ってた。
 私も、私から目をそらした中畑へ向かってこっそり手を振ったら、
「川崎」
先生に呼ばれてこれから教室の中へ入っていく金田が、私を呼んだ。
「ん? 何、金田」
「…なんでもない。気ぃつけて帰れ」
…人を呼んでおいて、自分は背中を向ける…ほんと、おかしなヤツ。
(ま、どうでもいいけどさ)
こんな金田も毎度のことだし、もう三年目だから怒る気にもなれない。
お母さんに促されて、私も下足室へ続く階段を降りていった。

 三年生だから、って、灰色の受験生活ばかりしているわけじゃない。新しいクラスになって
一ヶ月経った五月下旬には、修学旅行だってあって、
「おっはようございます! コーコ、いる?」
「はいはい。ちょっと待っててね」
玄関で、お母さんともーちゃんの声がした。学校への集合時間は朝の五時半。だからっていうんで、
私ん家には朝の五時にはもう、もーちゃんが誘いに来ていた。
「…ミーコ!」
「うん…おはよ、コーコちゃん」
その側には気まずくなってしまったとばかり思っていた友達が、恥ずかしそうに立っている。
玄関先で彼女の名を思わず叫びながら、嬉しくて仕方がなくて、二人の顔を交互に見ていたら、
「ほら、行こ?」
「うん!」
もーちゃんが促した。重いカバンを提げて、私達はいつもやっていたみたいに、揃って私の家を出る。
 どうしてミーコがまた、私とこうやって一緒にいてくれる気になったのかは聞かない。だって
その気になったら彼女のほうから絶対に話してくれるだろうし、それに私のほうはミーコが
戻ってきてくれただけで嬉しいから。
「おおブレネリ、あなたのおうちはここ」
「そら自己解決やっちゅうねん!」
なーんて、いつもやっていたみたいにくだらない漫才をしながら、ようやく明るくなってきた朝の道を
歩いて学校に到着したら、校庭にはもう学年の半分くらいの子がいて、先生達とふざけあったりしていた。
 でも、
(…あれ?)
先生達が苦笑しながら、皆をクラスごとに整列させているその中…六組のクラスの列に、中畑の姿はなかった。
(どうしたんだろう。やっぱり体が遠出できるほどじゃない、とかかなあ)
 そのうち空はどんどん明るくなってくる。なのに中畑は来る気配すらない。
楽しいはずの修学旅行が、
(少しつまらなくなっちゃったかな)
そんな風に思えて、修学旅行前の先生達の説明を聞きながら、私は小さくため息をついた。
 バスに乗って新幹線の駅へ向かって…電車の中でも皆、楽しそうにわいわい騒いで、
「コーコ! そんなシケた顔してないで、ほら!」
「あ、ありがと」
修学旅行先、山口県の小倉まで、あと三十分。私達の修学旅行では、日本海側にある萩城跡や長州藩の
武家屋敷を見たり、秋芳洞を探検したりするらしい。
 もーちゃんがくれたおやつを一つ、あんぐりと頬張りながら、
(海、かあ。いいよね、海って)
修学旅行のパンフを改めて見ていたら、その萩城は、海の近くに建っているらしいって書いてある。
他に見るものもないし、もーちゃんはクラスの子たちにおやつを配るのに忙しいらしいから、とりあえず
その文字をつらつら追っていたら、
「…あれ、コーコ。アンタ、ちょっと顔色悪くない?」
「…酔った」
戻ってきたもーちゃんに言ったら、保健の先生も飛んできて、ちょっとした騒ぎになった。つくづく、
動いてる乗り物の中で文字を見るもんじゃないよね。
それでも、萩城跡の側の砂浜へ到着した時には、すっかり気分はよくなっていた。海水浴くらいの時にしか
来ない海だけれど、やっぱり吹いてくる風は気持ちいいし、
(やっぱり海っていいよね、いつ来ても)
私が思うことは、やっぱり皆も同じらしい。男子なんかは、早速靴下まで脱いで波打ち際へ入ったりしている。
(中畑も来ればよかったのにな)
その歓声が何故かちょっと心に痛くて、ミーコやもーちゃんがテトラポッドに腰掛けて話をしているのを幸い、
私は一人で皆から少し離れたところへ行ってみた。
(わ、綺麗)
 少し離れただけで、歓声はもう聞こえない。ただ寄せては返す波の音だけが聞こえていて、その砂浜には色とりどりの丸い、
(ガラス…なのかな?)
