ガラスノカケラ。 3




2 切なくて

 案の定、
「はぁ〜、やっぱりかぁ。でも、なんでよりによってあんなヤツ」
私が話したことへ、もーちゃんは呆れたみたいな答えを返してきた。
 地区の英語弁論大会はどんどん近づいてる。期末テストも無事に終わって、
後は夏休みだけなのだ。
 放課後の教室は、すごく暑い。クラブの始まる前っていう中途半端な時間だから、
部室にもまだ私達以外誰も集まっていなくて、
「よりによって、コーコの初恋の相手が性格悪いあのどスケベエだなんて」
「もーちゃん…」
行儀悪く下敷きで顔を仰ぎながら、もーちゃんが続けた言葉に、私も(あんまりだ)なんて思った。
 もーちゃんや他の女の子達が言う、「中畑はどスケベ」の根拠は、
「アンタも知ってんでしょ? アイツ、小学校二年のときにお母さん、亡くなってて、
そんで、お祖母ちゃんが家のこと、やってんだよねー。うるさく言われないから、
えちい本の一冊や二冊、買ってたって分からないらしくて、小学校六年の時からよくウンチク、
男子の間で披露してたよ」
と、いうところから来るらしい。
「一応、協力したげる。アンタには、宿題とか手伝ってもらって世話になってっからね。
でも、言っとく」
 顧問の新保ちゃんが来る前に、こっちのほうを少しでも勉強しろ、なんて、もーちゃんは
私が広げてる英語の教科書に覆い被せるようにして、ファッション誌を置いた。
「アイツには、コーコは勿体無い。フラれるの、覚悟しときな? はい、髪型からとっくり読む!」
「…はいはい」
 苦笑いしながらそれでも、もーちゃんが言うようにその雑誌へ目を通して…
(私は別に、中畑の彼女になりたいわけじゃないんだよね)
「アンタには、こういうのも似合うよ。あと、爪磨きしてみ。そんで、シャンプーの種類とか
変えてみな」
なんて言うもーちゃんへ頷きながら、
(ただ、側にいたいだけ)
好き、っていう前に『友達』でありたい、そう思っていた。
(どうして私、女なんだろう)
そうも思った。だって中畑と同じ男なら、ずっと側にいられる。
「アイツの好み、アタにもよく分からないけどさぁ。自分のために可愛いくなろうと努力してる
女の子にコクられて、悪い気のするオトコはいないからね。だからほら、ちょっと女の子らしくしてみな」
「はぁい」
(正論、だよね)
 もーちゃんが言うのは正しい、そう思う。恋をしたから、とかそういうのじゃなくて、
女の子なら普段からそういったことに気を遣って当たり前かもしれないし。
 それに普通の女の子なら、
(ゲームなんて、あんまり興味ないよね…)
中畑から借りたRPG、まだ全然終わっていない。「分からないところがあったら聞け」、
なんて言ってたくせに、最近は私と目があってもぷいっと向こうを向いてしまうし、
私が話しかけようとして近づいたら、すっとどこかへ行ってしまったりするから、
(早くクリアして返さなきゃ)
ゲームのスイッチを入れるたび、そんな中畑のことを思い出してすごく辛くなる。
やっと見つけたと思えた、普通に話が出来る男友達。それが同級生のあんな、なんでもない一言で
すぐに無くなっちゃうなんて…たった二ヶ月の、はかない友情だったなぁ。
 だけど、
(フラれてもいいから、言っておかなきゃ)
そうも思う。…私は男の子としての中畑が好きなんだ、ってこと。
「はいはい、だからね、毎朝ちゃんと髪の毛を櫛で解いてツヤを出すとか。そういうところでも
女の子っていう意識が出て、かなり違ってくるよ?」
「うん」
 もーちゃんの「授業」に頷きながら、そんなことを考えていたら、
「センパーイ、しんぽちゃんが来たよ!」
後輩が教えてくれた。たちまち「ヤバ!」なーんて慌てて、もーちゃんがその雑誌を
カバンヘ隠すのを苦笑いしながら見ているうちに、
「はい、お待たせ。弁論組は、いつものメニュー始め! 一年生と他の子たちは文化祭劇の背景、下書き!」
普段は社会の授業担当なのに、なぜか英語部の顧問をやってる新保ちゃんは、扉を開けるなり
そう言った。きっちりし過ぎてる先生だから、ちょっとその点での生徒達の評価は辛いけれど、
「あら、後藤さんは? ここのところ、体調を崩してるみたいだったから、お休みかしら?」
自分の担任でもないのに、ちゃんとクラブの一人一人を心配してくれているところでは、皆も感謝しているのだ。
「川崎さん、ちょっと探してきてくれる?」
「はあい」
 『弁論組』でも、少し日程には余裕のある私に、新保ちゃんは振り向いて言った。他の子たちは
私みたいに終業式直前、なんていうゆっくりした日じゃなくて、もう数日後とか、一週間後とか、
そんな風に切羽詰ってるから、
(そういうエコヒイキをしないところも、私は好きだけどなあ)
部室から外へ出ながら、私は思う。悪いんだけど、
(体育のヨネさんなんて、エコヒイキしまくりだもんねえ)
生徒からの評判の悪い先生とつい比べてしまって、少しだけ涼しい廊下の空気を吸い込みながら、
まさにその先生が目の前の窓の外を横切ったのに慌てたり。
(どこにいるんだろ。まだ教室かな?)
 ミーコちゃんは、二組で、もーちゃんは一組。だからもーちゃんもミーコちゃんがどこにいるか
知らないわけだ。とりあえず二階の教室へ行く事にして、少し静かになった階段の踊り場を曲がったら、
「…ごめん。だから、…言うなよ?」
(あれ、金田?)
そんな声が聞こえてきた。そっと手すりの陰から覗いてみたら、
(ミーコちゃんだ)
小学校の時の、私の『悪友』と、ミーコが何やらただならぬ雰囲気を漂わせて、そこにいる。
「ううん、謝らないでよ。知ってたから。…うん、ただ、言っておきたかっただけなんだ。誰にも言わないよ」
「頼む…本当に、ごめん」
 そんな会話を聞きながら、私はなぜか、
(ここにいちゃいけない)
そう思ってた。
 鈍い私には、その時の二人がどんなことについて話していたのか、本当に全然分からなかったし、
第一、人のことにあれこれ首を突っ込むのは私の性に合わない。だから、
  「おーい、ミーコ、ミーコちゃーん」
足音を忍ばせて階段の下へ降りて、そこから、いかにも今声をかけました、風に私は叫ぶ。
「声がしたけど、そこにいるの?」
われながら、「コソク」だとは思うけれど、ともかくそんな風に言いながら、今度はわざと
足音を立てて階段を上っていったら、
「あ、ごめんごめん! 今、行くよ!」
慌てた風に、この『お人よし』で気の弱い友達は私を見る。ミーコの側にいた金田は、
私をちらっと見たきり、そのまま背中を向けて二階の廊下を走っていった。
「新保ちゃんも探してたよ? どこか具合でも悪い?」
「ううん、平気」
 私が言うと、ミーコは首を振る。同時に、きっちり結わえた綺麗なお下げも一緒に回って、
(平気なわけ、ないじゃない)
その目が赤い。金田に何を言われたんだろう。
「ほら、行こ? コーコちゃん、弁論大会の練習、大変じゃない。早くしないと」
心配だったから、聞きたい。けれど、その時のミーコには、何だか尋ねちゃいけないような
雰囲気が漂っていたから、
「…うん」
私はただ、そんな風に頷いたのだ。

