追悼の波 9




「お、君ら、もう家のほうに帰ったんかと思っとったわ」
そして再び研究室を訪れると、塚口は二人の姿を見て、疲れていながらも
どことなく嬉しそうな顔をした。
「今日は昼から、川村の葬式やというんで、研究室の皆で訪ねるつもりや。中谷と伊原も、
伊原の家に一辺戻って、喪服を持ってくると言うておったで。他のもんは実家に帰った
ようやがな。君らも無理すんな。出とうなかったら出んでええで」
「…そうですね」
 石崎もまた、ホテルのクローゼットに無意識にぶら下げた自分の喪服を思い出して、
  苦笑しながら頷いた。すると横から、
「行きます。ご家族の方や川村君にも、ちゃんと挨拶したいし」
柳川もまたきっぱりと言う。
「そうか…津山先生も来られるそうや。さっき電話があってな」
「そうですか」
今度は石崎が答えて、思わずちらりと柳川を見ると、
「何時からなんです?」
彼女は平然とした顔で塚口へ尋ねている。
(気まずくないんだろうか)
昨日、津山の機嫌を損ねたばかりなのにと考えて、
(もしもマズくなりそうだったら、俺がかばってやる)
石崎はそう思い直した。
「一時からや。場所は、三朝の川村の実家。皆で大型タクシーにでも乗ってこか、って
話し合うて、解散したところや。俺もこれから家に帰って、嫁はんに服、用意して
もらわなならん」
 なるほど、研究室には誰も残っていない。人気の研究室のこととて、学生が毎年殺到し、
いつも抽選になるほどの講座であり、そのために研究等の一階の半分が大学側から
提供されているほどなのだが、
「…あと二時間ですね」
閑散としている研究室で、学生時代に自分もいつも見上げていた時計へ目をやりながら、
石崎は呟いた。
「停電も、二時間やったそうですね」
その呟きを受けてなのかどうかは知らないが、柳川が世間話のように塚口へ言うと、
「ん? ああ、昨日の停電な」
塚口は頷いて、
「あれには参ったで。四年生の卒論、文章をまとめてやるのを少し手伝うてやろうかと
思うておったら、いきなり電源が落ちよったもん。でけたで、いうメールも遅れて
届いたんとちがうか」
「…でしょうねえ…」
(メール)
それと聞いて、頭から離れない川村のメールのことも、石崎が考えてしまうのも
無理はないだろう。柳川の顔色は、しかし少しも変わらず、
「朝の三時に、一斉発信したんやけれどもな。停電でひょっとしたら遅れて届いたかも
しらんわ、と思うて。案の定、四年生らに聞いたら、届いたのんが朝の六時半やと」
「…なるほど」
「パソコンが出来て便利にはなったけども、こうなったらお手上げやね。
土壌成分分析器も作動停止しとった。幸い、非常用の電気は来ておったから、
それでなんとかつないだけれども」
「あらら、それは大変でしたねえ」
 塚口が大げさに目をむいて愚痴るのへ、柳川も石崎も苦笑した。こうなると、
研究室で彼と酒を酌み交わした時の気持ちがすぐに蘇る。
「徹夜で残っておった四年生も、間に合わんというて泣きそうな顔をするし、
こっちはこっちでそれらを卒業させなならんと思うし、焦った焦った。普段からこつこつ
まとめておらんから、こっちまでとばっちりが来る」
「あはははは」
思わず笑い声を上げた二人へ、しかし塚口はしんみりと、
「川村もなあ…同じやったなあ」
「川村君が、ですか」
「そうや」
柳川が彼を見つめると、塚口は大きくため息を着いて肩を落とし、
「データは取れんでも、とにかく俺が論文の清書は手伝うてやる、と言うておって、同じように作業を
しておったんだが、停電少し前に一旦下宿に帰るというて…それっきりやったわ」
(先生…)
石崎も思わずしんみりとして、塚口へかける言葉を探した。
