YOU BECAME SO…後編




「そんじゃね、送ってくれてありがと!」
「いや、このくらい当たり前だ」
「だけど、お隣なのに大げさだよ」
「いや、大げさじゃない。最近じゃ、目と鼻の先でも何があるか分からないんだぜ?」
うまい晩飯(結局、白ご飯を3杯もお代わりしてしまった)の後、お前を家まで送り届ける。
「俺のほうこそサンキュ。うまかった、本当」
「へへ、その言葉が一番嬉しいな」
芙美の家の前で、柔らかい髪の毛をクシャクシャって風に撫でながら言ったら、
コイツは本当に嬉しそうに笑うんだ。
 そこへ話し声を聞きつけたのか、芙美のオヤジさんが出てきた。
「お、涼介! いつも芙美が面倒をかけて済まないな」
「いや、俺の方こそ、芙美にはいつも」
小さい頃からずっと「お隣さん」だったから、ほとんど家族とおんなじだ。太った体を
重そうに揺すって、親父さんは門までやってくる。
「いやいや、近頃はいつも、家で涼介の話ばかり聞かされてるんだ。ははは」
「もう、お父さんったら!」
 まるで絵に描いた餅、じゃなくて絵に描いたような幸せな家庭の図だ。
「こいつの作る料理、美味いだろう。私もつい食べ過ぎてほら、こんなになってしまったんだ、はっはっは」
と、親父さんは腹を叩いた。なんだかものすごくいい音がして、その瞬間、思わずぎくっとした。
 ひょっとして今のオヤジさん、俺の何十年後かの姿なんじゃないだろうか。いや、
  もう既にその兆候は出始めてるかもしれない。
「いやだお父さんたら。涼君は、いくら食べてもお父さんみたいにはならないよーだ、ねえ?」
「あ、ああ、いや、その、うん…」
 突然話を振られて、俺はしどろもどろの答えを返した。
「いやいや、油断するなよ。私みたいにわき腹に肉がついたら、もうそれ以降は、
開き直って太るしかないからね」
オヤジさんは豪快に笑って言ったけど…俺、思わず固まった。何て現実味がある言葉なんだろう。
「じゃあ俺、戻る。また明日な」
「うん。戸締りとか気をつけてね。ほんと、ありがと」
「芙美をよろしく頼むよ」
「もー、だからそれはいいって言ってるでしょ!」
 オヤジさんと芙美とのやりとりに、思わず微笑んで、俺も手を振った。
 …俺のほうこそ、貴重なアドバイスと現実をありがとうと言いたかったんだ。
 自分ん家の玄関のドアノブへ手をかけて、
「え、どっこらしょ」
ちょっとした段になってるところで、ついそんな掛け声が出た。
(ヤバい。もう息が切れてる)
内心、俺はめちゃくちゃ焦ってた。坂道を登るのにもなんだか息が切れるって思ってたのに、
メシ食っただけでも息が切れるなんて…。
 時間はどんどん過ぎていく。撮影は明後日に迫ってる。
『1キロは痩せて来てよねっ!』
そこで聖護院センセイのあのカマ声がまた頭の中でこだまして、俺は思わず自分の腹へ
視線を落とした…こんな調子で「食わせられて」痩せられるんだろうか、俺。
(食ったばかりでちょっと辛いけど)
ゲフ、なんていうオクビまで出て、俺は思わずため息をついた。フロに入って寝る前に、
家の周りを一周くらい走るのもいいかもしれない。そうしたら、ちょっとは痩せるかも。
 芙美の家からは、まだ明かりと笑い声が漏れてきてる。それを見ながら、少し準備体操を
  したりなんかして…けど、うろ覚えのラジオ体操をしていたら、マジになんだか腹が苦しい。
 モデルの仕事をやり始めてから、全然運動してなかったせいで、体が硬くなったって
  いうのもあるだろうけど、それでも何とか体をひねろうとしていたところで、
「あ、涼君! ちょうどよかった! まだ家に入ってなかったんだね」
芙美ん家の玄関が開いて、芙美が顔を出した。   
よくよく目を凝らすと、何だか大きな包みを抱えてるのが街灯の明かりで分かる。
「ほんと、ちょうど良かった」
芙美はやっぱりにこにこ笑いながら、俺にそれを押しつけた。
「はい、これ」
「何これ」
「明日の朝ご飯だよ〜」
 ……二段重ねの風呂敷包みだ。
 思わず言葉を失った俺に、さらにコイツはとどめをさす。
「ちゃんと食べてよね。明日は私がお家にお邪魔して、そのお弁当、ちゃんと食べたかチェックするから」
 …それ、脅迫か? それとも、そう思うのは俺の被害妄想なんだろうか。
「じゃね。また明日!」
にっこり笑って手を振って、芙美は駆け戻っていった…その「にっこり」は絶対反則だ。
(…どうしよう…これ)
しばらく呆然としたまま、俺はその場に立ち尽くす。
 その重箱を抱えたまま俺が途方に暮れていたら、
「ねーちゃん、かーちゃんが風呂入れって」
「分かった分かった。ありがとうね、徹。あれ? アンタどこ行くの」
「ちょっとそこ。涼兄ちゃんに話があるんだ」
「すぐ戻ってらっしゃいよ?」
「はいはい」
芙美の玄関先でそんな会話がして、アイツと入れ違うように軽い足音が近づいてきた。
「涼兄ちゃん、久しぶり。元気か?」
「ああ、徹」
 俺も時々遊んでやったことのある、四歳年下の芙美の弟が、なんだか哀れむみたいに
  俺を見る。中学に入っていきなり背が伸びたみたいだ。
「兄ちゃんも大変だよな。ねーちゃんの手料理、毎日食わされてるんだろ?」
「ああ、まあな」
「大変そうだ」なんていう言葉とは裏腹に、徹は割りとあっけらかんとした調子で
俺に話しかけてくる。
「ねーちゃんの料理は美味いと思うけど、あれが毎日じゃ、さすがにデブるよな。
なんたって『質も量も』だもん。俺の小学校の遠足の時だって、いつも張り切って
作ってくれてたんだけど、いつだって全部食い切れないんだよ。だからさ、俺、
そういう時なんかはクラスの女の子と弁当交換したりしてたんだ」
 なるほど、その手があったか! 徹の言葉が、天の啓示みたいに思えた。
「結構喜んでくれるんだぜ。ねーちゃんの弁当は何だかんだ言っても美味いし、俺のポイントも上がるしさ」
なら、あの北条に…ほんとは全然気がすすまないけど…、芙美の弁当をやればいいんだ。
「で、参考になった?」
 気がつけば、徹はニヤニヤと俺を覗き込んでいる。
「ああ、助かった。サンキュ」
「大変だよな〜、ほんっと。ねーちゃん、あれで怒るとマジ怖いもんな。俺、中学も
昼メシが給食で良かったよ。うちの父ちゃんみたいにわき腹に肉がついたら人間、オワリだもんなー」
じゃ、と一声残して、徹も去っていった。
 …最後の一言が、俺の胸に鋭く突き刺さる。
走ることなんかすっかり忘れて、俺は呆然と家へ入りながら考えた。
(どうやって北条に芙美の弁当を食わせよう)
これが今一番の問題かもしれなかった。
 …バレたらきっと、芙美に殺される。殺されるのはいいにしても(?)、芙美に
  嫌われるのはやっぱり嫌だ。何とかしなきゃ。何とか。

