RYOMA! 6



(ちょうど良かったよね)
ケータイを閉じながら、私、ホッとしてた。
私の家にたどり着くまで、かなりの大回りになっちゃうかもだけれど、近江屋経由なら、
龍馬の希望に添えるしさ。
「なあ、サナさん」
「…ん?」
もっぺん逃走ルートを確認しようとケータイを開きかけたら、妙に真剣な声がかかって、
思わず顔を上げて…ハッとした。
「俺ぁ、一体どがぁな死に様をしゆうがか」
龍馬のくるくるした両目が、ものすごく、何かを悟ったみたいに落ち着いてる。
「知っちょるんじゃろ、サナさんは」
「そんなの…そんなのを、さぁ」
胸ぐっと詰まった。
「そんなの、分かってどうすんの? 知ってたって、知ってたってしょうがないよ。
そう!それにさ! 私と出会ったことで、龍馬の運命だってまた変わってるかもしれないし」
そうそう、そうだよ。父の気まぐれでこうやって私と出会った龍馬。ひょっとしたら
「史実」は変わるかもしれないんだもん。
…なるべく声が震えないように、なるべく明るく言ったつもりだったけど、
「教えとうせ」
鴨川の流れをバスの窓から見やりながら、竜馬はぽつりと言う。
「俺は、世の中を変えちゃると思うた人間じゃ。何が出来るか分からんが、いつでも
死ぬ覚悟は出来ちょる。じゃきィ、知っておきたい」
ああ、駄目だ。この人に、嘘はつけない。通用しない。
誰よりも強くて、優しくて、素直で、天真爛漫で、純粋で…そのために誤解を受けることも多かったろうけれど、
きっと女の子なら誰だって好きになる、この人には。
「…龍馬、あのさ」
だから、私は大きく息を吸い込んで言うのだ。
「刀を、ね」
「刀?」
「うん」
いぶかしげに私を見つめてくる彼から目を伏せて、
「ピストル…うん、鉄砲でもいい。とにかく、龍馬の側から、武器を一時も離しちゃ駄目だよ」
もっともっと言いたいのに、言えると思っていたのに、言えたのはやっと、これだけ。
震える唇を噛み締めて顔を伏せていたら、
「…分かった」
龍馬はもう、それ以上聞いてこなかった。
「ごめん」
私が謝ったら、
「サナさん。近江屋跡じゃとエレキテルが言うちょる」
明るい声で龍馬は言う。
「降りよう」



その場所に、お墓は二つ並んでいる。
前にたたずんで、しばらくの間、龍馬は無言だった。
少しだけ右に首をかしげて、じっと、ただじーっと、自分の名前と「相棒」の中岡さんの名前が
刻んであるそれを見つめて、
「こがぁなところで、俺は死ぬんか…日の本の夜明けを、見ることが出来んのか」
やがて、ポツリと呟いた。
何か言わなきゃって思うんだけど、
「…旅館はね、今はもう無いんだ。けど、あの、あれから日本はアメリカとかイギリスとか、
そういう国とかと対等に貿易出来るようになってて、今では先進国の一つなんだよ」
何て言っていいか分からずに、私の口から出たのはそんなトンチンカンな言葉で、
だけど、
「そうか。あの不平等条約は無くなっちょるんか。すりゃ、良かった」
やっと私を振り返って、龍馬は笑ってくれた。
「そりゃ、あれから200年経っちょるんじゃから、あったもんが無くなるのは当たり前かものう。
それよか、の」
「うん?」
ちょっと涙ぐんじゃって、慌ててる私の顔を龍馬は覗き込む。
「この、びるでぃんぐ、っちゅう建物の中で、人間は何をしゆうがか?」
「あー…えっと、それはねえ」
……切り替えが早いんだから。
「えっと、例えばさ」
