追悼の波 10




午後十二時台の鳥取発三朝行きの汽車は、三本しかない。急いで喪服に着替えて
駅に向かった二人は、
「行った後やん」
「仕方ない。しばらく茶でもして待とうぜ」
駅の時刻表を見上げて苦笑した。どうやら二本目の汽車が出発した直後だったらしく、
次の汽車が到着するまでには二十分ほどの間がある。
「三朝に着くの、ぎりぎりになっちまうなあ」
「そうやねえ…お、雨や」
鳥取駅のコンコースは、半吹き抜けの構造になっている。その二階にある喫茶店へ入って
席に着くと、晴れていた空にはみるみるうちに雲が広がって、水滴がぽつりぽつりと窓に付き始めた。
「これやから、おちおち布団も干されへんかった」
「まあな」
これは、山陰地方独特の天気らしい。いつも海からの風が強い上に、天気も変わりやすいため、
快晴の日が極端に少ないのである。
「でも…好きや、ここ」
柳川が微笑いながら、しみじみと言った言葉に、
「そうか? うん。だったら俺も嬉しい」
「そう?」
「ああ。だって俺の故郷だもん」
石崎も大きく頷いて微笑った。そこへ、コーヒーがタイミングよく彼の前に運ばれてくる。
「…何お前、それ」
「何って、見たら分かるやん。チョコレートパフェ」
「まあ、そりゃそうだけど」
柳川の前に運ばれてきたのは大きなパフェで、しれっと言ってのける彼女に思わず
吹きだしそうになりながら、
「お前、これから向こうで昼メシとか出るんだぜ? なのにそんなの食って大丈夫なのかよ」
「構へん構へん。オヤツは入るトコ別」
「そうか…」
健やかに大きな口を開けて、彼女はアイスクリームや生クリームを口へ運び続ける。
みるみるうちにそれは減っていって、
「ご馳走さん。懐かしいなあ、この喫茶店の安っぽい味」
「おいおい」
ものの五分でそれを片付けて立ち上がり、柳川はとっととレジへ向かった。
「はい、これ私の分」
追いついた石崎へパフェ代を差し出すのを、
「奢ってやる。男にそれくらいはさせろ」
石崎は押し留めて代金を払った。すると柳川は驚いたように目を見張り、
「石崎君って、そんな優しい人やったっけ? なんでそんな、急に変に優しいなったん」
「失礼なこと言うな。だったら奢ってやらん」
「あはは、はいはい、ご馳走様。ありがと」
屈託無く自分を見て笑う彼女に、
(お前だって変わったぞ)
石崎は口に出さず、そう思った。研究室にいた頃の柳川は、自分を含む「男性」にあまり
こんなはじけるような笑顔を向けなかったように記憶している。なのに、今、目の前にいる
彼女は別人かと思うほどに、
(行動力があって、頭も良くて…俺が気付こうとしなかっただけか)
「ほら、石崎君! 汽車、来たよ! 早く早く! 置いてくで?」
「分かってる」
はや、改札口へ向かって駆け出しながら、柳川は買った切符の一枚を自分へ差し出している。
どうやら自分の分もまとめて買ってくれていたらしいと思いながらその手を取って、
「一緒に走ったほうが速いだろ。引っ張ってってやるよ」
石崎はホームへと続く階段を駆け上がった。