 そして翌朝。いよいよ撮影が明日に迫ってしまった。ガッコへ行く前に、朝っぱらから
  風呂場ですっぱだかになって、恐る恐る体重計に乗ってみる。
 …プラス9キロ。さらに1キロ増えてる。
(だめだ。このままじゃあ…)
俺は風呂場から出ると、台所へ向かった。オヤジもオフクロも、もう仕事へ出かけたらしくて、
家の中はしーんとしてる。
 ダイニングテーブルの上には、昨日あいつからもらった二段重ねの風呂敷包みが、
  手付かずのまま残っているんだけど、
(芙美にはほんと悪いけど)
俺は意を決して、風呂敷を解いた。現れた朱塗りの重箱を持って、キッチンの流しへ向かって、
(ごめん、俺、こればっかりは食えない)
芙美に心の中で謝りながら、コーナーへ重箱を近づけて、フタを開けようとしたところで、
「やほー! 涼君、おっはよー!」
思わず重箱を取り落としそうになった。
 振り返ると、芙美がにこにこ顔で立っている。
「あー、今から食べてくれるところなんだ?」
「…早いな。まだ七時になったばっかだぞ」
やっとのことで立ち直り、言葉を紡ぎ出した俺へ、
「そりゃあもう」
芙美は大きく頷いた。
「だって心配なんだもん。前に涼君、家の合い鍵くれたじゃない。だから、
いきなり行って驚かせようと思ってさ」
「あ、ああ」
確かに驚いた…別の意味で。
「あ、お茶? 私が入れてあげる! ほら、涼君は座ってて、ね?」
 俺をダイニングテーブルへ押し戻すみたいにして、いそいそとキッチンに立つ芙美を、
  果たして俺に止められたろうか?
 俺、コイツに合い鍵を渡してたこと、悪いけど後悔した。それこそ死ぬほど。
 小さくため息をつきながら、テーブルについて、改めて重箱のフタを開けた…ら、
(これ、ほんとに朝飯なのかよ、おい)
一の重には、魚の照り焼きに肉の塊、細かく切られた白と赤の野菜、そして分厚い卵焼
き。二の重には、海苔を巻いたでかい握り飯がぎっしり詰まってる。
この構図、なんだか本屋によく並んでるような、料理雑誌の正月特集の写真で見た気が
するんだけど。
「はい、お茶だよ。しっかり食べてね!」
「うん…頂きます」
 心の中でもう一回ため息をつき、俺は食べ始めた。芙美は相変わらずにこにこして、そんな俺を見つめてる。
「ごちそうさまでした」
「いえいえ、お粗末さまでした」
 …マジ、もうこれ以上は入らない。
「じゃ、学校、行こ」
「うん…」
 腹いっぱいどころか喉まで来そうなのを堪えて立ち上がる俺の腕を、芙美は引っ張った。
「涼君はさ、いつも私の作ったご飯、全部食べてくれるから、私、すっごく嬉しいんだ」
「…そうか」
 俺は喉元までこみ上げてきたゲップを辛うじて堪えて頷いた。学校へと続く道を
  一緒に歩きながら、芙美の笑顔はあくまでも明るい。
「だからさ。今日のお昼ご飯も張り切って作ってきたんだよ。カニクリームコロッケと、
辛子明太お握り! 今朝みたいにいーっぱい作ったから、たくさん食べてね!」