ともかく、時間は無い。京都駅経由のバス停を探して歩き始めながら、
「こういった、ほら、ここに『○○貿易株式会社』って書いてあるでしょ。この会社・・・えと、
いわゆるカンパニーっていうんだけども、この会社は、貿易をやってますってこと。だから、
中に入ってる人たちは、貿易の仕事をしてるってことなんだよ」
そのビルを指差して思った…もうちょっと日本語を勉強しよう。
「ほうか…すごいことになっちょるんじゃの」
私の拙い説明を、龍馬は熱心に頷きながら聴いてくれている。
「俺の時代じゃ、武士に生まれたモンは武士にしかなれんかったが、こん時代はええのう。
俺もでっかいカンパニーを起こして、エゲレスやメリケンと貿易してみたいがじゃ!」
「うん、そうなるんだよ」
「ほして俺は、商人じゃから農民じゃから言わんと、頭のええ奴はどんどん仕事に使うがじゃ!」
「…うん、そうなるよ、きっと」
子供みたいに目をきらきらさせて、龍馬は話す。彼のこういうところにも、女の子は
惹かれるんだろう。
「龍馬はね、えっと、新しい世の中を作るだけじゃなくて、これから貿易会社を作るんだ。
その名前、亀山社中っていうんだよ」
「ほう、ええ名前じゃのう」
「ふふ」
「それにしても、サナさんは俺も知らん俺のことを、よう知っちょるがじゃ。参考までに
もっと教えとうせ。ああ、いやいやいやっ!」
なんだかんだ話してるうちに、京都駅経由で西へ戻るバス停に着いていた。遠くのほうに、
ちょうどこっちへやってくるんだろうバスが見えて、
「もうこれ以上は教えてくれんでもええ。教えてもろうたら、生きる楽しみが無くなるきィ」
「あはは、そうだね」
もじゃもじゃ頭をブルブルさせながら言う龍馬を見上げて、私も思わず笑ってた。
この人は、これからもずっ、うん、たったの三十三歳で死んじゃうってことが分かっても、
自分があと八年そこらで死ぬって言われても、こうやって笑って・・・生きていくんだろう。
本当に切ないけれど、ある意味、ものすごく羨ましい人生を送ったのかもしれない。だって、
自分のやりたいことをやって、人生を「燃やし尽くす」ことが出来たんだもの。そういう時代だったんだもの。
(いいな)
バスに乗り込んで、私、思った。
(龍馬と同じ時代に生きて、龍馬と一緒に生きられたおりょうさんとか、お登勢さんとか…
江戸の千葉道場の佐那子さんとか…龍馬の側にいられて、いいな)
そんな人たちが、本当に羨ましいって。
京都駅から我が家まで、バスでほぼ40分。いつもは鬱陶しい渋滞にも引っかからなくて、
それが何故かすごく恨めしい。
もっともっと龍馬の側にいたい。うん、ついさっきも言っちゃったけど、
「帰らなくてもいいじゃん、龍馬」
バスの窓を流れる景色を、相変わらず目をキラキラさせて見てる龍馬に、気が付けば私は繰り返していた。
そしたら、龍馬はなんだか困ったような嬉しいような、そんな顔で私を見て微笑う。
「私の家にずっといなよ。ね、そうしなよ」
その顔を見ていたら、たまらなくなってしまって、私は続けた。だって、家に帰ったらお別れじゃん。
せっかく会えたのに、たったの一日だけなんて…そんなのって、ない。
「ほとぼりが冷めるまで私の家に隠れてるとかさ、しなよ。増田のおじさんだって、きっと庇ってくれる。
そんでもって、私の父と一緒に変な研究していればいいよ。大学にだって、父の助手ってことで
籍を入れてもらったらいいよ。そしたら二十一世紀でも生活できるじゃん、ねっ?
