ガラスノカケラ。 5




3 それでも、やっぱり

 放課後の英語部の部室は、文化部なのにいつになく慌しい。
 あれから一ヶ月。熱かった日差しもやっと柔らかくなって、
「ジョカントク! ほら、ぼーっとしない!」
「はいはい」
もーちゃんのがなり声に(秋なんだなあ)なんて思いながら校庭を眺めていた私はハッとする。
止めていた手をまた慌てて動かして、カボチャの馬車へポスターカラーの絵の具を塗っていく。
 英語部の今年の出し物は、ミュージカル英語劇のシンデレラ。台本は新保ちゃんが担当して
英訳されたもの。途中で踊りが入る、最初から最後まで英語の台詞で演じる二十分足らずの
劇だけど、毎年割りと好評で、
「アタシらの見せ場だかんね。新保ちゃんが来られない時に、ジョカントクのアンタが
しっかりしてくれなきゃ、どうすんの」
魔法使いのおばあさん役をやるもーちゃんは、自分のクラスからもらってきた壊れた箒の柄を握ってる。
魔法の杖にするつもりらしいその先につける予定の星の板を、糸ノコで切るのに忙しいんだって、ぶうぶう文句を言った。
「うん、ごめん」
 苦笑いしながら謝って、
(そうだよねえ)
私は思う。私ごときの一人や二人、失恋しようがしまいが、普通にガッコはあるし、
季節だって変わらずやってくる。
(シンデレラ、かあ)
「はい、舞台装置の作成はそこまで! 最初から通し稽古を始めるよ!」
 丸めた台本を片手へ打ち付けて、吹っ切るみたいに私は叫んだ。運動部みたいに大会のない
私達文化部の、一年に一度の見せ所。
(去年は赤ずきんちゃんだった)
 私はだけど、去年も体育館にある『舞台』には立っていない。そこにいたのは三年生だった
先輩達で、私達下級生は裏方だった。今年は私も何かの役をもらえるかな、なんて思っていたんだけれど、
弁論大会組にはそっちへ集中しなきゃいけないからって、役をもらえなかった。
(出たかったけどなあ…来年はどうなんだろう)
 …今年は、三年生の先輩達がいない。だから、私達二年生が英語部の「最上級生」。弁論組は
それでもナレーターとか、私みたいに助監督とか、裏方に回されてしまったけれど、
(中畑に見てもらえないんなら、別にいいや)
つたないけれど、一生懸命皆が作った衣装。それを着て一生懸命、たどたどしい英語の台詞をしゃべって…、
(私、まだアイツのこと、考えてる)
「はい、一旦休憩!」
 一通り稽古は終わったところで、私はこっそり苦笑しながら号令をかけた。もうそろそろ出張に出ていた
新保ちゃんもクラブに来るだろう。
「十分後にまた、それぞれの小道具の製作を開始すること! 以上」
私が続けると、後輩達や同輩達はそれぞれホッとしたような息を吐いて、三々五々、散っていく。
私もカバンに入れておいた水筒を取って、窓際にぽつんと置いてある椅子へ座ったら、
「コーコ」
「ん? なあに、もーちゃん」
やけに深刻な顔をして、もーちゃんがそばの椅子へ同じように腰を下ろして、
「ごめんね」
「へっ。なんで?」
「アタシがさあ、アンタの恋、めちゃくちゃにしちゃったんじゃないかってさ。ずっと悩んでたんだ」
「ど、どうして」
「ちょっとちょうだい」なんて言いながら、もーちゃんは私の手からひょいと水筒を取り上げた。
そのフタを空けてお茶を一口飲んで、
「だってアンタ、あの日からずっとおかしいもん。アタシがあの時、見舞いに行こうなんて言い出さなきゃ、
あんな風にケッテーテキに」
「そんなこと、ないよぉ」
返された水筒のお茶を、私も一口飲んで慌てて手を振る。