 …ほんと、なんとかしないと。

 その4 むなしい逃亡計画

(明日だ)
結局、腹の皮が突っ張って苦しすぎて、いつも以上に授業に身が入らなかった。
周囲の状況(というか、主に芙美)に流されて、とうとう1キロも減らせられないまま、
撮影は明日に迫ってる。
 別にモデルの仕事をこれからもやりたいわけじゃ全然ないから、太ったこと
を理由に辞めさせられても、
(それはそれで構わないんだけどな)
けど、「辞めさせられる」のと、「自分から辞める」のとはやっぱり違う。
出来れば自分から言い出したいよな。だって、モデルを辞めさせられた理由が「デブになったから」
だなんて、なんだかとんでもなくみっともない理由のような気がするし。
 そんなことを考えながらなんとなし、ボーッとしたまま授業を受けてたら、昼休みの鐘が鳴った
  。撮影まで、残された時間は、ついに三十時間。
 俺、結局痩せられないままで、今日も終わるんだろうか。そう思ったとたん、背筋へぞくっと
  悪寒が走ったもんだから、
(芙美、きっと今日も多分、俺のところにまで弁当を持ってくる)
芙美には本当に悪いけど、昼休みの間…っていうよりも、これからガッコが終わるまでの半日、
どこかへ身を隠そうって決心した。
 だって、もしも太りすぎでモデルを辞めざるを得なくなったとしても、せめて今の仕事は俺、
  ちゃんとやり遂げたいし。
(さて、どこに隠れようか)
 まるで容疑者みたいに顔を伏せながら、教室から一歩踏み出したところで、
「あ、見〜つけた! 涼君!」
心臓が、口から飛び出るかと思った。大勢の生徒でごった返してる廊下の中、よくもま
あ、すぐに俺だけを見つけられるもんだ。
「…よう」
思わず身構えてしまった俺の方に、何故か芙美は心持ち残念そうな顔をしながら駆け寄ってきて、
「あのね、ごめんね」
「どうして?」
なんでいきなり謝るんだろう。ひょっとしたら、俺に食わせすぎてたことを反省して、それを
これから改めてくれるのか、なんて、俺はつい期待してしまったんだけど、
「今日、一緒にお昼たべられなくなっちゃった」
甘かった。
「なんで?」
 それでもあの濃ゆい弁当を食べなくてすむかもしれない可能性が少し高くなったのは、
  芙美には悪いけど有難い。
「あのね、マコちんが川崎先生の宿題、当たりそうなんだって。全然やってないから
教えてって頼まれちゃってさ」
「分かった。気にするな」
 ちょっとだけホッとして、俺がコイツの頭をクシャクシャすると、芙美はえへへ、なんて笑って
  手を振って、そのまま近くの教室へと入っていった。多分そこが相田とやらの教室なんだろうと思って踵を返しかけたら、
「はい、これ忘れてた。しっかり食べてね」
 芙美は戻ってきて、俺の手に今朝の『朝ごはん』と同じ、でかい風呂敷包みを押しつけた。
(…きっとこれ)
中味は呼び止めて聞かなくても分かる。
(一の重にはカニクリームコロッケ、二の重には辛子明太お握りがぎっしり…)
芙美の後姿を見送りながら、俺、思った。
(これ、あの北条にやろう、絶対)

