RYOMA! 3



2 龍馬はやっぱり龍馬なのだ

(に、しても)
「サナさん、このお椀はどこへ置いたらええがか」なんて尋ねてくる龍馬へ、
ぼんやりしたまま「そこへ適当に置いといて」なんて答えながら、
(適応能力が高い人間って、色々とおトクなんだなぁ…てか、サナさんって私のことか、やっぱり?)
どっかで聞いたような呼び方だなぁ、なんて、これまたぼんやりと私は考えていた。
「サナさんの父上に色々と教えてもらったきに。瓦斯(ガスのことらしい)やら
エレキテル(電気のことか?)っちゅうのは、げにまっこと便利なモンじゃの」
「うん、まあ」
龍馬が流しに置いてくれた食器を洗っていたら、手伝ってくれるつもりなのか、彼は私の隣に立って
私が洗い終わった食器なんかを水切り籠に「ここでええがか?」なんて入れてくれたりして。
横目でちらっと見たところによると、背、は、私の父と同じくらい。ってことは、173センチそこら?
これで「龍馬は体格が良かった」なんていう記録があるんだから、昔の日本人男性って本当に
背が低かったんだな、なんて実感できる。
なんてったって、龍馬でさえ、お父さんの開襟シャツに黒いズボンがぴったりなんだもん。
で、その龍馬ってば、頭にしてた三角巾を外しながら、
「なによりこん、ひねると水がばあっと出てきよる蛇口、とか言うんもええ。いちいち井戸に行く
必要もないし、ここのポッチリを押すと湯に変わるっちゅうのも画期的じゃけえ。
乙女姉さんに教えちゃったら、羨ましがるじゃろうなあ」
「…うん。そうかもしれないね。あ、悪いんだけど、そこのフキンとって」
「おお、これか?」
なんだか偉くはしゃいじゃってるみたい。残ってる本人の写真って言い伝えられてる写真(日本語が
変なのは百も承知だ)の中の、細められてる目とは全然違う、大きくてまん丸な目をキラキラ輝かせて、
「京、っちゅうのはやっぱり進んじょるところじゃのう。サナさんも父上殿も、毛唐の国の服を
さらっと着こなしゆう。江戸に留学した時は皆、着物を着ちょったと思うたが、大都市は違うのう。
もう毛唐の服が流行っちょるんか。さすがは昔っからこん国の文化の中心じゃっただけはあるきィ」
「…ん、そうかもしれない…じゃなくて!」
のたまった彼の言葉を、ついうっかり聞き流しかけて、辛うじて私は遮った。
これは適応能力が高い、っていうんじゃなくて、
「あの…さ」
「ん? 何じゃ?」
助けを求めて父の姿を探したんだけど、台所にはもうその姿はない(多分、倉庫の方に行っちゃったんだろう)
から、
「今、何時代か知ってる?」
尋ねかけて、私は後の言葉を飲み込んだ。龍馬がここに来たのは夜だったし、彼が移動したのは
倉庫と私ん家の中だけのはずで、だから、
(知らないんだ)
なにやら空恐ろしい予感がする。一体彼にどう説明したらいいんだろう。
(父ってば、もうっ!)
色々と教えてもらった、っていうから、当然この時代が何時代かを教えてるもんだと思ってた。
だけど、父が教えたのは身の回りの生活のことだけっぽい。
(父! 恨むよっ!)
本人にはそのつもりはないってことは分かってる。分かってるんだけどっ!
(面倒なことはいつもいつも私に押し付けてくるんだから、もうっ!)
「えー、えーと、ね、あー、うー」
「それよかサナさん。匿うてくれゆうのはありがたいんじゃが、これ以上おんしらに迷惑はかけられん」
言葉を一生懸命探してる私を、怪訝そうに見ながら龍馬が言う。
「それに俺ぁ、一刻も早ぅ、江戸へ行かにゃぁならん。夜になったらまた出発するけえ、
それまでに俺の服は乾くかの」
…ああ、そうだ。確か脱藩っていうのは、つまり自分が所属してる藩から抜け出すってことで、
要するに藩関係の人間じゃなくなりますって、行動によって宣言することだ。
当時はものすごく重い罪の一つで、見つかったら問答無用で切腹、だっけ?
だって江戸幕府から「藩として、藩士の管理がなってない」ってお咎めを食らうから…悪くすると
藩そのものが「お取り潰し」になるかもしれないし。
だから龍馬は脱藩してから死ぬまで、大っぴらに故郷の土佐に帰ることが出来なかったのだ。
あ、ちょっとした感慨にふけっちゃった。
「…あー、うん。洗濯は終わってるみたいだから、干しておくね。今日は天気もいいから、
夕方までには乾くと思うよ」
「ほうか! 感謝するぜよ!」
「…いえ、どういたしまして…って」
だから、シミジミしてる場合じゃないでしょ、私っ!
「えと、そうじゃなくて、えっと」
「なんじゃ」
龍馬が「近視で乱視だった」っていうのはどうやら史実らしい。結構近くにいるのに、
目を思いっきり細めて首をかしげながら私を見てる。
「ちょっと来て」
でも、百の言葉より実際に見てもらったほうがいいかもしれない。覚悟を決めて、私は
彼の袖を引っ張り、二階のベランダへ連れて行ったのだ。
「…これが京の街…」
「龍馬の時代から、二百年近く経ってるんだよ」
私の家は、京都市の中でもちょっと西に外れた、小高い丘の中腹に広がった住宅街の中にある。
だから、ベランダからは京都の市街地が一望できて、
「私の父が、貴方をこの時代に呼び出したんだ。今は江戸じゃなくて、平成時代って言うんだよ」
…私の隣でぽっかりと口を開けたまま、両手を手すりにかけて身を乗り出さんばかりにしながら
景色を眺めてる龍馬へ…その横顔を見ながら、むしろ冷静に私は告げていた。
どんなに彼は「テンパる」だろう。絶対にこの事実を受け入れられないだろうし、そもそも
理解すらしたくないだろうし、すぐにでも自分の時代に帰りたいって言うだろう…と、私は思っていたのだけれど、
「…すごか。この林立しちょるモンは、建物か? だとすりゃあ一体、どういう建物じゃ? どがいして作ったんじゃ」
「はい?」
しばらくして、龍馬はぽつりと言ったのだ。
「二百年後の世界か。すごか! もっと近くで見てみたいがぜよ!」
「…」
「俺ぁ近目じゃきぃ、近づかんとよう見えんが。じゃけえに、近くで見たい」
なるほど、これなら私の父とも気が合ったわけだ。適応能力が別の意味で高い。
仕方が無いから、
「父」
「ん? おお、早苗、どうしました」
「どうしました、じゃないよ」
龍馬と一緒に倉庫へ降りて、父へ声をかけたらこれだよ。せっかくの休みだから、どこかへ一人で
出かけようかと思っていたんだけれど、こんな父と龍馬を一緒にしておいたら、どんな騒ぎが起きるか
しれやしない。
「龍馬と一緒に、河原町に行ってきたいんだけど、父、大丈夫?」
「おお、私なら放っておいてくれ。増田を呼び出さなきゃならんし、装置の修理をしなきゃならんから、
そんな事にかまけている暇がない」
「…あっそ」
いつもながら、こりゃだめだ。自分の研究に没頭し始めると、つまり脳内スイッチが入っちゃうと、
この父は途端に周りのことが見えなくなるんだから。
「えっと、そういうわけだから、騒がずに付いてきてね」
私が言うと、
「分かっちょる。俺ぁ田舎モンじゃき、見るもの全部が珍しいが、なるだけ騒がんようにする。
でないとサナさんが恥ずかしいじゃろ」
龍馬は一応、神妙に頷いたんだけれども、さ。
(今日、大学が休みでよかった)
大きくため息を着きながら、私は父の使ってるスニーカーを龍馬へ渡した。
「…なにやら蒸れそうな履物じゃの」
そしたらまた、龍馬はそれを見て言うわけだ。
「俺、ミズムシをやっちょるんじゃが、伝染つらんかの」
…ホンット、一言多い。
「大丈夫なんじゃない?」
だもんで、私も言ったわけだ。
「履くのは私じゃなくて、父だもん」
「サナさん」
そしたら龍馬は私の顔をまん丸な目でマジマジと見て、
「京のサナさんは、面白いの。江戸のサナさんはそこまでじゃなかったが」
天井を向いて大きな声で笑ったのだ。

