パラレルワールドを追いかけて 1




プロローグ



…月が、こうこうと辺りを照らしている。
空中をエア・カーが飛び交う帝国都市ゼノン。34階をゆうに越す、高層マンションの間を縫って、
月はこうこうと辺りを照らす。
「…うるさい」
そのマンションの一室で、鳴っている目覚ましを乱暴に叩き、少年は少しだけ目を開けた。
そして、再びベッドへ潜り込み、大きくイビキをかき始める。
ベッド脇の小さいテーブルの上には、帝国要員証がこれまた無造作に置かれ、黒光りする銃がその右にある。
大陸ゼノン、テラ歴200×年のことである。



月は、そして別世界の住人をも同じように照らす。日本は東京の、とある下宿の一室で、
「あーもう! レポートがまとまらないよ!」
髪の毛をかきむしって、悲鳴を上げている少女がいる。
「私ってどうしてこう、文才ないのかな…はぁ。せめて
こういうとき、素敵で頭のいい彼とかいたらな…」
ブツブツ言いながら、座っていたコタツから立ち上がり、気分直しにとアップルティーを入れかけて、彼女は気づく。
「星なし夜、か…」
満月の夜。月の光がまぶしすぎて、星が見えなくなっている。
しばらくその美しさに見とれたあと、
「さて、もうちょっと頑張らないとね…ふぅ」
ため息をついて、彼女は…有坂恵美は、再びコタツに戻った。
(ん? 確か出席番号の170番あたり、いい男がいたような?)
そこで入学式の時のことを思い出し、彼女の目は宙をさ迷う。が。
「あー、だめだめ。交通事故で入院しているとか無いとか…」
彼女に近寄ってくるのといえば、彼女のノート目当ての男ばかり。
「つまらないな…。でも、ま、頑張りましょ」
彼女の大学のレポートの締め切りが、3日後に迫っていた200×年12月19日の晩のことである。