「へえ、くれるの? あの子の手作り弁当じゃない? もらっちゃって本当にいいんだね?」
「ああ、構わない。箱と風呂敷だけは俺に返せ」
「ああ、任せておいてくれたまえ、はっはっは」
俺が風呂敷包みを渡すと、北条は嬉しそうに言って、俺の手から芙美の弁当をひったくると、
足音も軽くヤツの教室へ入っていった。
 さて、こっちはこれでいい。少し腹は減るかもしれないけど、
(寝れば気にはならないだろ)
と、思って、俺は屋上で寝ることにしたんだ。
…けど。
(…腹、減った。嘘だろ…眠れねえ)
一年の頃は、こんなことなかったんだけどな。むしろ、腹が減っててもおかまいなしに
眠れたような気がする。
(何か、腹に入れようか。いや、それはマズい。でもやっぱり腹に何か入れないと眠れない…
いや、それはやっぱりマズい)
 屋上のベンチで横になったのに、俺の頭に浮かぶのはそんなことばかりだ。せっかく
  天気も良くて昼寝日和なのに、どうしてこんなことになるんだろう。腹を抱えて何度も
  寝返りを打ってたら、
「だねー、やっぱりダイエットしなきゃ」
「そかな? でも高校生のうちにダイエットしたら、体に良くないって言うじゃない」
そんな俺の耳に、女たちの会話が飛び込んできた。思わず聞き耳を立ててしまっている
自分自身に苦笑したりして。
 俺がいるのに気づいているのかいないのか、二人の話は続いてる。
「だからさ、体を壊さないように、食べるのをちょっとだけ減らして運動すれば良いんだよ。
おやつをやめるだけでも、全然違うしさ」
「へー、そうなんだ」
「だよー。とにかくさ、人間、わき腹がつかめるようになったらもうオワリだよ?」
「えー、やだー!」
最後の言葉が耳に痛い。女二人はすぐに遠ざかっていったけど、俺はしばらく起きあがれなかった。
(あれ、俺のこと言ってるんじゃないよな…よな?)
 きっと自意識過剰で被害妄想なんだろうけど、そんな思いが心に渦巻いて、それに腹も減って、まさに
(にっちもさっちもどーにも、な状態ってこのことを言うんだろうな)
もうこのまま、腹が減りすぎて動けないんじゃないかって思った時、
「あー、やっと見つけた!」
 芙美の声がして俺、気がついたらベンチから転がり落ちてた。
「だ、大丈夫?」
「あ、ああ…うん」
 きっと怒ってる…そう思いながら恐る恐る起きあがって芙美の顔色を伺ったら…特に怒った様子もない。
「聞いたよー。北条くんに、お弁当取られたんだって?」
怒った様子は無いけど、意外な言葉に俺は思わず目をむいた。
 いや別に取られたわけじゃ、と言いかけると、
「かわいそー、お腹が空いたでしょ」
芙美は涙ぐんで言うんだ。
「いや別に、大丈夫だ」
ほんとは眩暈がしそうだけど、ここで負けたらまずいもんな。俺が首を振ったら、
「ううん。涼君のその顔は、お腹すいてる顔だよ」
一体どんな顔なんだろう…いや、腹が減ってるのは事実だけど。
「だからさ、私、調理室借りて、新しく作ってきたの! ちょうど四時間目、私達家庭科やってたからさ」
 俺の頭に、雷が落ちたかと思った。
 でも、芙美は、また涙目になって言うんだ。
「涼君。ほんとはモデル、あんまりやりたくないんだよね? 嫌なことを無理してやってるって、
すごいよね。私、軽く『やれば?』なんて言っちゃってごめん。だからせめてね、私ができることで
涼君の支えになれたらって、そう思って…迷惑だったら言ってね?」
 それを聞いて思わず立ち上がって芙美を抱き締めて…俺、決めたんだ。
 もうモデル、辞めよう。明日はスタジオに早く行って、聖護院センセイにきっぱり言おう。
  もう太ったって構わない。だって、俺のことをこんなにも心配してくれる女の子が側にいるんだから。
「わ、涼君!?」
 慌てた声を出す芙美を、さらに俺は強く抱きしめる。
 そうだ、明日。全ては明日だ。