「遅かれ早かれ、ああなる流れだったんだよ…多分ね」
「そう、かな…」
「そうだよ。だから、気にしないで。ねっ!」
もーちゃんへ頷き返しながら、
(まだやっぱりふっきれてないんだなぁ、私)
でも、思い出すのはあの雨の日のこと。
私達の教室で、こんな風に二人だけで雨のグラウンドを眺めてたあの日。思い返すとガラスみたいに壊れて、
その欠片が心に突き刺さってしまいそうな気がして、私はそのたびに慌ててその日のことを心の底へ閉じ込める。
「だけど」
「もーちゃんてさ」
 言い掛けたもーちゃんを遮って、私は笑って続けた。
「魔法使いのおばあさんみたい」
「へえっ? 何それっ!」
「うん、本当。魔法使いのおばあさん」
「繰り返すなっての! アタシがバアさんみたいだってか?」
「あはは、違う違う、そういう意味じゃないよ!」
「どういう意味だっつの」
たちまち真に受けて怒り出す私の友達をにこにこしながら見上げて、
「私にとって、もーちゃんは魔法使いのおばあさんだったってこと。本当に感謝してるってこと。ありがとう」
私が言ったことは、本当。だって、女の子が可愛くなれる魔法、もーちゃんが教えて…かけてくれた。
きっとそれは、私が忘れなければ(髪の毛を毎日梳いて、リップクリームを毎晩塗って、爪を磨いて、
かかとの角質に一週間に一回は気をつけて…)ずっと続く素敵な魔法。ただ違うのは、
(私はシンデレラじゃないってこと)
「なっ…もう、いいよっ! とにかく、アンタが元気ならそれでいいっ」
照れて顔を赤くして、怒ったみたいに言って、もーちゃんは私から離れて行く。むすっとした顔のまま、
板を星型に切る作業に戻った彼女を見送った後、私は手の中で丸めた台本へ目を落とした。
 シンデレラ。英語での原題は「灰かぶり姫」。
(私はシンデレラじゃない、そういうこと)
 …素敵な女の子になれる魔法をかけてもらったのは、私もシンデレラも同じ。ただ違うのは、
私には王子様がいなかった、それだけの話なのだ。
 変わらなく続く、退屈な日常。そこにまだ中畑がいない…退院してきていない。
  何度教室の彼の席へ目をやっても、そこに彼がまだいないってことがわずかな救いで、
(会いたい。嫌われてしまったけれど、やっぱりせめて見ていたいな)
心がちぎれそうなほどに辛かった。
 それに、
(ミーコ、どうしたんだろう)
もう一人の友達の様子も、最近おかしい。もーちゃんには普通に笑顔で話をしている風なのに、
「ミーコ! これ、ここんとこ、ちょっとほつけてるよ」
「…うん。分かってる。私も気になってたんだ」
ほら、私へは何だかものすごくぎこちない笑顔しか返してこないんだもの。
裁縫やお料理っていう、「女の子のこと」が得意で、いつかデザイナーになるんだって言ってる彼女。
「直しておくね」
「うん、助かる」
何気ない風に会話をしながら、ミーコの返事が素っ気無いことに少しだけ私は傷ついてた。
 最近は、お弁当も同じクラスの子達と食べるから、って言って、私のクラスに食べに来ない。
思い当たる節が全然ないんだけれど、ひょっとしたら私、彼女を傷つけることを無意識にしていたのかも。
強いて言うなら中畑のお見舞いについて来てもらったことだけど、
(謝る…のも変だしなあ)
どっちかっていうとあれは、もーちゃんが強引に誘ったっぽい、っていうのもあるし。
(友達、だもんね)
 私の気のせいかもしれない。文化祭前で忙しくて、ピリピリしてるだけかもしれない。だから、
またいつかミーコが普通に、笑顔で話しかけてきてくれる時だって来る…そう思って、四ヶ月。