ACT 1;扉を開けて



そして、その少年は慌てて飛び起きた。
「やべえ!」
目覚し時計を無意識に止めて寝てしまったため、どうやら寝坊してしまったらしい。顔を適当に洗い、歯も
適当に磨いて、彼は身支度を始めた。
ベッド脇のテーブルに手を伸ばした時、その上からパスケースがするりと床へ滑り落ちる。
「ああ…っと」
右手でそれを受けとめて、制服の内ポケットへしまいかけ、改めてそれをつくづく眺める。
カイル=セノオ(AGE:19)。帝国OO(ダブルオー)要員NO.2。しゃっちょこばった身分証の顔が、寝坊したことを
責めるかのように見ている。
大きな目、すっきりと通った鼻梁。そして少し幼さが残る口元。
(仕方ないさ…あの人に憧れて、俺はここまで来たんだから)
帝国軍人の制服に身をつつみ、長い髪を無造作に一つに束ねて、彼は部屋を出、エレベーターに乗る。
…殺人許可証。
敵とみなした人物が抵抗した場合、殺すことを許可されている証。
(あの人に少しでも近づきたくて、俺は頑張ったんだ。たとえそれが、自分を殺人機械に貶めることであったとしても)
エア・モービルにまたがり、メットを被って、帝国軍本部へ向かいながら、彼は入隊した当時には考えもしなかったことへ
思いを巡らせる。
あの人…ゼノン大帝ディオ。
むかし、ミネルバ、ムーザ、ミシェラン、そしてゼノン、とばらばらに分かれていた国家が存在していたこの大陸は、
彼によって統一された。
ディオの出自を知るものはいない。だが、彼は実力で持って、ゼノン市民の希望となったのである。
若者達はみな、彼に憧れ、彼に直に声をかけてもらいたいために帝国軍人OO要員を目指す。
カイルも、ご多分に漏れずその一人だったわけである。
もっとも、彼自身も自分の出自を知らないということはティオと同じだが。
ひょっとしたら、ディオに滅ぼされたかもしれない国の孤児であったかもしれない。
ともかく『将来が有望』な人間として、物心ついた時から帝国要員養成所で育った。
(だから俺は、あの人に恩がある。あの人の助けになりたい)
つい先ごろ、ムーザの民の残党殲滅を命じられて、その代表者を手にかけたばかりであっても…。
「や」
「よお」
エア・モービルが、軍本部に静かに横付けされる。ガラス張りの自動ドアが音もなく開き、
中からカイルの同期生であるセルゲイが彼へ向かって片手を上げた。カイルも気を取りなおし、
それへ片手を上げて挨拶を返す。
「少々遅刻だな。クランツがじりじりしてたぞ?」
「うへ、マジか?」
クランツは、彼らの上官である。訓練は厳しいことで有名だが、その熱心さに裏が無いので、皆に好かれていた。
噂では、ゼノンが帝国になるのを影で支えた人物の一人とも言われている。
「そういえばな」
並んで歩きながら、セルゲイが雑談のように切り出した。
「なんだよ」
つま先を見ながら、カイルは答える。いつもながら軍本部の廊下はぴかぴかに磨き上げられていて、
自分のボロ靴が恥ずかしくなるほどだ。
「お前、こないだムーザの残党征伐に行った時、手加減したんだって?」
「…何?」
穏やかならざることをセルゲイの口から聞かされ、カイルは思わずその口元を睨みつけた。
「いやぁ…そんな怒るなよ。ただな、ムーザの代表者のガキの姿をあっちで見かけたって
やつがいてさ。それがディオの耳に」
「…子供に罪は無いだろう」
「やっぱりかよ」
セルゲイが、うっすらと口元に冷笑を浮かべる。カイルは睨むのをやめず、
「代表者は殺った。それで問題は無いはずだ。違うか。子供まで殺れとは命令されてない」
「違うんだよな、それが」
「な…?」
セルゲイが、片手をパチンと鳴らした。その途端、待ち構えていたように廊下のあちこちから
同じような軍人が、レーザーガンを構えてカイルへ向かってくる。
「何のマネだ」
身構えながら、カイルは低い声でセルゲイに言う。すると、セルゲイは冷笑をやめず、
「悪いね。俺も出世したい。そのためには何だって利用させてもらうさ」
「待て! お前、俺の『力』のこと、知ってんだろ?」
「お前、俺を脅すのか。俺達には持っていないその『力』のことなんか言い出しやがって。
『持っている者』は、『持っていない者』へその力を使っちゃいけないって、ディオが決めてたよな?」
「…いや、脅すつもりは無い。ただ…ディオに対面させてくれ。直接言えば、あの人なら分かってくれるはずだ」
「だから、そうは行かないんだって」
「え」
面食らう彼へ、セルゲイはさらに信じられないことを言った。
「そいつは反逆者だ、捕らえろ」
「野郎!」
カイルの中の『力』が、一気に膨れ上がる。それを駆けつけてくる兵士達へ向けようとした瞬間、
「な…ぜ…」
大きく目を見開いて、倒れたのは彼の方だった。
「大人しく捕らえられればいいものを、手間をかけさせやがってよ」
自分の『力』を自分で食らって、床に倒れたカイルの耳に、セルゲイのバカにしきった声が聞こえてくる。
「しかし、伍長。これほどまでとは思いませんでした。リフレクトシールドを張っていても武器が
2,3やられております」
兵士達の一人が、震える声で彼に報告している。セルゲイは肩をそびやかして、
「連れていけ。動けないほどに縛り上げろ」
…シールドに跳ね返された自分の力を食らい、動けないカイルの体に、さらに何重にも縄がかけられる。
そして大帝ディオは、「ムーザの民の反乱を煽動した張本人を処刑する」ことを、ゼノン市民に公表したのである。