 その5 明かされた衝撃の事実

(もうモデルやめよう。普通の高校生に戻ろう)
 撮影が明日に迫った日。ガッコから芙美と一緒に帰りながら俺、決めた。
もう何十年後かに、ズボンのウエストがゴムになっていても構わない。 だって、誰よりも俺のことを
心配してくれてる女の子が、きっとこれからも、ずっとそばにいてくれるんだから。
 
 そして撮影当日。
「えええーっ! そんな、ちょっと困るわよ涼介ちゃん!」
 俺がモデル辞めますって言ったら、たちまち聖護院センセイのカエルがつぶれたような悲鳴が、撮影所中に響く。
「痩せても来ないで いきなり何を言い出すのかと思ったら、ンもうンもうっ」
「すみません。でももう決めたことですし…事務所の方にも、もう言ってありますから」
俺は神妙に、だけど断固とした決意を滲ませて言う。
 夕べ、芙美をお隣の玄関先まで送ってその足で、俺は所属事務所へ向かったんだ。
 俺がモデル辞めるっていきなり言ったもんだから、社長まで出てくる騒ぎになったんだけど、
「…そういうわけですんで」
「まあ、涼ちゃんが決めたことなんだしね。もともと『キツくなったら辞めていいから』って
言って無理に誘ったのはこっちだし」
連れて行かれた応接室で、俺の決意の一部始終を説明すると、事務所の女社長はソファへ背中を
思い切りもたれかけさせて、ため息と一緒に言った。
 俺はほっとしながら、
「ごめんなさい、ありがとう」
と、礼を言う。こんなにすんなり納得してくれるとは思ってなかったから、心底安心したんだ。
でも、
「そうよねー。賢明な選択 かもね」
「何がですか?」
「涼ちゃんがモデルをやめるってこと」
「どうして」
「だって、もうモデルとしてはオワリじゃない、涼ちゃんの体。一体何があったのよ」
 世界が真っ暗になったかと思った。分かっちゃいたけれど、こんなにはっきり言われたのは
  初めてだ…他人って怖い。 
「いーい? モデルやめるのは別に反対しない。けどさ、これから先、そのペースで体重
増やしていってみ? きっとワキにもそのおニク、つくよ? そんでもって、わき腹に肉がついたら、
人間としてもオワリだよ? 将来メタボよメタボ」
普段からわりとはっきり物を言う人だとは思ってたけど…なんてえげつないんだろう。
「ま、これからどういう人生を歩んでいくのかしらないけど、がんばんなさい。そんで、もし
二年以内に痩せられたら、その時はまたお願いね。ホホホホホ」
 …敵に回したらこれ以上の恐ろしい相手はいないんじゃないだろうか。 
 俺は言葉を失ったまま、
「聖護院ちゃんへは、自分で謝りに行ってね〜」
っていう社長の声を背中で受けて、事務所を後にしたんだ。

