ガラスノカケラ。 1
プロローグ
「帰れ! お前ら、帰れ! 二度と来るな!」
入院していた彼が叫んだ。
…足元が、音を立てて崩れていくような気がした。頭の中が一瞬にして真っ白になって、
私はそのまま、振り向きもしないで、一緒に来てくれていた二人の友達のことも忘れて、
その病室からエレベーターへ向かって走っていった。
私の背中で、病室の扉が乱暴な音を立てて閉まる。そして、
「何、アイツっ!」
私を追いかけてきてくれた友達の一人が、憤慨して叫ぶ。
「せっかく見舞いに来てやったのに、帰れって、何っ! だからあんなヤツ、コーコには
勿体無いって言ったじゃんっ!」
「…ごめんね、もーちゃん」
エレベーター、どうやって降りたんだろう。気が付けば病院の入口で、泣きそうになるのを
必死に堪えながら、私はその友達に謝った。
「…コーコちゃん」
病院から出て、一番近い駅へ戻りながら…雨が降ってきたけれど、私達は濡れたまま…
もう一人の友達が、そっと私の肩に手を置いて、
「でも私は、中畑君の気持ちも分かるよ。いきなり女の子が尋ねていったら、恥ずかしいかも」
「こらミーコ! 何言ってんのっ! とにかく、あんなヤツ、退院してきても
シカトしてやんな、ね、コーコッ!」
「…あはは」
私は、キノコ頭をしたこの友人へ力なく笑った。あの言葉を投げつけられた私本人よりも、
勝気そうなもーちゃんのほうがよっぽど腹を立ててるって…ちょっと分からない。
各駅停車しか止まらない、小さな小さな駅。来る時のドキドキ感とは裏腹に、
(…帰りたくないな、家に)
人がいるから、泣きも出来ない。
お父さんやお母さんにも黙って出てきた『校区外』。来た電車は空いていた。
今の天気と同じくらい、情けない気持ちで家へ向かいながら、
「忘れな。あんなヤツ、コーコにはホント、勿体無い」
「…うん」
「コーコちゃんには、もっともっと、コーコちゃんと同じくらい頭が良くて優しい人、
出てくるよ、ね?」
「うん…ありがとう」
私を挟んで両隣の席に座った二人へ、私は呆然としたまま、ただ頷いていた。
1 あの日から
中学生って、つまんない。ただ勉強が出来るってだけじゃだめみたい。女友達は一杯出来たけれど、
なんだって男の子って変に意識して話しかけてこなくなるんだろう。
ついこないだ、入学したばかりだと思っていた学校で、
(もうクラス替えだもんね)
一年生の時、私の席につきながら私は授業中、こっそりため息を着いていた。
(金田とも違うクラスになっちゃったしなあ。二年のクラス替えで、同じクラスになれるかなあ)
そしてそんなときには、小学校六年生の時、同じクラスでいつも私へちょっかいをかけてきていた
男の子のことを思い出す。
「ほら、川崎! 川崎香子(たかこ)!」
中学校は、他の小学校と私の卒業した小学校からの「持ち上がり」で、中学に行ってからだって
友達と別れるわけじゃない。卒業式でだって皆、泣かなくて、
「わ! 冷たいじゃんっ!」
小学校のグラウンド。卒業式も終わったからって帰りかけた私に、水の雫がかかった。
「もう、最後の最後までっ!」
「いい反応するの、だってお前だけなんだもーん!」
「待て、金田祐司っ!」
水で濡らした手のひらの雫を私にかけた金田を、私は追い回した…それまでいつもやってたみたいに。
私達のお母さんもそれを見て苦笑してたっけ。
金田とは小学五年と六年の二年間、同じクラスだった。小学生の頃なんて、「アタマがいいヤツ」
なんて認識はあっても関係なく、結構男子も女子と話し合っていたような気がする。
(ま、私だけかもしれないもんね。男の子に話しかけもしてもらえない、なんてさ)
中学に入ってから、それが一変したのだ。
(アイツ、頭はいいけど話しづらいよな。俺らに分からない答えが返ってきそうだし)
(何考えてるか分からないじゃん。校則だって変に守ってるし、真面目なだけで面白くなさそう)
中学の一年間で、私、自分が男子にどう言われてるのか知ってるし、だからってわけじゃないけど、