「ゼノン市民へ告ぐ!」
眩しいトーチの光に照らされて、中央に磔にされているカイルは、その声で気がついた。
帝都都庁前の、公開処刑場。
その中央に建てられた柱の一つに括り付けられ、彼はうつろな目を彼に背中を見せている、背の高いマントの人物へ向けた。
「ムーザの代表者と通じてその子供を生かし、さらなる破戒活動をこのゼノンへもたらそうとしていた人間、
カイル=セノオを、ここに処刑する!」
言い終わると、マントの人物はその裾を翻してこちらを向く。
これこそ、地方都市ゼノンを、一大帝国に仕立て上げた大帝、ディオ。その顔は、全てが仮面に覆われていて無表情である。
もっとも、ゼノン大帝ディオの素顔を見た人間は、今までに存在しないのだが…カイルの上官であるクランツ一人を除いては。
(ディオ…俺を嵌めた…何故だ?)
体のあちこちから血が流れている。それを感じながら、カイルは体の中に『力』をみなぎらせる。
いわゆる「政治犯罪者」は、大帝ディオ自らが手を下すのが普通である。重々しい軍靴の音を聞きながら、
カイルはディオが自分の側に近づくのを見ていた。
「さらばだ」
「…おおおおおっ! ディオオオッ!」
まさにディオがその人差し指を彼の額に向け、『力』でもって彼を処刑しようとしていたその時、
カイルは叫んで両手両足に力を込めた。縛り付けていた縄がちぎれ飛ぶ。
「てめえは、絶対に許さん!」
驚く兵士達のざわめきを意にも介さず、カイルは一気にディオへ向かって跳躍した。
そのまま、両手にこめた『力』を、ディオにぶつける。
ディオもまた、人差し指の『力』を、彼に向かって発する。
…凄まじい『力』同士がぶつかりあった瞬間、時空の扉が開いた。



…どこからか、鈴の音が聞こえる。
『カイル、聞こえますか』
その音とともに、女性の声が彼に話しかけてきた。
『…アンタ、誰だ』
光に包まれて、どこへともなく運ばれていく自分を意識しながら、指一つ動かせないまま、
カイルはその声に心で問いかけた。
『私は…シーダ。この大陸を創りし者』
『シーダ?』
『これから、貴方を貴方が望む場所へ運びます。どうかそこで、貴方に欠けているものを見つけるよう…』
その言葉を最後に、鈴の音がだんだん遠ざかっていく。
『待ってくれ! アンタはまさか…あの『地母神』なのか?』
しかし、彼の問いには答えず、哀しげに女性の声は響く。
『本来ならば私が動かねばならない。けれど私が動くと世界の秩序は失われる。…頼みますよ、カイル』
彼女が言い終わると再び、カイルの意識は闇に飲まれた。


