追悼の波 11




「あら、あなたたちは」
すると、夫人は目ざとく彼らを見つけて微笑する。
「昨日はどうも」
それへ曖昧に頭を下げて、
「さっきはあの」
「ふふ。大変だったわ。主人、川村さんに関わる時はいつもああなのよ」
言い淀んだ柳川に気を遣ってだろう。彼女を優しく見つめて、夫人の
ほうから言い出した。
「川村さんのお孫さんが亡くなるちょっと前もそうだったわ」
「ちょっと前?」
「ええ」
 柳川が首をかしげると、微苦笑して夫人は続けた。その眼差しの先には
  彼女の夫である津山がいて、K機構の役員らしき人間と歓談している。
「夜中にね、かかってきた電話。どなたかしらと思って私が取ったら、大学の
塚口さんからでしょう。いつもこの時期には、学生さんたちの卒業論文で忙しいから、
主人に指示を仰ぐ人も多くて、夜中の電話なんて慣れっこになっていたのだけれど」
石崎と柳川は、無言で頷いて彼女の話へ耳を傾けた。
「そのうちに、電話のある部屋から聞こえてくる主人の声が、少しいつもと違うような
気がして…いつもなら慣れているから、すぐに眠りにつけるのに、あの時は気になって眠れなかったわ」
「どうしてです?」
柳川が口をつぐんだまま目を伏せているので、石崎が代わりに促すと、
「薬がどうとか…薬は飲ませたのかとか、効き目は数時間だからとか、そんなに時間を
取っちゃいけないとか…最後には、くれぐれも頼んだよって。ええ、きっと学生さんが
していた研究のことについて話しているんだろうって。けれど、声がどことなく
切羽詰っているような、焦っているような…だから、一度は寝床に入ったのだけれど、
こっそり覗きに行ったの。そしたら」
津山夫人は、そこで大きく重い吐息をついた。
「ガラス障子に映ったあの人の顔を、私は一緒になって初めて怖いと思ったわ。
気のせいかもしれないけれど」
「それは…一体」
柳川は依然、黙ったままである。石崎が再び問いかけると、
「昼食のお時間ですので、お召し上がりになる方はこちらへ移動なさってください!」
葬式会社の人間の声が響く。
「…ありがとうございました。奥様も、どうかお元気で」
それをきっかけにしたように、柳川はようやく口を開いた。夫人へぺこりと頭を下げて、
そのまま寺の門をくぐり、外へ出て行く。
 石崎も慌てて夫人へ頭を下げ、彼女の後を追った。
「…皆と一緒にメシ、食わないのか」
声をかけると、
「…食欲、なくなった」
柳川は彼を見ずにぽつりと答える。
「焼香、していかないのか?」
「…できへん」
どうやら冗談を言える雰囲気でもないらしい。かける言葉が見つからず、彼女と
並んでただ黙って歩く石崎に、
「…川村君、背が高かったから」
「うん」
彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
「吊り下げるのは、当たり前やけど女の子やったら絶対無理。睡眠薬を飲んだ人間の体って、
めちゃくちゃ重いらしいから」
「そうだな」
睡眠薬に限らず、眠ったり力を抜いたりした人間の体は、意外に重くなるのである。
どこかの本で読んだことを思い出して石崎は頷いた。
「…確かめな。私、これから大学に戻る」
「いいぜ。俺も付き合う」
「石崎君」
柳川は、そこで石崎をまっすぐ見上げた。細かく降り続ける雨の中で、切れ長の瞳が
一瞬鋭く光って、
「ついて来るって言うんやったら、これから私がすることで、研究室がどないなってもええ?
ひょっとしたらジブン、私のこと、もっと嫌いになるかもしれへんよ」
「…知ってたのかよ」
「気付かんほうがおかしいって」
どうやら彼女は、石崎が彼女に苦手意識を持っていたことを知っていたらしい。
頭をかく石崎を見て苦笑しながら、
「だけど、別に私は嫌われてもええ。本当のこと、知りたいから」
「ああ、分かるよ。だけど」
そんな彼女の手を、石崎は強く握った。
「俺、今はもうお前のこと、嫌いでもないし苦手でもない。ちゃんと『友達』だと思ってる。
それも本当のことだ。信じろ」
「…うん、ありがとう」
いつの間にか、二人はバス停に到着していた。バスを待っている間に雨も止んで、
「私も、石崎君のこと、ちゃんと『友達』やと思てるよ」
柔らかく笑った柳川の手を引っ張りながら、やってきたバスへ乗り込む。
(本当のことか)
…鳥取駅行きの汽車は、タイミングよく来るだろうか。
バスに揺られながら、外をぼんやりと眺めている柳川の横顔を見て、
(来て欲しい…欲しくない)
汽車を待つ時間が恐ろしい。タイミングよく到着して、さっさと大学へ戻るなら戻りたい。
だが、戻れば自分の想像を超えた結末が待っているような気がして、そんな矛盾したことを石崎は思ったのである。