そんな欠片が落ちていた。
(持って帰ろう)
 …波に向かってそれは放れず、なんていう中原中也の詩が、そこで柄にもなく私の心の中に浮かんで、
一人でテレながら私はそれを空いたおやつのビニール袋へ入れ始める。
 これが、私の、私自身への修学旅行のお土産。お土産屋さんに並んでいるみたいな、ちょっとした
百貨店に行けば並んでるような全国共通の土産物よりは、こっちのほうがいいって思えたから。
「シーグラスっていうんだ、それ」
「え?」
突然、そこで声がかかった。驚いて顔を上げたら、いつの間にか私の側には金田がいて、
同じように腰を下ろしている。
「シーグラス。ガラスの瓶とかが、波に削られて丸くなって、それが波打ち際に打ち上げられたヤツ。
手伝ってやるよ。どれを持って帰るんだ」
「あ…うん」
 赤、青、緑、茶色、それから透明。色んな種類の「シーグラス」があって、
「シーグラスって言うんだ」
「うん」
それを一緒に集めながら、私と金田はなんとなく、ぽつりぽつりと話を始めていた。
私が尋ねると、金田は下を向いたまま頷いて、
「お前、覚えてるか? 小学校の時、俺、天文学者になりたいって言ってたこと」
「…うん」
「星のことも、宇宙のことも好きで、いつかそんなことを研究できたらって…今でも思ってる」
「そうだったね。そうなんだ」
小学校の担任の先生にも、「天文学者」だなんてあだ名で呼ばれていた金田。私にも冗談みたいに
貸してくれたことのある本は「宇宙」っていう題名と、どこかの星雲の写真の表紙のついてる図鑑だったっけ。
「でも、宇宙のことと、他の星のことを研究するんなら、まず自分が住んでる地球のこと、
知ったほうがいいって言われたから…色々調べてる。シーグラスのことも、つい最近調べて分かった」
「へえ、すごいね」
 素直に感心して、私は金田の横顔を見た。中畑よりも目はいいけれど、少し背は低い。
二年前にはぷっくりしていたはずの頬は、少しだけすっきりしたように思う。まん丸だった目は…
中畑と違って二重だってところは変わらないけど、少しだけ鋭くなったように思う。何よりも
こんなにも、どこか大人びたみたいな顔をすることはなかったように記憶しているけれど、
(皆、自分の目標を持ってるんだなぁ)
いつまでもコドモのままじゃいられない…私も。過ぎていく時間は、どうしたって止められないんだって
改めて思って、少し、ううん、ものすごく寂しくなる。
「けど、天文学者になるためには、地学部に入らなきゃならなくて…ほら、これ、綺麗だから」
「うん。ありがとう」
 ビニール袋へ大きな赤いシーグラスを入れてくれながら、金田は話し続ける。
「地学部のある大学って、レベルが高いんだ。だから、俺も」
「ん?」
そこでふと手を止めて、金田は私の顔を久しぶりにまともに見た。
「俺も、お前が行く生山を目指してる。俺、中学に入ってからつい油断して遊んで、少し成績が下がった。
だからトン高と聖風の標準コースだったら安全圏だって、カシタニに言われたけど」
「…」
 トン高、聖風…富美丘高校と私立男子校の聖風高校。二つとも、私が目指してる高校よりもランクは一つ下で、
「だけど、俺、生山に行くよ。お前だったらヨユーだろ? そう思ったから、俺」
何と答えていいのか分からなくて、私は黙っていた。けれど、ひょっとしたら金田だって私の答えを
期待していたわけじゃなかったかもしれない。
「お前が行くから、俺は」
 そこまで言って、金田も黙ってしまった。しばらくの間は波の音だけが響いていて、時々ずっと遠くのほうから、
学校の皆のはしゃぎ声が聞こえてくるのが、嘘みたいに思えた。
「…これ、一つくれ」
 突然、金田は私が持っていたビニール袋へ手を入れて、集めたシーグラスを一つ取り出す。
「大事にするから」
砂が、ざくっ、と大きな音を立てた。私から踵を返して皆がいるほうへ向かっていく金田が持っていったのは、
透明なシーグラス。


to be continued…

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