「ああ、やっぱり上手にまとまらないよ!」
…そして東京では、かの少女、恵美が頭をかきむしっていた。
大学の課題とは言っても至って簡単。文庫本を読んで、その感想文を書く、といったものなのだが…。
「『…人はその胎内で…母なる海の…』…違うなあ」
机のパソコンは、無情に自分の文才のなさを映し出しているようで、
彼女は思わず天を仰いでため息をつく。
「ま、こういう場合はアレしかないでしょ」
そして大きく伸びをして、
「現実逃避にアップルティー。頭もすっきりするかも」
机を軽く両手で叩いて、立ち上がろうとした。
瞬間。
「わ!」
そのパソコンの画面が、凄まじい光を放つ。
まるでそれに叩きつけられたような格好で、恵美は部屋の床に仰向けに転がっていた。
「……?」
特にどこも痛んではいない。恐る恐る起き上がり、パソコンの画面を右手で撫でまわしていた彼女の手が、
しかしぴたりと止まった。
「うそ…やだ!」
何も映し出していないその画面の中に、ぽつんと現れた点。それは見る間に人の手の形を取り、後ずさりをする彼女の手に
ぴたりと合わさって、ずるずると這い出してきた。
「ひえ、何これ!」
払いのけようとしても剥がれない。ボロボロの手袋をはめたその手は、次第にその全貌を明らかにし、
彼女の目の前に一人の少年となって現れたのである。
「静かにしてくれ」
肩で息をしながら、その少年は、腰を抜かしている彼女を睨みつけた。
「俺は…カイル=セノオ。多分『有名人』になってる。ゼノン帝国軍人マーダーライセンス所持。OO要員だ」
「…何それ」
「…あん?」
しかし、恵美のきょとんとした顔に、これも同様に呆気に取られたらしい。睨んでいた顔を、
いきなり少年のあどけなさが残るそれに戻し、
「だからさ、俺はカイル=セノオ。なんだよここ、よっぽど田舎なのか?」
「田舎? あなたこそ何言ってんの」
(ヘンシツシャ? …それともキ印? 変なオトコ)
恵美は腰を抜かしたまま、後ずさりしながら答えた。
「ここは日本の東京よ」
…しかし何という格好なのだろう。長い銀髪に水泳でもやりそうなゴーグル、どこかの制服らしい
着ているものの左袖には、へんてこりんな機械と何本ものコードがついていて、しかもボロボロで…。
「あ? トウキョウ? 聞いたことねえな」
「何よ、貴方こそ田舎者なんじゃない…」
「ちげーよ!」
どうやら『田舎者』という言葉がカンに触ったらしい。いきなり彼はその大きな目を一回り大きくして騒ぎ出した。
「そりゃな、ゼノンは昔は田舎だったよ。だけど、今じゃ立派な都市のひとつなんだぜ? 習わなかったか」
「しっ! 貴方こそ静かにしてよ! ここ、一応、男子禁制なんだからね。大家さんにばれる!」
「あ、すまん」
彼女の言葉に、ふくらんだモチが縮むように、彼は体を縮こまらせて座り直す。
「…血、出てるね」
どこの国のことなのかは全く分からないが、ともかく言っていることはまともだ。気を取り直して、
つくづくその少年の様子を見た恵美は、ふとそれに気づいた。
「救急箱、あったかな。どこでケガしたの?」
押入れを開けてごそごそと探しながら尋ねると、
「あ、まー…色々やって…」
彼は言葉を濁した。
「ま、すぐに出て行ってくれるなら、どうでもいいけどさ。ほら、その腕」
「…大したことねえよ。すぐにふさがるんだ」
「ダメ。ばい菌が入ったらどうするの? ほら」
恵美の言葉へ、少年はしぶしぶながら血の出ている腕をまくりあげる。
近づいた彼女の肩までの髪の毛とほのかな香りが漂って、彼は思わず顔を真っ赤にした。
「ん、よし。で、どうすんの、これから」
ふと気づくと、彼女の大きな目が自分を覗き込んでいる。
「あ、うん…とにかくゼノンへ戻って、ディオ大帝をぶっ殺す」
「あ、そ…頑張ってね…って、どこにあんのその…貴方の国」
「だからさー」


結局、彼らが根本からお互いの認識に食い違いがあったと気づいたのは、カイルがパソコンから出現して丸3時間経過した頃だった。
「…つまり俺は、アイツとの力のぶつけあいん時の衝撃で、アンタんちのパソコンってやつ? から出てきたってことか…」
「それしかないでしょ…」
信じられないが、自分の目で見た事実だ。
「…どうやって戻ろっか…」
「知らないよ、そんなの…」
心底途方に暮れた様子の彼を見て、恵美もまた、心の中で
(こっちが途方に暮れたいよ)
と呟いていた。
「とにかくさ、今日は泊めてあげる。ただし」
子犬のように目を輝かせたカイルを見て、恵美は釘を刺した。
「おっきな声出したり、私に変なことしようとしたりしたら、こっちの世界の警察に突き出すからね」
「わ、分かったよぅ」
しかし、それからも恵美は、「ベッドじゃないと眠れない」だの、「風呂に入りたい」だのいう彼に
数時間、振り回されることになる。


…続く。


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