増田のおじさんが、きっと何とか手を回してくれる。そしたら、龍馬、死なないんだよ。だからさ、だから…っ」
気が付けば私、龍馬の袖をぎゅっと握ってる。私が見てる龍馬の顔、なんだかゆがんでるなーって
思ったら、
「オナゴどんを泣かせるのは、俺の流儀に反しゆう…困ったの」
龍馬の指が、ごく自然に私の頬の涙を拭ってた。私、泣いちゃってたんだ。
「京のサナさんも、優しいの。優しいオナゴばっかり集まってくれる俺は幸せモンじゃ。
俺がもしこの時代に生まれておったら、きっとサナさんに惚れちゅう」
「…馬鹿」
「心外じゃなあ。俺は強うて優しいオナゴどんが好きなだけじゃき」
ああもう、この人ってば江戸時代の人間の癖に、なんだってこんなにキザなんだろう。
泣くまいと思って堪えたら、喉が「グッ」なんて変な音を立てる。その途端、走ってたバスがいきなり止まって、
座席に座ってても前につんのめりそうになった。
「…何事じゃ」
アナウンスもなくて、いきなりバスが停車したんだ。
前の座席に、思い切りおデコをぶつけちゃって、
「あいたたた…わ、いけない!」
前を見たら、バスの運転手さんが両手を挙げて怯えてる。バスの前の入り口から入ってきたのは、
「黒服だ!」
まさに、さっきのおじさん達だった。その中には増田のおじさんの顔も何故かあって、
(追いつけたんだ、あの体型で)
とか、つい考えてしまった私を、私はちょっと偉いと思った…変に冷静だって意味で。
「追っ手か?」
「そうだよ! 逃げよう!…でもどこから逃げたら」」
ああもうホント泣いたり焦ったり、忙しいったらありゃしない!
「よっしゃ、来い!」
「はえ!? わ、うわっ!」
龍馬の手が、私の腕をぐいっと引っ張る。何をするんだと思ったら、
「ひえええ!」
なんと、龍馬ってば私を庇うようにしながらバスの窓を壊す。
「俺にしっかりつかまっとうせ!」
叫んだかと思うと、私を抱きかかえて、そこから飛び出して、
「…大丈夫か?」
…世界がぐるっと一回転した。映画のアクションシーンで見たことあるけど、実際に
体験したのはこれが初めてだ、つか、普通の人は体験しないよね…。
「…大丈夫、だと思うけど」
「なら、走れ!」
「あ、う、うん!」
私たちが「降りた」のを知った黒服のおじさん達は口々にわめいて、そんでもって、なんだか
すぐ近くの交番から警察も出てきて、バスの周りはてんやわんやになりかけてる。
それを尻目に、
「こっからサナさんの家へは、どうやって帰るがじゃ!?」
「タクシー、つかまえよう!」
「たくしー!?」
「えー、エレキテルで走る人力車みたいなもんだよ!」
「なるほど! よう分からんが、分かった!」
走りつつ、私達は怒鳴りあった。走りながら、ちらっと後ろを見たら、増田のおじさんを含む
黒服の人たちは、私達を気にしながら必死で警察官に事情を説明しようとしてるっぽい。
逃げてるうちに、ポケットの中のケータイがまた鳴って、
『…足止めしておく。なるべく早く逃げろ』
それは増田のおじさんからのメッセージ。
なのに龍馬ったら、
「おお!? 壬生寺! 沖田君らがおるところかの?」
ちょうど、「五条壬生寺」あたりで「降りた」もんだから・・・まずかった。
なんだってこんなに危機感がないんだろう、っていうか、やっぱり感覚が江戸時代だし、戦うっていっても
どこか「のんびりした」ところが残ってたのかもしれない。
「俺が京に来るちょっと前に、新撰組の駐屯所じゃ、いうことになりかけちょる、とは聞いておったが、
ほんまに駐屯所になったんじゃの」
「もう! そんなこと」
言って、足を止めてる場合じゃないでしょ、って言いかけて、私は黙ってしまった。
だって、寺の門のところに立ってる説明書を見てる龍馬の目、哀しくて優しくて…そんな風だったから。
「そうか、そうか…新撰組も長うはなかったんじゃの…」
呟くみたいに言って、それから小さく「あいてて」なんて漏らして、そこで私はやっと気づいた。