別に同年代の男の子に興味があったりとか、よく思われたいとかじゃない。私のことを男子が
どう言っていようと、ほんとに
(どうでもいいもんね。私には獣医になるという目標があるのだ)
男子に注目を浴びている同級生の女の子を見ても、どうでも良かったんだ。
「コーコ! ほらほら、またそんなムズカシイだけの本、読んでっ!」
「もーちゃん」
そして、授業終了のチャイムはいつもみたいに気だるく鳴った。早速楽しみにしていた推理小説を
カバンから取り出した私の席に、他の中学から「持ち上がってきた」友達がバタバタ近づいてきて、
「ほらっ、アンタには、犯人を捜すよりも、こっちのが大事なの!」
「もう、分かった分かった。しまうから返して」
彼女は…浜田朋子は、私の手から文庫を取り上げ、代わりに彼女がこっそり持ってきたティーンズ向け
ファッション雑誌を私の机の上に広げるのだ。
苦笑している私に構わず、
「アンタ、こういう髪の毛にしたほうがカワイく見えるよ。そんで、ハンカチはこういうのが今は可愛いの」
「そういうの、興味ないんだよねえ」
「だから、それがいけないの。アンタ、結構肌だって白いし、髪質だっていいんだからさ。
ほら、ちょっと見せて」
言いながら、私の肩まで伸びた髪の毛へ指を伸ばして、クルクルといじったりもする。
それが極々自然な動作で、
(貴重な友達だよね)
なんて、「女の子女の子した」子なんだろうと思う。マッシュルームっていうらしい髪型は、
本人によるとハネないようにムースで毎朝形を整えているらしいし、爪の先にはこれもこっそりとだけど、
校則違反のネイルアートだって、
「挑戦してるんだ。私、アンタみたいに頭良くないからさ。こういうのが将来やりたいの。なんたって
未来のカリスマ美容師だからね」
綺麗に彩られている。
「絶対に資格とって、アンタにもやってあげる。実験台になってよね。約束だよ! アンタは、
もうちょっとオシャレに気を遣ったほうがいいって」
「うん。ありがとう」
そこへ、
「あ、やってるやってる」
「ミーコ! ほら、こっちこっち。新しいアイテム、入ってるってさ」
「どこどこ?」
もう一人の友達がやってきた。
「あ、これ可愛いねえ!」
なんて、もーちゃんへ笑いかける彼女…小学校の時、クラスに転校してきて、それからずっと
付き合いが続いてる後藤美子(よしこ)は、ちょっと気が弱くて、
「だけどそろそろ、英語部、始まるよ? だから呼びに来たんだけど…」
こういうことを言う時も、どこか遠慮がちなのだ。そして何の因果か、
「ほんとだ、行かないと! ほら、急ご」
「はぁいはいはい」
「新保先生に怒られないといいねえ…」
部室用に使われている教室へアタフタと向かう私たち三人は、同じ「英語クラブ」に所属しているんである。
「部室」に入ると、クラブ仲間や志望高校に合格した先輩達ももう五、六人集まっていた。皆で英語の発声練習をして、
卒業していく先輩と、
「今度の英語劇、何をやるって?」
「シンデレラなんです」
「へえ…頑張ってね!」
「はい!」
なんて話をして…。
だから私、大事な大事な「女友達」がいるだけでよかった。それだけで中学の三年間は
過ぎていくもんだと、そう思い込んでいたのだ。
「残念、今年も同じクラスじゃなかったねえ」
「うん、残念」
だけど、『異変』が起きたのは、中学二年に進級した四月のこと。クラス分けの表を見ながら、
もーちゃんやミーコが言うのへ、私も苦笑して頷いていた。
「ま、お弁当の時とかはまた遊びに来るから」
「うん。待ってる。私からも行くよ」
そんな風に言って、二年生の新しい教室へ入って、
(ああ、モモコちゃんなんだ)
一年生の時から、英語を担当している教師が今度は私の担任なのだということを確認して、
(また、退屈なだけの授業が始まるのかぁ)
私は思わず大きなアクビをしたものだ。
ただ顔ぶれが変わっただけ。これからまた、同じ曜日に部活はある。
始業式だから、授業はない。午前中だけで『ガッコ』は終わって、皆が当たり前みたいに
それぞれのクラブ活動へ急ぐのと同じように、私もいつものように英語部の部室へ急いだ。
