LIMIT 2




 カリフォルニア大学構内敷地の、立ち入り禁止と書いてある鉄条網に囲まれた小屋。
 その前に、二つの影が立っている。
 エミリオは薄暗い明かりの中で、カギを開けようと苦労していた。扉は、旧式の錠前付きだ。
旧式とはいっても、頑丈なのと辺りが暗いのとで、少々時間がかかっている。
 大統領は、車のトランクに入っていたせいなのか、まだ体のあちこちが痛むらしい。ため息をつきながら、
肩や腰を揉んだり叩いたりしている。
 トランクの中に潜んでいても聞こえてきた、「大統領の甥」という言葉。 そんな動作を繰り返しながら、彼は
それを振りかざし続けていた甥にぽつりと、
「こんな冒険をしたのは何十年かぶりだよ」
吐き出す。
 エミリオは黙ったまま、肩をすくめることでそれに答えた。
 やがてかすかな音がして、小屋のカギが開き、彼は顎をしゃくって大統領を促す。
「入ってくれ、叔父貴」
二人の姿が小屋の中に消える。そしてほんの一瞬、中が明るくなったと思うとすぐ、また暗くなった。
「ここに来るときは、何だかいつもぞっと
するんだよ」
 大統領は、小屋の中のエレベーターに乗りながら、ぽつりと呟いた。その必要もないのに声を潜めて。
エミリオは、再び肩をすくめて、それに答える。
 エレベーターは、非常な速度で下へ下へと潜り続けた。
 やがて。
 ガタン、という大きな音とともに、エレベーターは止まった。いつものことだが、
つんのめりそうになる太った大統領を、心得たエミリオが支える。
 音もなく、エレベーターの扉が開いた。
それを降りたところにある、小さなスペース。目の前の大きく頑丈な扉が、二人の行く手を阻む。
 エミリオは、扉の前に設置されているコンピューターに近づき、そのディスプレイに彼の右親指を当てた。
「―指紋照合―確認終了」
 コンピューターの、無機質な声が響く。続いて、大統領もそれに倣って自分の右親指を押し当てた。
 扉が、音もなく開いていく。途端に、暗かった室内が、まるで昼間のように明るくなった。 
 この研究に携わっている人間以外には、到底理解不能な、複雑かつ高度な機器が、部屋の四方を
ぐるりと取り囲んでいる。エミリオは、正面のコンピューターに近づいて、キーの一つを押した。
 すると、左側の壁がぽっかりと口を開けた。
 二人は急ぎ足でその中に生じた階段を降りていく。
「いつ見ても、素晴らしいな」
 降り立った正面に安置してある装置を見つめ、大統領はため息をついた。
「オレもまさか」
 エミリオは、それのなだらかな背中をなでながら、
「まだ試段階のこれに、人間では自分が最初に乗るなんて、思いもしなかったよ」
苦笑して言った。
 モノレールの上にあるそれ…タイムマシンは、車に似た形状をしている。
 操作には、人間が二人、必要だ。
一人がドアを開けて乗り込んだ後、自分が行きたい時代の年月日を、マシン備え付けの
メモリー・ボードに設定し、マシンの外に待機しているもう一人のパートナーに合図を送る。
 合図を受け取った人は、マシンの電源を入れ、バッテリーに電力を充分に送ってから、
スイッチを押してマシンのドアを閉める。
 これで準備は完了。後は発射されるのを待つばかりなのだが、
「あの、こなごなになった人形が忘れられないよ」
 準備完了後、発射を待つエミリオの声が、マシンの送声器から聞こえてきた。
「あれか…」
 大統領も苦笑混じりにうなずく。
 人形を使っての実験中、失敗したものではマシン内部の人形は、例外なく例外なく粉々になっていたのだ。
ぺちゃんこになったマシンにつぶされて。
 無事だったものは、きちんと設定した時代へ行った。設定した時代をその時の五分後に
したものでは、正確に五分後に、しかしとんでもない場所(机の上、大統領の体の上…)に、その人形は再び現れた。
 そしてマシンは、人形が現れたさらにその五分後に、同じ場所に出現したのだった。
 エミリオが今乗っているのは、その成功した最新の一台である。
 そんな風に考えて、大統領は再び苦笑したが、結局言葉を発しなかった。この頑固な甥には、
今更何を言っても無駄だと分かっているからだ。
 二一二×年五月二十日AM0:00
 エミリオは、メモリの数値をその年代に設定した。
 そして、
「後は頼むぜ、叔父貴」
マシンの窓越しに、装置の前にたたずんでいる叔父へ、右親指を立ててみせる。
「ああ、気を付けてな」
 それを受けて大統領は、そっと十字を切った。そして大きく息を吸い込み、甥とマシン
とを見守っている。
 バッテリーの数値がぐんぐん上昇していく。
 マシンを包む光が、真っ赤に染まっていく。
(いよいよだな。未来へ行くのかそれとも)
 心臓が、痛いほどに動悸を打っている。マシンのハンドルを握り締め、エミリオは大きく深呼吸した。
 いきなり、ぐん、と体が後ろへ引っ張られる。かと思うと次の瞬間には、恐ろしい勢いで
マシンはレールを滑り始めていた。
 マシンの外の景色が、マグネシウムをたいたように、真っ白に光っている。
 肋骨が、きしみを立て始める。前から来るあまりの圧力の大きさに、エミリオはほとんど息がつけなかった。
(失敗したか!)
 脳裏に、例の人形が浮かぶ。目をつぶり、日ごろはほとんどかえりみたことのない神に
祈りを捧げようかと思った時。
「あ?」
 ふっ、と、彼をマシンに縛り付けていたベルトと、彼の足をささえていた床が消える。
 そして、
(わ…!)
 ドボン! と、派手な音を立てて、エミリオの体はどこかの池の中央に落下していた。
 慌てて手足を動かして、水面に顔を出す。周囲を見回した彼の顔に、笑みが浮かんだ。
 そしてそのまま、岸へと泳ぎだす。やっとの思いで地面をつかんだ時、彼は肩で息をしていた。
顔を上げると、うっそうと茂る木々の中に、ほの暗い電灯が立っている。
 その横に浮かんでいる、白い文字盤の時計を確認して、
(あと、十四時間。この場所には、見覚えがあるんだけどな)
ふらふらする足取りで歩き出した。
幸いにも、どうやら市の中央公園内の池に落ちたらしい。
 自分の足に、しっかりしろと言い聞かせながら、彼は歩きつづける…池を囲んでいる森の向こう、
彼がいた時代よりもさらに多くの建物が林立している街へ。