「…そういうわけですんで」
「しょうがないわねえ」
 俺が話し終えると、はーっ、なんて長いため息をついて聖護院センセイはあきらめたように言った。
「ま、そんなこともあるかと思って代わりは探しつつあったところだから、辞めてもらっても
いいワ。今までアリガト」
「いえ、こちらこそ。今までお世話になりました」
 …みんな妙に反応が素直だ。諦めがいいって、このことか。
(俺、ほんっとーに、それくらい太ってたんだな…)
俺の体が、すぐに諦められるくらい太っていたっていう現実…別に構わないと思っていたはずなのに、
なぜか一抹の寂しさを感じながら、俺はスタジオを後にした。
 いつもの曜日だけど、いつもの時間にスタジオを出たんじゃないから、まだ明るい
  町並みにはちょっと違和感がある。
(今日はアイツがサテンでバイトしてる日だ)
 で、なんとなく家に向かって歩き出しながら気づいた。芙美に会えば、この傷ついた心が
  少しは慰められるかもしれない。ちょっと寄っていこうか、なんて思いながら、
  俺は喫茶店へ向かったんだ。
(あれ、今日はわりに空いてンな)
 芙美がバイトしてる喫茶店、わりに可愛らしい感じの…例えば、俺みたいな野郎が入るには
  ちょっと恥ずかしい感じの店構えだから、以前は若い女の客が多かったんだ。だけど、
  芙美がバイトで入ってきてからは邪魔な男が多くなって、いつも俺が撮影を終わって寄る時間帯には、
  タバコの煙でうざったいくらいなんだよな。
(時間が違うせいかな)
 まあ、どっちにしても野郎がほとんどいなさそうなのはありがたい。俺が店の扉を開けたら、
「あれ、梁川ちゃん。今日は早いね。もうあがりかい?」
俺に気づいて、カウンターの中から顔見知りになったマスターが声をかけてくる。
「ども。アメリカン、お願いします」
 言葉少なに返事をし、俺はカウンター席に腰を降ろした。
 …なんだか奥の席の方が賑やかだ。入り口近くに腰掛けたから、奥のほうは死角になっていて様子が伺えない。
「あ、芙美ちゃんかい?」
俺の目線に気づいたのか、マスターがまた話しかけてきた。
「今ね、芙美ちゃんの友達が来ててね。そっちの相手をしてもらってるんだよ。今日は割りと空いてるからね」
「そうですか」
 芙美の友達…水泳部のマネージャーの相田とかだろうか。
(ま、女だったら)
 少しホッとして、俺はカウンターへ向き直った。芙美が楽しそうに話をしてる声も聞こえてきて、
(邪魔しちゃ悪いしな)
コーヒーを待ちながら、その会話を俺は聞くとはなしに聞いていた。
「じゃあ、じゃあさ、作戦ばっちり 成功じゃん! ね? ね? 私の言った通りでしょ」
相田らしき声が言う。
「うん、マコちんのおかげだよ。今度絶対に何かお礼するからね!」
 芙美の声がそれに被さる。それにしても何の話をしてるんだろう。作戦成功だの、私の言った通りだの…。
「あ、んじゃさ、今日の宿題、写させてよ」
「もう、マコちんたら」
そこで、あはははは、なんて、楽しそうな笑い声がする。
「ところでマコちん。お目当てのカレの方はどうなった? 見た限りじゃ、あんまり効果が
出てないみたいだけど」
 芙美がまた、謎みたいなことを言った。
「あー、カレね、水泳で発散してるから、その分消費しちゃってるみたいなんだ。食べた分だけ
余計にハッスルしちゃってるみたいで、効果が出てないみたい。筋肉が少しついたって喜んでくれてたから、
まあ良しとしようかなって。ちょっとは仲良くなれたかもー」
「はいはい、ごちそうさま」
「へへ〜」
 どうやら相田にも、目当ての男が水泳部にいるらしい。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど…、
「でもさ、梁川君はあんまり運動してるようには見えないし、だから効果が出るのは、
絶対に早いんじゃないかって思ってさ」
…良くない。何だか少しずつ、話が見えてきたような気がする。
 そして、俺が聞いているなんて思いもしていないらしい芙美は言った。
「うんうん。マコちんが教えてくれたとおり、高カロリー、高コレステロール、高脂肪 、って、
三拍子揃ったものをお弁当にしてたからねー。涼君に近づいてくる女の子も確実に減ってるよ。
ほんと、ありがと!」
 その途端、俺の脳裏に、昔どこかで聞いた「ビリケンさんのテーマ」が何故か鳴り響き始めた。
「だけどいいの? なんていうか、その…好きな男の子がデブッても」
「うん、いいよ。私、別に外見は気にしないもん。外見は変わっても、中味は涼君のままだったらそれでいい」 
「やーれやれ、芙美ちゃんってば、それだけ梁川君の事、好きなんだ」
「うん。ずっとずっと小さい頃からだもん。年季入ってるでしょ。好きな男の子が
モデルさんだっていうの、最初はさ、ちょっと自慢に思ってたんだ。だけど実際涼君がモデルになったら、
いきなり遠い人になっちゃったみたいでさ…」
「うんうん」
「それに全然知らない女の子とか近づいてくるし…でも、太ったらモデルさんを辞めざるを
得なくなるわけだし、『モデルの涼君』が好きな他の女の子も近づいてこなくなるだろうし、
そしたらまた、私が涼君の『一番近い女の子』に戻るじゃない?」
「…うん、まあ…そうかも」
「その上でさ、いつか涼君に好きって言えたらいいんだけど、まだちょっと勇気がねー」
「あ、それは分かる」
 そこでまた、二人が笑い合う声が響いて…俺、もう嬉しいんだか何だか分かんねえ。
「あ、梁川ちゃん、コーヒー…」
 マスターの声を聞き流して、くらくらする頭を抑えながら、俺は喫茶店を出た。
 社長、事務所にまだいるだろうか。メンズエステの予約、入れてくれって土下座して頼まなきゃ…。