今日は、「後輩」がクラブに入ってくる。だから、
「センパイとして、いいトコ見せなきゃ、あははは」
もーちゃんがそう言って笑ってたみたいに、私も遅れるわけにはいかないんだけど、
「はい、お疲れ様。今度からは遅れないようにね」
「はーい、ごめんなさい」
図書室から借りていた本、担任のモモコちゃんから聞かされるまで、返却期間のことをすっかり忘れていた。
慌てて校舎三階の東の端にある図書室まで行って、その本を返して、それから一階の一番西の端にある部室へ走って…、
「わ、わわわ、わっ!」
慌てていたから、足がもつれた。飛び降りるみたいにしていた階段から、私はよろけて、
「…痛ぇ…」
…私の下から、そんな声が聞こえる。私はどこも痛くなかったけれど、
「わ、うわあ、ご、ごめん! ごめんなさい!」
私は、その「物体」から慌てて降りた。私のお尻の下には男子がいて、
「いや…構わないけど…眼鏡」
よろよろ起き上がって、四つんばいのまま、両手で廊下を探ってる。どうやらよっぽど目が悪いらしい。
気が付けば、側に黒ぶちの…何だか牛乳瓶の底みたいなレンズが嵌ってる眼鏡が転がってるから、
「こ、これのことかな…」
「あ、それ…あーあ」
「ごめんなさい…」
私がおずおず差し出したそれを受け取って、両手で眼鏡のつるを広げて、男の子は大げさにため息を着いた。
ぶつかった時の衝撃が、よっぽど大きかったらしい。レンズの右側が一部分欠けて、ガラスの欠片がひとつ、廊下へ落ちている。
「ご、ごめんなさい! あの、お父さんとお母さんにも言って弁償するから、クラスと名前を」
「…同じクラスじゃん。俺、中畑一馬。二年六組」
「え?」
思わず目を丸くして彼を見つめた私の表情が、少しおかしかったらしい。こっちが少しムッとするほどに吹きだしながら、
「お前、川崎だろ? 川崎香子。お前は俺、知らなかっただろうけど、変人だって評判だから、俺は知ってた」
「う…」
「弁償なんて別にいいよ。家に帰りゃ、替わりがあるんだ。だから、気にすんな。それよか」
私の荷物も、派手に落ちたせいで廊下に散らばってる。ぶちまけられてしまった中味の一つへ彼は目を留めて、
「へえ、珍しいなあ。『優等生』のお前が、こんなのもするんだ?」
「そりゃ…まあ」
それは、流行のゲームソフトだった。ファッションとか、おしゃれとかに興味が無い代わりに、
「神様」とやらはどうやら、そっちのほうへ私の興味が行くように私を作ったらしい。
「もーちゃんに貸してあげようと思ってさ」
「もーちゃん…浜田のことか」
「そうだよ。知ってるの?」
「当たり前だって。同じ小学校だったもん」
「そっかぁ」
私が彼を知らないのも当たり前。彼はもーちゃんと同じ小学校からの「持ち上がり」だったのだ。
「でも、マジ意外。お前、こういうの、ケーベツするほうだと思ってた。ほら、立てるか?」
「うん」
差し出された手を、私は素直に取った。その拍子に視界の隅で、壊れた眼鏡のレンズの欠片が映って、
(金田…)
懐かしいな、って思った。こんな感覚、久しぶりだ。
「じゃあな。俺もこれから部活。良かったら、これからお前が持ってるソフト、貸してくれ」
「うん、いいよ」
やっと「普通」におしゃべりできる男子が現れた。嬉しくて、大きく頷いた私に、
「今度は階段から落ちるなよ? じゃあな!」
「ふん、だ!」
中畑はからかうように言って、その大きな手を振る。渡り廊下の向こうにある体育館へ、その姿が消えるまで
見送ってから、私も部室へ急ごうと背中を向けたら、
(あれ、金田?)
そこに、昔の級友の姿を見つけて、私は思わず小さく手を上げたけど、
(…変なヤツ。やっぱりアイツも同じだったかぁ)
…男だ、女だって意識して…この一年の間に私を「変人だ」って思ってしまったのかもしれない。
金田は私から、ぷいっと顔を背けて走っていってしまったのだ。
to be continued…
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