  2  午前四時

(まずは、服だな。春で幸運だったよ。カゼを引かずにすむ)
 自分の格好を見下ろして軽く苦笑し、エミリオは市街へ歩みを進める。
 まだ夜は明けきっていない。
 見るからに水商売だと分かる女達が、珍しそうに彼の服装を見ながらすれ違っていく。
 中にはわざわざ近づいて、彼の頬をつついていく女もいた。
(ずいぶんとまた、レトロなファッションが流行っているんだな)
 ふと、傍らのビルのショーウインドウを見て、彼は鼻を鳴らした。
 その中では、マネキンが無表情に突っ立っている。
(一九××年代、かな、これって)
 彼のいた時代と変わらず、ブティックは多い。その店のほとんどが女性のために存在していることも、
変わらないようだった。
(やっぱりちょっと、ゾクゾクするかな)
 彼はふと寒気を覚え、少し慌てて、明かりが灯っている一軒の店に入った。
 どうやら、コンビニエンス・ストアのようだ。
 店に入ってきたエミリオの様子を見て、黒人の店員が、ふん、と、鼻を鳴らす。それに
愛想笑いで答えて、彼は奥へ入っていった。
(ちょうどいいや)
 そこには、Tシャツにジーンズというような、簡単な服が売られている。
(値札がないな)
 エミリオは値段を見ようとして、棚のシャツを一枚一枚、ひっくり返していった。
 突然、その肩に手が置かれる。振りむくやいなや拳が頬に炸裂し、彼は棚とともに倒れこんだ。
 連鎖反応で、隣に置いてあるもう一つの棚も倒れかかる。
「水浸しでウチの品物に触るたあ、いい度胸してんじゃねえか」
 起き上がろうとして、エミリオは体制を立て直し、その声の主を見た。
 さっきの店員が、挑発的な笑いを浮かべて、彼を見下ろしている。
「ええ、このどチンピラめ。うちの品物を汚しくさって、難癖付ける気だったろ」
「そんなつもりは毛頭ない」
エミリオは、少し血のにじんだ口元をぬぐって言った。
「誰も、そんなつもりで見てたんじゃない。
買って、着替えようと思って。お金なら、ちゃんと持ってるよ」
 すると黒人店員は、彼の胸倉をつかんだ。
「嘘つけ!」
「嘘じゃない」
「あのなあ」
 店員は、横を向いて唾を床に吐き、
「俺は白人がでえキライなんだよ。白人は、たいてい『嘘つき』と、相場が決まってる。
なあ、そうだろ兄弟?」
「・・・」
(埒があかないよ。こんな所で時間をロスしてる場合じゃないのに)
「どうしたよ、何か言えって、この腰抜け! 何ならもう一発、食らわしてやろうか」
 どうやら彼は、イライラし始めたエミリオを見て楽しんでいるらしい。エミリオの胸倉を
相変わらずつかみながら、前後に揺さぶっている。
 あまりのことになすがままにされながら、エミリオはふと、目線をずらした。
 右手にある監視用の鏡に、一人の女性が映っている。栗色の髪が揺れて、栗色の瞳が彼をじっと見つめている。
(どこかで、会ったか?)
 その女性を見た瞬間、エミリオの胸に懐かしさがこみ上げた。
 思わずその女性の瞳を見つめ返す。するとその瞳が、優しく微笑んだ。そして。
 次の瞬間、その女性は目配せをして、肩から下げていたバッグから、黒光りするものを
取り出した。
 鏡に映ったそれを見たエミリオは、自分の胸倉をしつこくつかんでいる店員に、思い切り頭突きを食らわせた。
「うお!」
 黒人店員は、踏み潰された牛のような声を上げた。同時にバスッ、と鈍い音がして、その肩から血が噴出した。
途端に起こる、熊のような悲鳴。
「あ、あ…」
 目の前で起きたこの光景に言葉も出ず、立ち尽くしているエミリオに、銃を撃った女性は近づき、
「大丈夫、死にはしないから。私と一緒に来て下さい。さあ、早く! 振り返らないで!」
早口で耳元で怒鳴った。同時に彼の腕を取って走り出す。
 エミリオもつられて走った。
「乗って下さい!」
 今しがた来たのだろう。女性の物と思われるその車は、エンジンがかけっぱなしになっている。
 エミリオが助手席のドアを開けて乗り込んだのを確認するやいなや、彼女は恐ろしい勢いで車を発進させた。
 そのままの速さで、いくつもの曲がり角を過ぎていく。交差点の赤信号に照らされて、
