追悼の波 7




 自室へ引き上げてベッドへもぐりこみながら、
(研究成果を奪われた…そんな目に遭ったら敵わない…か)
彼は柳川との会話を思い出していた。
 敢えて口には出さなかったが、恐らくあれは柳川が実際に経験したことなのだろう。
(だから、アイツは)
大学院を辞めてしまったのかもしれない、だが、
(くだらん憶測だ。他の理由かもしれないじゃないか)
苦笑しながら思い、石崎は目を閉じる。

 鳥取県は、雲ひとつなく晴れている日のほうが圧倒的に少ない。寝坊しないように
  カーテンを開けたまま眠ったつもりだったあくる朝、石崎が慌てて目覚めて時計を見ると、
(わ、やばい)
すでに時計は7時50分を指している。どうやら今日は曇りらしい。
ユニットバスへ飛び込んで洗面台の蛇口をひねり、頭から水を浴びる『簡易洗顔』をし、
歯を磨くのもそこそこに、彼は部屋から飛び出した。
自慢じゃないが、時間に関する約束だけは破ったことは無い。なのに、
(色々あって、疲れてたのかな)
昨日一日で、色々なことが起きすぎた。親友の死の一報から始まって大学へ戻り、
親友の身辺を調べ、そして三朝の恩師を訪ね…。
「あ、石崎君。遅かったなあ。あはは」
地下にあるホテルのレストランは、中華、洋食、和食に分かれている。エレベーターで
降りていき、廊下へ降り立つと、ちょうど中華レストランから出てきたらしい柳川と出くわした。
「ま、来ぇへんようやったら一人で行こか、と思てたし。つき合わすのも悪いからなあ、
ゆっくり寝てたらええわと思ってたんやけどな」
「ほざけ」
 一昨年なら、そうとうカンに触っただろうその言葉も、今は笑って流せる。軽く
  ゲンコツでこづく真似をすると、彼女もわざと軽い悲鳴を上げて避けるフリをした。
「お前、先に食った…よな」
「うん」
「やれやれ」
 当たり前のように頷いた柳川に、石崎は苦笑した。「他の人間を待つ」ということを
  しないのは相変わらずらしいが、
「男の人と違て、女の子は支度に時間がかかるねん。そやから先に頂きました、
なーんて、あはは」
「はははは、お前がそんなタマか」
 綺麗だったロングヘアへ、他の女の子のようにパーマを当てるでもなく、お洒落に
  結い上げるでもなく、ただ無造作に後ろで一つに束ね、服装はいつだってラフな
  ジーパンに冬場だとトレーナーだった学生時代の彼女の格好を思い出し、石崎はまた笑う。
  何故か今はもう、彼女のマイペースさがまったくと言っていいほど気にならない。
「あー、傷つくなあ、その言い方」
 柳川も柳川で、冗談っぽく口を尖らせた後、
「ほな、ロビーで。西品治経由のバス、後三十分くらいで出るからな。
警察に電話したら、あの刑事さん、今日は日勤やて。いつでも来い、言うてはったけど、
早い目がええやろ思て、今から伺います、て言うたから」
真顔に戻って言い、彼に手を振りながら入れ替わりにエレベーターへ乗り込んだ。
「了解」
 扉が閉まる寸前の彼女に告げて、石崎は和風レストランへ飛び込んだ。