エピローグ それでも彼は幸せなのだ。

そして、それから1ヶ月後の裏庭。
「涼君、今日もしっかり食べてね!」
「ああ、いただきます」
「あ、ちょっと私、トイレに行ってくるから、先に食べてて」
 芙美が言って、駆けていく。その後姿が消えるのを確かめてから、俺はもらった(っていうか、
  押し付けられた)弁当の中身をそっと、猫たちのために買ってきた(って、建前を芙美には言ってる)
  食器へ移し変える。 
(よし、これで半分)
 濃ゆいおかずてんこもりになった猫の食器をそっと、芙美が座る場所からは見えないところへ隠しておいて、
  もう一度箸をとったところで、芙美が戻ってきた。
「あー、早いねー。嬉しいなあ」
「ああ、だって美味いから」
 いきなり半分に減った俺の弁当を見て、疑いもしないで芙美は無邪気に微笑んでいる。少々良心は痛むが、
  こういうのをお互い様って言うんだろう。 
「モデル、続けるんだってね」
「ああ、やっぱり辞められない。義理とかあるし」
「がんばってねー。私、いつまでも応援するよ」
 俺にまだバレてない、なんて思っているらしいところが可愛いと思えてしまうあたり、逆にコイツの
  『策』にはまったと言えなくもないかもしれないけど。
「ごちそうさまでした」
社長と聖護院センセイが言ってた「腹八分目」を、今日も守れた。少しまだ腹は減ってるけど、
ホッとしながら俺は神妙に両手を合わせる。
「じゃあ、お昼寝する?」
「そうだなあ」
 芙美が大きな瞳をくるくる動かしながら、にこにこと笑いかけてくる。それへ俺も、ちょっぴり
  幸せ気分で頷き返した。
今日は体育の授業も無い。ゆっくり昼寝できそうだ。
 今後は、なんとか元に戻った体重をどうやって維持するかが課題になるんだろう。それと、
  こいつのカロリー弁当の対応法も考えなきゃいけない。
木陰によりかかって地面に足を投げ出しながら、ぼんやり空を眺めていたら、いつの間にか
芙美は俺の肩によりかかって眠ってる。
(いつか俺の方から、お前が好きだって言えたら…)
小さい頃から当たり前みたいにずっと見てきた、あどけない寝顔。いじめたりも、泣かしたりもしたけど、
やっぱり俺はコイツが好きだ。
(風邪、引くぞ)
日差しはどんどん暖かくなっていくけど、やっぱり木陰は少しひんやりしてる。軽い寝息を立てている
芙美へ、そっと制服の上着をかけて、俺も一緒に目を閉じた。 

		
FIN〜




著者後書き:はい、いつのまにか自分の体がぷにぷにしていたら…恐怖です(苦笑)。
そういうのって、やっぱり知らず知らずのうちに身についた生活習慣から来るところが
大きいのでしょうか、ひえええ…。ということをですね、自身の経験を踏まえて書いてみました。
楽しんで頂ければ幸いです。(2009年4月13日一旦了)


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