彼女の栗色の髪も真っ赤に見えた。
 年のころは、エミリオと同じくらいだろうか。ハンドルを握る細い腕、華奢な肩。
「君は?」
 少し気持ちが落ち着いてきたころ、エミリオは彼女に尋ねた。
「君は一体」
「あの店では、知っている人なら、買い物は絶対にしません」
 彼女は未だに恐ろしいスピードで運転を続けながら言った。
「ここいらの人はみんな、知ってるんですけどね。デイブは …あ、さっきの店員の名前ですよ?
デイブは、自分の店に来たお客さんに言いがかりをつけて、お金を巻き上げることが得意なんです。
私のおばさまも、そうと知らずに初めてあの店に入ったとき、被害に遭いました。だから私、
また誰かがそんな目に遭ったら助けようと思って、週に二、三度はあの店を覗くようにしてるんです。
徹夜はきついですけど」
と、苦笑する。
「じゃあ、たまたま君が来ていた時に、あそこにいたオレは、運が良かったんだな」
 エミリオはため息をついてつぶやいた。
「そんなこともないですよ。私とお父様が、交替であの店を見張っているんです。あなた
を助けることになったのは、もしかしたらお父様だったかもしれませんしね」
 彼女は言って、少し車のスピードを落とした。どうやら、もう『安全圏』に入ったらしい。
 しばらくして、エミリオは彼女に言った。
「教えてほしいことがあるんだ」
「何です?」
前を向いたまま、彼女は言う。その横顔も、知的で優しい。
 それをまぶしく思いながらエミリオは、
「今は何年なのかな」
「何の冗談です?」
エミリオの問いに、彼女はクスクス笑って、
「見えてきました。あれが、私の家です」
と、並んでいる住宅の一軒を指差した。
 車は、さっきまでとは打って変わって静かにその家の車庫に滑り込んだ。射撃だけでなく、
運転技術の方もなかなかのものらしい。
「さて。お父様とお母様は、昨日から旅行に行ってるんですけど、少し休んでいきませんか?」
 言って車のドアを勢いよく開け、外へ出ようとする。
 エミリオがついてくると、当然のごとく思っていたようだ。車から出ないエミリオを見て、
どうしたのだと言いたげに、きょとんとしている。
 そんな彼女に、エミリオは静かに言った。
「なぜ、オレにここまでしてくれるのかい?」
「ああ、それはですね」
 彼女はにっこり笑って、
「あなたが、写真で見た私のおじい様の若い頃と、うり二つだったからですよ」
車庫の外へと出た。
「へ?」
 エミリオも慌ててそれに倣い、彼女に尋ねた。
「君の、おじいさんって?」
「ええ。あの店で初めて見た時もびっくりしました。私はおじい様を尊敬しています。
そのおじい様とそっくりなあなたが、悪い人だとはとても思えなかったから、なんて、
理由にはなっていないかもしれないし、失礼ですね。ごめんなさい」
彼女は言って、ちらりと舌をのぞかせる。
(まさか、まさか)
 エミリオは、焦る心を落ち着かせ、さらに尋ねた。
「失礼だが、君のおじいさんの名を、教えてくれないか」
「はい?」
 彼女は再び、きょとんとして彼を見たが、
「エミリオ・クーパーです。ご存知じゃないんですか? 母方の祖父なので、私とは姓が
違うんですけど」
 その瞬間、エミリオは叫びだしたい気持ちになるのを辛うじて抑えていた。
 自分の計算の正確さ…まさに『ぶっつけ本番』で初めて自分の思った通りにマシンを操作できたこと、
そして敦也のシミュレーションの結果の正しさに。
 エミリオは、必死に心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返していると、
「どうかなさいましたか?」
「いいや、なんでもない」
不審そうに彼の顔を覗き込む彼女に、慌てて手を振りながら、
「そうだ、君の名前を教えてくれないか? 命の恩人だものね。差し支えないなら、ぜひ
聞かせておいて欲しいんだけど」
「そんな大げさな。大したこと、したわけじゃないのに」
 彼女はくすりと笑って答えた。
「アリスン・ワイアットです。で、あなたは?」
 彼女の栗色の髪が、朝の風にサワサワと揺れた。


…続く。


MAINへ ☆TOPへ