そして、
「おお、動いた!」
(…やっぱり)
案の定、龍馬は騒いだ。
最終駅に近いバス停から乗ったから、乗客は私たち以外にいない。
バスがやってくるところからもう、好奇心一杯、ってな風に目を輝かせていた龍馬は、
「こりゃぁ便利な乗りモンじゃの。馬や駕籠とはまるで違うが」
「騒がないって言ったでしょっ」
「…すまん」
しょっちゅうこんな風に騒いでは、そのたびに私に怒られてしゅんとする、を繰り返しているのだ。
「…ばす、ちゅうがか。毛唐の国にあるっちゅう、乗り合い馬車みたいなもんかの」
「…まあ、そうだね」
でもって、叱られたらしばらくはコソコソしゃべるんだけれども、
「これは誰がしゃべっとるんかの。あそこに座っとるヤツぁどう見ても男じゃし」
「…えっとね」
仕方が無いから私も、なるだけ分かりやすいように、
ため息を着きながらコソコソ説明するわけなのだ。
「あそこに座ってる人は、このバスの運転手さん。で、このアナウンスは、音声テープで機械が
えー、しゃべってて?で、停留所に着く前に絶対流れて…えっと」
…だめだ。私も説明しようとしたのはいいけど、これってどうしたって「エレキテル」の時代の人に
分かる説明じゃないよね? だって「知ってる人前提」の説明なんだもん。
また言葉に迷ってしまった私に、
「…昔、勝先生が、な」
窓の外の景色を、目を細めて眺めながら龍馬が言った。
「黒船でやってきよったあめりか、っちゅう国には、活版印刷っちゅう機械があると言うちょった。
それもおんしの言う、『キカイ』の類じゃろう。要するに、あれも」
なーんて天井のスピーカーを指差しながら、
「それと同じか」
「…んー、厳密には違うんだけれども、似たようなもんかなぁ」
続けるもんだから、
(もうちょっと知識を増やさなきゃ)
いかに自分がモノを知らないか、ってことに改めて気づかされて、ものすっごく恥ずかしくなったりして。
それからも、乗客が増えたバスの中で、
「ほうぉん…大都市っちゅうんはせわしないのう」
だの、多分人が乗ってきて、そんでもって臭うんだろうけど、
「…ちーと臭いがぜよ」
だの言う龍馬に辟易しながら、
(小さい頃から当たり前みたいにして「ある」から、どうしてそこにあるのか、どんないきさつで
設置されたりしたのか、なんて知ろうとも思わないもんねえ)
なーんて、私は思ったりしていたんである。