 三朝に到着しても、雨はまだ降り続いている。
川村の実家は昨日も訪れた倉吉駅から、
「うわあ…会社名がまんま、バス停か」
柳川が思わずそう言ったように、K機構株式会社前バス停のすぐ側らしい。
 三朝温泉方面ではあるが、経由が微妙に違うため、
「温泉には行かれへんなあ、残念」
「お前…俺たちは葬式に行くんだぞ」
「分かってるってば。ちょっと言うてみただけ」
と、いうことになる。
結局、二人が三朝へついたのは葬式開始時刻である一時を三十分ほど過ぎた頃で、
「あ、先生来てはる」
受付で名前を記していると、石崎の隣で柳川が小さく呟いた。
「ああ」
彼も、柳川の指が示す黒々とした文字を見て頷く。
 …津山行人。津山晴美。
「ご夫婦で来やはったんやなあ。やっぱ挨拶、したほうがええやろか、やれやれ」
柳川は芳名帳から顔を上げ、軽くため息を着いて、黒服でごった返している葬儀場を見渡した。
弔問客は、意外に多い。K機構株式会社の近くの…とはいっても、都会人の感覚で
数分のそれではなくて、そこから徒歩十分ほどの距離にある…とある寺を借り切って
行われている葬式なのだが、
「会社関係ばっかりちゃうん?」
「…そうかもなあ」
柳川が彼の耳へ口を寄せて言うように、よくよく見れば客の大半が中年か、
年配の人間ばかりなので、
「お、来たか来たか。こっちやこっち」
彼らの姿を見つけた塚口に声をかけられなければ、研究室の人間が集まっている
一角にも気付かなかったかもしれない。
「あ、えーっと、津山先生は」
ためらいながら、柳川が塚口へ尋ねると、
「今、お焼香に行っておられるんと違うか。ほら、あそこ…あ」
塚口は、農作業で日に焼けた指を寺の座敷のほうへ向けて、言葉を失った。
(あ。あの人は)
 石崎も柳川と同じようにその先を見ると、
「…嫌味のつもりか?」
「教え子だったんだから、出席するのは当たり前だろう」
「貴様、どのツラ下げて!」
「会長とも思えん言い草だな!」
 津山と、昨日会った白髪の紳士が声高に言い合っている。昨日は割りに平静を保っていると
見えた川村は、しかしそれでも、爆発しそうになるのを何とか押さえていたらしい。
それが津山の姿を見て、一気に爆発してしまったようなのだ。
「川村さん!」
「会長! 教授も、何もこんな席で」
しめやかに線香の煙が漂っている、と言いたいが、頭の禿げた中年取締役や、
白髪の元・取締役が津山と川村会長を互いに止めようと割って入ったため、
「川村が泣くぞ」
石崎は呆れてため息を着いた。これでは確かに葬式はめちゃくちゃである。研究室の連中も
焼香に来たのはいいが、「ご老公」たちの醜態にただ苦笑し、遠巻きに眺めているだけだった。
「なんだかんだ言うても、やっぱりあんな人でも孫は可愛いんかぁ」
「そう言うな」
柳川の言葉に、石崎ばかりか塚口や、研究室の学生達も再び失笑する。
 しかし、
「俺は知ってるぞ! 貴様が俺の孫を殺したんだ!」
ますます激高した川村会長が叫ぶに及んで、その失笑はたちまち消えた。ざわめいていた会場は
一斉に静まり返り、
「何を言う!」
「貴様があの薬を幸信に試したんだ! だからあの子は」
津山と川村会長の言い争いだけが、寺の中に響く。埒が明かないと見たのか、中で経をあげていた
寺の住職が出てきて、
「仏様の面前です。恥を知りなさい」
そう言うことで、ようやく理性だけは取り戻したらしい。会長はぱっと顔を赤らめて、
「…すまなかったな。私もどうやら動揺しているらしい。…幸信に会ってくれ」
「いや、無理も無いよ」
素直に詫びを入れるのを、津山も神妙に受けた。けれど連れ立って座敷へ上がる二人の空気には、
やはりどこか相容れないものが漂っていて、
(これは絶対、コイツの興味を煽るな)
思わず眉をしかめながら隣を見た石崎は、
「…柳川…あれ?」
そこに彼女がいないのに気付いて辺りを見回した。研究室の連中も、気を取り直したように
焼香の列に加わっているが、しかしそこにも柳川の姿は無い。
いた!)
 そのうち、焼香を終えた人間が帰っていって、一瞬だけ人の列が途切れた。その向こうに
柳川を発見して石崎が駆け寄ると、
「あれ、権藤さん」
「やあ、君もやっぱり来よってたんか」
 そこには今朝会ったばかりの権藤刑事がいた。すでに柳川と何かを話し合った後らしい。難しい顔を
したまま石崎を見て、わずかに片手を上げた。
「…今の騒ぎ、君らも聞きよったやろ」
そして刑事は二人を寺の茂みのほうへ導き、小声で話し始める。
「薬がどうとか、会長が言ってたヤツですよね」
「そうだいや」
石崎が言うと、権藤刑事は大きな鼻の穴から勢いよく息を吐き出して、
「実はあれから鑑識のほうで、個人的に改めて調べてもろうたことがあるんだっちゃ。開発中だと
言うておるあの睡眠薬、サンプルがK機構にあるというもんだから、無理を言うてそこの所長に三錠ばかし、
もろうてきた、ということをね、こちらの…柳川君と話しておったんだっちゃわいや」
「それで?」
 石崎は、険しい顔をして俯いている柳川と、どこか興奮している権藤を等分に見比べながら先を促した。
「鑑識のもんによるとですな、あー…午前十一時半。ちょうど君らが署から出た後ですな。早速
マウスの比重にして試してみたらきっかり五分後にコトリと寝よって、つい今しがた起きよったと。
そがいな連絡が来よったわい」
片手に持っていた携帯を示しながら、
「それにねえ。『貴様が孫を』と会長が言うた時の、君らのセンセイの顔…まあ、これは僕の
憶測じゃけ、ここで話すことではないわいの」
言い掛けて、彼は口をつぐんだ。それがどういうことを指すのか、しかし石崎には分からずに、
助けを求めるように柳川を見る。
「それじゃ、僕も焼香させていただこかいの」
権藤は言い終えると、そそくさと二人の側を去った。柳川も同時に動き出して、どこへ行くのかと
石崎が後を着いていくと、
「塚口先生。私、一旦大学の研究室へ寄らせていただきます。また後で…」
「そうか。まあ、ゆっくりしていき。俺らも晩がたには大学へ戻るし」
「はい…それでは」
何ともいえない顔で塚口へ挨拶して、柳川は寺を出て行く…と見るや、踵を返して津山から
少し離れたところに立っている夫人へ近づいていった。



…続く。


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