 結局、文化祭が終わっても、クリスマスがきてもお正月が終わって三学期が始まっても、
ミーコの私への態度も相変わらずだったし、中畑は学校に帰ってこなかった。
(よっぽど体の具合が悪いのかな…)
やっぱり心配で、そしてそんな風に思っても中畑には迷惑なんだって自分に言い聞かせながら過ごしていたら、
いつの間にかもう三学期になっていた。
そのしょっぱなにある実力テスト。先生達も言ってたけれど、これが高校への進路を決める大事なテストの
一つなんだってことで、皆の顔も少しだけいつもと違って見える。なのにその日になっても中畑は
学校へやってこなくて、
「なっかん、大丈夫なのかなあ。進級できんの、アイツ? ねえ、モモコちゃん」
(なっかん…中畑のこと?)
一科目めは英語。終わったテストを集める時、モモコちゃんに尋ねてるクラスメイトの声を聞いて、
思わず胸がドキドキした。男子が普段彼をそう呼んでいることくらい、私だって知っている。
「四ヶ月近くもガッコ、休んでさあ。いくらギムキョーイクだからって出席日数とか、
成績のほうとか大丈夫なわけ?」
 関係ないんだから聞くまいと思っていても、自然に私は聞き耳を立てていた。
「大丈夫よ。病院のほうへちゃんと、PTAからお話が行ってるし、そういった子専門の先生が、
病院のほうで授業をして下さってるから。でも、もうそろそろ帰ってくるって私は聞いてるけど」
「そうなんだ?」
 モモコちゃんが言うのへ、そのクラスメイトは少しだけ安心したみたいに言ったけど、
(大丈夫じゃないよ、ねえ?)
中畑の成績、悪いけど私、知ってた。もーちゃんが言うように、テストではいつも九十点以上は取っていた私の、
せいぜい六割か七割がいいところで、二学期まるまる休んじゃったらそれこそ成績はガタ落ちなはずで、
(葛居寺や白鳥どころじゃなくて、ひょっとするともう)
彼が行きたい、なんて漏らしていた『地元四校』にすら行けない成績になっているんじゃないだろうか。
 なんて考えて、
(それこそ、余計なお世話じゃん)
テスト用紙を集めて黒板の前の教卓へ置きながら、私はため息を着いた。
 最初から分かりすぎるくらい分かりきっていたことなのだ。私と中畑が全然違う高校へ行くはずだってこと。
中学で…会えるのはこれっきりになる可能性のほうが高いってこと。
(『動物のお医者さん』になるっていう夢を、「たかが」恋のために諦めるなんて、それこそ
馬鹿みたいな話だって思うところが、私が普通の女の子とは違うっていう何よりの「証拠」かもね)
 もーちゃんは「アンタよかアイツのほうがよっぽど変人だよ」なんて言ってたけど、私がクラスの
「女子側の変人」であることには変わりないわけで、その変人と噂になったっていったら、そりゃ嫌だったろう、
なんて今では私自身も思ってる。
それに、なによりも中畑にフラれてしまった私が、中畑と同じ高校へ無理に行くなんて、彼にとっては
迷惑な話以外の何物でもないじゃない。
(中畑と同じ高校へ行ってもいい、なんて馬鹿じゃん)
 自分で自分に呆れながら席に戻りかけたところで、
「お、なっかん! 帰ってきたんじゃん!」
「おお、お帰りー!」
クラスメイト達がざわめき出した。…思わず顔を伏せて、私は足早に自分の席へ戻る。
「あら、中畑君! お帰りなさい」
 教室の扉が開く音がする。モモコちゃんが懐かしそうに言う。
「もう具合、いいの? 学校に来て大丈夫?」
「…うん。昨日、退院した。テストだけでも受けてこいって言われて」
 ああ、顔を上げたい。上げて彼の顔を見たい。だけど、見ちゃったらきっと泣いてしまう。
「じゃあ、英語だけは今日、お昼から職員室で受け直せばいいわ。私が時間、測ってあげる」
「うわあ、サイアク」
「頑張れよ、なっかん!」
 楽しそうな笑い声が、背中に痛い。席へ座って顔を伏せて、
(いつか戻ってくるって、戻ってきて欲しいって思ってたはずなのに)
これまで自分が中畑へやったことを思うと、恥ずかしくて顔が熱くなった。
 好きです、って言わなきゃ良かった。そもそも好きにならなきゃよかった。どうして私なんかが
中畑のこと、好きになっちゃったんだろう。
 それきり「受け入れの儀式」は終わったらしい。ちらっと顔を上げると、中畑が教卓の前を通り過ぎて、
自分の席へ歩いていくのが見える。
(あ…)
そこで彼は、大きな深呼吸を一つして小汚いカバンを置いた後、私のほうを振り向いた。
 目が悪いのは相変わらずらしい。瓶底眼鏡の奥の、鋭くて大きな目でじっと私を見てから、
開きかけた口を閉じて、すっと瞼を伏せる。
(私、に?)
 …何か言いたかったんだろうか。今更、私なんかにかけてくれる言葉が彼にはあるんだろうか。
(もう、全然関係ないんじゃない)
誰かの歌にもあったけど、「友達だったのに、他人よりも遠く見える」ってこと、本当にあるんだ。
 そんな彼から私も顔を背けた。そこで二科目め、数学のテストの始まりを告げるチャイムが鳴って、
(顔色は少し悪くなったけど…背は、すごく伸びたんだね)
少しぼやけた目を擦って、私はテスト用紙へ向かったのだ。
 三学期が三ヶ月しかないのが、
(ほんと、助かる)
四月になればまた、クラス替えがある。そしたら中畑ともクラスが別になる可能性だってあるし、
彼の姿を見て苦しいのも少しは楽になるかもしれない。だから、彼からのシカトを堪えればいいのは三ヶ月だけだ。
苦笑しながらそう思って、十分くらいで解けてしまったテストの解答用紙を何度も見直していたら、
小さくアクビが出た。
(さて、もういいや)
 計算間違いのチェックも終わった。まだ終了時刻まで二十分もある。ぼんやりと窓の外を眺めていたら、
びゅうびゅう音がして木枯らしが吹いていて、
(うわあ、寒そう)
暖房が効いている教室の中だっていうのに、思わず首をすくめてまたアクビをしたら、
窓側の席に座っていた中畑とまた目が合った。
 一瞬だけ…一瞬だけだけれど、確かに彼は私を見て柔らかく笑っていて、私と目が合うと
慌てたみたいに反らしてしまう。テストの間中、それはずっと続いた。
(…こら、もう。ねえ、中畑)
そんな小さなことなのに、フラれたはずなのに、嬉しくて胸がドキドキして、
(アンタのこと、好きでいて、いいの? もう分かんないよ、私)
なのにそれ以上に…辛かった。

to be continued…

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