で、なんで私がわざわざ四条河原町までやってきたかっていうと、
「メガネ、要るでしょ」
「何からかにまですまんの」
ビルを近くで見たい、っていう龍馬の希望をかなえるためでもあるし、彼の視力を
何とかするためでもある。
「人が多いから、しっかり手をつないでいて」
休日の新京極通りは、いつもに増して人が多い。学生御用達の安い眼鏡屋さんは、この通りの
突き当たりにあるわけなんだけど、
「…ほら、ぼーっとしないで!」
「お、おお、すまん」
言ってるそばから、龍馬は人にぶつかりそうになってる。私がほとんど怒鳴りながら、
「手! 絶対に離しちゃだめだよ」
もう一度言ったら、
「ほうじゃな。じゃけんど、サナさんは、えーと」
ちょっとためらってから、彼は手をおずおずと伸ばしてきた。
「ええのんか? 俺なんかと手ぇつないでも。なんやら毛唐がしちょるみたいで照れ臭いが」
「は? 何言ってんの。迷子になったら、家に帰れなくなるでしょ。それを防止するためだって」
ちょっとイライラしつつ左隣の顔を見上げながら言ったら、
「そりゃそうなんじゃがの」
龍馬は、空いてる左手でモジャモジャ頭をボリボリ掻いてる。
(照れてる、のかな、ひょっとして)
なんて思って、龍馬がためらっていた理由に、やっと私も気づいた。
「…ま、行こっか」
「ん」
だけど今更…つないじゃった手は離せない。人が多くてどうしようもない、っていうのも本当なんだから、
なんて心の中で言い訳して、だけど、
(…デートみたい)
うわあ、なんて、妙に私も照れてしまって、ちらっと龍馬の顔をうかがったら、
「…平和じゃの」
龍馬ってば、ごく自然な風に私の手をつないだまま、ゆったりと歩き続けてる。
「誰も刀を差しちょらん。誰もがサナさんみたいな格好しちょる。誰の顔も穏やかじゃ…
誰も俺の『知っとる』顔をしちょらん」
「…えっと…うん」
歩きながら、つぶやくみたいに言った龍馬の言葉に、私も頷いていた。彼の言いたいこと、
なんだかとてもよく分かったから。
(龍馬は、やっぱり違う時代の人なんだ)
当たり前だけど、改めてそんな風に思って…何故だかちょっとだけ泣きたくなった。
だから、
「あ、ほら、眼鏡屋さん! 度の合うメガネ、買ってあげる。京都の見所は一杯あるよ。
だから、ちょっとの間だけでも一緒に見よ?」
そんな気持ちを追い出すみたいに、私は慌てて頭を振りながら彼に言ったのだ。
…まあ、夜になるまでに、あの装置が正常稼動するかどうかは保証の限りじゃないんだけど。
そしたら龍馬はちょっと驚いたみたいにまた目を丸くして、
「そうじゃな」
少しだけ、微笑った。

to be continued…


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