「ごめん、龍馬! 怪我したんじゃないの!?」
「俺は頑丈じゃきィ、気にするな」
なんだってそこで、私と同年代の男性なら絶対に口にしないことを言うんだろう。なんだってそこで
また笑えるんだろう。
こんな時に、こんなステキな人に私が言えること、出来ることは、
「…お寺、通り抜けていこう。そしたらタクシーも見つかるよ」
せめて、龍馬と同じ時代の人が生きて、そこに存在していたってことを示す場所を、少しでも見せる、
ただそれだけなのだ。
「ええのか?」
「うん。少しだけ、歩こ? えっと、こうして!」
ちょっと勇気が要ったけど、思い切って龍馬の腕を両手でぎゅっと掴んだ。そしたら、
「おいおい」
龍馬ってば、ちょっとびっくりした顔をして、それから、
「ハハハ、もてる男は辛いのう!」
なーんて笑った。良かった、笑ってくれた。
「それから、新撰組はどないなったがじゃ…いや、言わいでええ」
壬生寺の、綺麗に敷き詰められてある砂利の上を通りながら、龍馬は今度は少し寂しげに笑う。
「サナさんの顔、見りゃ分かる。沖田君も長うなかったんじゃな」
「…うん」
沖田君…沖田総司のことだろう。彼は肺結核で、まだ二十代の若さで死んだ、なんて、
どうして今の龍馬に言えるだろう。
今じゃ治せる病気だけれど、江戸時代の「肺結核」って、ほとんど「死」を意味するって聞いたことがある。
「どこからか、おっけな(大きいってことかな?)時代ちゅうもんのうねりが来る。それを俺らは感じちょった」
もうすぐ日が暮れそうなのに、境内はとても熱い。京都の夏って本当に暑いけれど、少しだけ風が
出てきていて、木立の、さわさわっていう音が、とても心地よかった。
「…うん」
龍馬と同じように目を閉じて空を仰いで、私は頷く。
「そのうねりは…上から起こったもんやない。俺らが…『下』の人間が起こした。俺ぁ、そいつを
誇りに思うちょる」
「うん」
私は、ただ頷く…龍馬が、具体的な返事を欲しがってるわけじゃないって分かったから。
そしてその「うねり」は、龍馬が起こしたんだ。たった一人で。
しばらくして、
「明治政府ってね。天皇を、ね」
閉じていた目を開けて、私は竜馬を見上げる。
「うん?」
私を見下ろしてくる龍馬の目が…眼鏡越しだけど、とても優しくて、
「一番上に頂いた体制。大名とかは、幕府とか関係無しに皆が平等に藩知事として扱われる。
身分制度も何もなくして、皆が自由に好きな職業につける…まあ、それは結果的には建前でしかなくて、
新しい身分制度が出来たってだけになっちゃったんだけど、だけど、当時としては画期的だったと思うよ。
それは皆、あなたが考えたんだよ、龍馬」
「…」
「日本が、不平等条約を突きつけてきた相手と、対等の立場なるには、って、それを一生懸命…
皆が、自分の出身の藩のことだけ考えてた時に、あなただけが日本っていう国のことを考えていた…」
龍馬は、黙って私の顔を見て、じっと耳を傾けてる。
「不平等条約の一つの、治外法権が撤廃されたのは、1895年くらいだったと思う。それをやったのは、
陸奥宗光」
「…なんじゃ、あの陸奥がやったんか!? そりゃぁええ!」
「ふふふ」
私が言った途端、龍馬は笑い声を上げた。つられて私も笑った。
だって陸奥宗光って、若い頃は本当にチャランポランな人だったって聞いたこと、あるもの。
英語が出来るからって、龍馬に無理やりくっついて、結局バケの皮がはがれて、とか、龍馬の仲間の人たちに
相当生意気な態度を取って嫌われてたとか、色々、さ。
ひとしきり笑った後で、
「ほいじゃサナさん、行こう」
龍馬は、腕に捕まってる私の手をふりほどかずに言った。
「俺は、平成やのうて、江戸の志士じゃ」
「…うん」
頷いて、私は俯く。境内の砂利は、また歪んで見えた。


to be continued…


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