 中畑にはシカトされたまま、弁論大会の日はあっという間に来て終わった。
 終業式の日、私は英語部の他の『弁論組』の子たちがそうされたように、全校生徒の前で
『表彰』されて、そしてそのまま…なんとなく、夏休みは始まった。
 皆が喜ぶ夏休みって、なんて退屈なんだろう。やっと七月が終わって、八月になって、
(ガッコに行きたいな)
つまらなかったはずの中学校。私も去年までは夏休みがあるのが本当に嬉しかった。なのに今では、
(行きたい。行って普通に授業を受けて…中畑に会いたいよ)
四十日の夏休み。中畑に会えない夏休みが長くて長すぎて、切ない。せめて普通に授業があれば、
中畑に会えるし、中畑の姿だって見ていられるのに。
『友達』だから、電話番号だって住所だって交換した。『友達』だから、まだ返せていないゲームで
分からないところがあるって、電話で聞いたっていいはず。なのに、
(シカトされちゃったら、電話だってかけ辛いよ。ゲームだって返せない)
こんなにも休みが長く思えたのなんて、生まれて初めてじゃないだろうか。
 その日も宿題を終えて、けれど机から離れる気にもなれずに、そのまま机に顎をつけて
ため息をついていたら、
「香子、電話よ。浜田さんから」
お母さんの声が一階からした。
「何って?」
 部屋の扉を開けると、途端に暑苦しい空気が私を包む。私の部屋と同じように扉を閉め切って冷房してる、
涼しいリビングへ入りながらお母さんへ尋ねたら、
「知らない。何だかとても慌ててたわ。香子さんをお願いします、って」
微笑ましい、っていう風に笑って、お母さんは言った。
「へえ…?」
首をかしげながら、私は受話器を取り上げる。途端に、
「コーコ!? 大変大変」
「あのね、もーちゃん」
もーちゃんの声が耳にガンガン響いて、思わず文句を言い掛けた。
 だけど、
「中畑が、さっき救急車に運ばれてった! 私、偶然見ちゃったんだけど!」
「な…ん」
一瞬、言葉を失ってしまった。中畑が? どうして?
「妹の弥生ちゃんとも私、一応知り合いなんだ。だからちょっと捕まえて聞いてみたんだけど、
昼ごはんのあとで急に苦しみだしたんだって! 一応、H病院で精密検査して、事と次第によっては、
もっと別の病院に移るかもって」
「一体どうして」
 私が尋ねたら、
「さあ。食べすぎじゃないの? それか、食中毒とか、似合わない勉強のし過ぎでアタマに来たとか」
…どこか的外れな答えが返ってくる。
「…食中毒? だったら別の病院に移るまでもないんじゃないの?」
「あ、そっか」
もーちゃんって、切羽詰って私に知らせてきてくれた割には変に冷たい。
「ともかく、また何か分かったら、イの一番にアンタに知らせるから! じゃっ!」
 電話はそこで切れた。
(イの一番、か…)
…中畑だけじゃなくて、彼の妹とも知り合いなんだって。
別にもーちゃんが中畑のこと、全然何とも思ってないって分かりすぎるくらい分かってるのに、
胸がちくちくする。過去の中畑と時間を共有したことがある、そのことが羨ましすぎるくらい羨ましくて、妬ましい。
(お見舞い、行ったほうがいい、よね)
 そんな風につまらないことで嫉妬している自分自身へ苦笑しながら、私は受話器を置いた。
中畑のことなら、多分担任のモモコちゃんからまた、詳しい電話なんかがあるかもしれないし、
ひょっとして入院、なんてことになったら、やっぱりお見舞いにだって行きたい。
 …だって、『友達』なんだもん。


to be continued…

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