終  論理の帰結

『幸い』、汽車は彼らがホームへ着いたのと同時に到着し、鳥取駅に着いてからも
バスの時刻に間に合った。タイミングが合うときは得てしてこんなもので、
(戻ってきちまった)
石崎は緊張している自分を苦笑しながら、
(本当のこと…分かるんだろうか)
大学の正門をくぐった。農学部の研究室へ歩きながら、彼が窺う柳川の表情は硬い。
「よっちゃん…?」
階段を上がり、明かりのついていない研究室の扉を開けると、無人だと思っていたその中には
彼らの後輩がいて、
「…待っていました、柳川さん」
彼らを見ると、硬い表情で立ち上がった。
「川村君のお葬式には、行かへんかったんか。そういや、おれへんなとは思ってたけど」
「はい。行きませんでした。柳川さん、絶対に戻ってきてくれると思っていたから」
川村の『元』恋人である吉元は、川村の葬式には出席せずに柳川を待っていたと言う。
「柳川さんは、幸信さん…川村さんが、自殺じゃないって思ってるんですよね」
石崎が言葉をかけようとすると、しかし彼のほうはまるきり見ずに、柳川だけを
まっすぐに見つめて吉元は続けた。
「こんなこと、いつも絶対に誰かがいるこの研究室で言えませんから…私も、川村さんは
自殺じゃないと思ってます…信じたいです」
「うん」
「これ。さっき塚口先生の机の中から見つけました」
震える片手が、柳川へ向かって差し出される。その手のひらの中には数錠のカプセルがあって、
「よっちゃん」
「塚口先生…あの朝、六時十五分に研究室から一旦出られたんです」
眠気覚ましのために点けていたテレビをなんとなしに見たので、覚えているのだという。
「停電が心配だから、大学当局の様子も見てくるって。帰ってこられたのはそれから
十五分くらい後でした。それに私」
一旦止んでいた雨は、また降り始めたらしい。大粒の雨が締め切ってある研究室の窓を
たたきつけるように雨は降って、たちまち研究室の中まで暗くなる。
 そこで言葉を探すように口をつぐんだ吉元は、
「私は…大学院を辞めます。さっき退学届けを出しました。柳川さん、可愛がって
下さってありがとうございました!」
叫ぶように言って、手のひらの薬を柳川へ押し付け、驚く石崎の側をすり抜けて
部屋から走り去っていったのである。
「…どういうことなんだよ」
柳川は、やはり追おうともせずに手のひらの薬を見つめている。
(もう、訳が分かんねえ!)
石崎が混乱した表情で、救いを求めるように彼女を見ると、
「…塚口先生のパソコン」
呟くように言って、ふらふらと助教授室へ向かっていく。学生でも、普段は滅多に
講師達の「テリトリー」には入らない。
誰もいないその部屋の扉は、なんなく開いて、
「…金になる研究、やってはったんは、正確には津山先生だけやもんな」
柳川はまるで夢遊病者のように呟きながら、塚口の机の前の椅子へ腰を下ろした。
「祖父が開発して研究した薬は、孫で臨床実験か…」
「柳川!」
ついに黙っていられなくなった石崎へ、
「あったよ、石崎君。ほら」
しかし怯むことなく柳川は言い、モニター画面を指し示した。
(…午前三時…)
その「削除済みアイテム」頁には、柳川が受け取ったというあのメールが、発信時刻とともに残されている。
「発信は、川村君のパソコンからやなくて、ここからやったんや…川村君が、私と連絡を
取り合ってるのを知ってたから、この時刻までは確実に生きてるっていう証拠をちょっとでも
多くって…塚口先生…」
「お前…お前は」
テーブルに両肘をつき、頭を抱えて震える柳川を見下ろしながら、これも乾いた唇でやっと、
「先生が、犯人だって言うのか」
(分かってた…こいつと一緒にいて、色々見聞きして…薄々気付いてたはずなのに)
どこかで分かっていた言葉を口にした。
必死に自覚するまいとしていた『事実』をつきつけられて、頭の中が急速に白くなっていく…。




…続く。


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