 鳥取県警は、県庁や市役所関連の建物の側にある。鳥取駅から砂丘行きの
バスへ乗り込んで、約十五分。側には近年建てられたばかりの、二十世紀梨に
ちなんだ名前がつけられた梨花ホールもあって、ちょっとした『文化域』といったところか。
「県庁なんて、パスポート取る時にいっぺん来ただけや、あははは。
警察にお世話になることも滅多に無かったしなぁ」
「そうだなあ」
二人を乗せたバスは、すぐには出発せず、少し遠くから慌てて走ってくる
お婆さんをのんきに待っている。市街だと言っても、都会に比べるとやはりバスの本数は
少ないので、逃すとやはり三十分は待たなければならない。そしてそれを、運転手のほうも
よく心得ているのだ。
 無事におばあさんが乗り込むと、バスは出発していく。
「ええなあ、あれ。いつもそない思てた」
「そうだろ」
 県出身の石崎は、その光景を見ながら懐かしそうに言う柳川へ、
  少し自慢そうにそう返した。
「ここは、本当にいいところなんだ」
「うん。私もホンマにそう思う…警察とか県庁の建物はボロっちいけど」
「はは、それはどこもそんなもんだろ」
「ま、な」
 軽口をたたきあいながら、市役所の隣の県警玄関へ二人は入っていく。
  受付につめている婦警へ、
「権藤さんはいらっしゃいますか。先ほど、お伺いする約束をしておりました者ですが」
柳川が告げると、彼女や石崎より二、三歳は若いのではないかと思われる
その婦警は、「ああ」と納得したように頷いて、
「お二人が見えたら、いつでも通してくれと言われておりました。
二階へ上がってすぐ右手の刑事課へどうぞ」
愛想良く告げる。
 それへペコリと頭を下げて、二人はねずみ色に薄汚れた階段を上っていった。
「照明、ケチったんかいな」 
「バカ、でかい声で言うなよ」
上がった二階の廊下は、長い蛍光灯がところどころについているだけで、朝だというのに薄暗い。
思わず出た柳川の言葉に、最もだと思いながら石崎は一応たしなめる。
すりガラスのついた扉を柳川が二つ叩くと、中から太い声が「はい」と応じ、
「おお、君たちか。待っておったんだわい」
「こんにちは」
「どうも」
いかつい体つきの、昨日の刑事が顔を出す。よほど待ちかねていたらしい。彼は、
「ここではちょっと」
と言いながら、隣の取調室へ二人を通して丁重に椅子を勧めた。
「いやいや、警察っていうのはねえ、常々お叱りを頂いておるが」
そして権藤というその刑事は、手ずから熱い茶を二人へ注いでくれながら、
「一度自殺と決まったことは、なかなか覆さんのです。だが、今回はどうも私、納得が
いかんかったんだっちゃ。そういう体質だから、まあ、出世できんのだが」
苦笑する。その言葉に石崎と柳川も思わず顔を見合わせて少し笑った。
さて、どっこいしょ」
 権藤刑事は言いながら、おもむろに二人の向かい側に座る。小脇に抱えていた調書らしき
  書類の束を机の上へ載せ、二人を見るその眼光はやはり鋭くて、
「分かったことを聞かせてくれんかな。もちろん、こっちも現時点で…というよりも、
捜査をほぼ打ち切りの方向で動いておるから、新しいことは出ておらんのだが、
出来る限りのことは話すわいや」
「分りましたほな、私らが思ったことについて言います」
柳川も真摯に頷いて、口を切った。石崎はただ、黙ったまま茶をすすりながら、
話し続ける彼女の横顔を見つめている。
「…やから、三朝の川本さんと、津山名誉教授との関係とか…もしも自殺やないんなら、
失礼やけど、川本君がお祖父さんの恨みを代わりに買って…ということも考えました」
「ほほう、なるほどねえ」
 そこで一旦、柳川が話し終えると、権藤刑事は目を細めて、
「テレビドラマの功罪かいや。なかなか穿った見方をされる」
「いえ、まあ」
柳川と一緒に苦笑した。
「では、こちらも」
 一旦立ち上がり、新しい茶を淹れ直して、刑事は再び、どっかりと椅子に座った。
「一応、変死の場合、遺体は鑑識へ回すんですな。そこから分ったことで、私が不審を抱いておるのは、
川村君の体から、ごくごく微量ではあるが睡眠薬が検出されたということなんですよ」
「睡眠薬」
 鸚鵡返しに言った柳川の横顔に、一瞬影が差す。石崎も同時に、
(津山先生)
恩師が得意そうに言っていた研究のことを思い出し、彼女もそう思っているのかもしれないと
その横顔をちらりと伺う。


…続く。


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