「その時に研究室におったんは、徹夜組の四年生と、先生だけやったんですねえ」
柳川の言葉に、再びどきりとして彼女の顔を見つめる。
 その質問の本当の意味は、
「そうや。そやから、俺も川村だけに構うてやるわけにはいかんかった。帰ると言うた時に、
引き止めてやっておれば…それだけ悩んでおったのなら、なぜ」
悲嘆にくれている塚口には、どうやら知られなかったらしい。というよりも、警察ではないのだから、
塚口だとて研究室の卒業生に詰問されているとは夢にも思わなかったろう。
「午後一時でしたね」
三人が黙ってしまうと、静かな研究室がより一層静かになった。ぽつりと呟いた柳川の声が、
やたらと大きく響いて、
「そうや。これから車を呼ぶから、良かったら君らも乗っていかんか」
塚口も苦笑しながら二人を誘った。
しかし柳川は首を振り、
「私、車酔いするんで汽車で行きます。コタニに泊まってるんで、そこで服、着替えて」
「そうか。ほな、現地で会おうな」
「はい」
(おいおい、また『別行動』かよ)
塚口と柳川の会話を聞きながら、石崎は、
「俺も同じ場所に泊まってるんで、俺もコイツと一緒に行きますから」
しかし、呆れることなく柳川と同行を申し出たのである。
「どこまでくっついてくるん。別に一緒におってもらわんでもええって」
「いいじゃないか。お前には『ワトスン』が必要だろ?」
「へえ? 石崎君、ホームズ知ってたんや」
「俺だってそれくらいは読んだことある!」
…まさに東に西に。塚口への挨拶もそこそこに、研究室を後にしてバス停を目指しながら、
二人は言い合った。
「有給、一週間取ったんだ。だから時間がある限り、お前に付いて行ってやるって。
お前が間違った考え方をしたって思えたら、俺が訂正してやるから」
「…まあ、ええけど」
 砂丘から吹きつけてくる春先の風は、今日も強い。バス停の道路にも積もっている砂が、
それに吹かれてさらさらとどこかへ散っていくのを見ながら、
「ほな、行こか」
柳川は苦笑していた。砂丘センターから出発したバスが、こちらに近づいてくるのが見える。
始発に近いバス停から乗り込んだバスは、それでも六割が埋まっていて、
「石崎君、鳥取駅に着くまで起きてる?」
「ん? まあ、疲れてるけど、多分眠れないからな」
「そか、なら」
もう当たり前のように隣同士に座ると、柳川はそう言って窓際へことりと頭をもたせかけ、
「着いたら起こして」
言うが早いか目を閉じ、安らかな寝息を立て始めた。
(やれやれ、マイペースなんだから)
 そう思いながら、しかし石崎はもうそんな彼女に腹が立たない。自分の変化に驚きながら、
「アタマと首、痛くなるぞ」
(お前も俺の『友達』だからな)
ぼそりと呟いて、うっすらと口を開けている柳川の頭を片手でぐっとつかみ、自分の肩へ寄せた。
 そしてバスに揺られること三十分。
「石崎君、石崎君って!」
「ん? あ、ああ、悪い!」
柳川の慌てたような、笑いの混じったような声が聞こえて、石崎は慌てて体を起こした。
「起こして、って言うたのに、石崎君のほうが寝てるんやもん」
「…悪い」
口では彼を責めながら、柳川はクスクス笑っている。
「でも、肩、ありがとう。ごめんな。ほな、行こか」
「ああ」
さらりと礼を言われて、石崎のほうが反って顔を赤くした。バス停前のコタニへ
連れ立って入っていきながら、
(『ほな、行こか』か)
柳川の言葉と口調を心の中で繰り返すと、思わず微笑がこみ上げてくる。そんな彼を
柳川がキョトンとした顔で見つめていた。




…続く。


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