夜桜お七





「ごめんなさいね」
「いえ、良いのよ。困ったときはお互い様だもの」
美香ちゃんの言葉に、私がそう言って笑っていられたのは一年前のこと。
大学へは私の家が近いからって、高校時代の友達でもある美香ちゃんは、私の家に
下宿することになったんだ。
幸いウチは下宿屋も兼ねている。だからお父さんもお母さんも、
「亜子が面倒見てあげなさい」
って言いながら、空いている一室を彼女に貸した。
彼女は基礎理学、私は家政学っていう学部の違いはあったけど、仲良くやっていける、そう信じてた。
いつも明るくて美人で、私より頭だって良くて…私の憧れの女の子だったんだもの。

桜も散り終わった前期授業半ば。 
「亜子ちゃーん…」
最初は心細げな声で、彼女は私を呼んだ。
「風邪引いちゃったみたい…」
「あ、大変じゃない! いいから寝てなさいよ」
慣れない下宿生活で、美香ちゃんは熱を出した。私は慌てて階下へ降りてこようとした彼女を部屋へ帰して、
おかゆを作ったの。
「ありがとう…こういう時に頼れるの、亜子ちゃんだけよ」
美香ちゃんはとても喜んでくれて、
「ううん、私が出来るのはこういうことだけだから」
私も単純に嬉しくて、そう答えていた。
今日は本当は、友達と一緒にショッピングへ行く予定だったのをキャンセルした。だけどキャンセルした
だけの甲斐はあった、心からそう思えた。

そして次の朝。
なんだか熱っぽい。どうやら美香ちゃんの風邪が伝染ったみたい。お父さんもお母さんも仕事にいってるから、
私は自分でふらふらしながら台所でおかゆを作る。
「あ、亜子ちゃん」
そこへ階段を降りてきた詩織ちゃんが、私を認めて言った。
「私の風邪、伝染しちゃったのかな。ごめんね」
「ううん。いいの」
私が無理に笑ったら、美香ちゃんは済まなさそうな顔をして、
「ごめんね。私、前から予定があって、クラスの男の子と遊びに行くんだ。ひょっとしたらカレに
なってくれるかも、なーんて、うふふ」
なんのためらいもなく笑って、玄関の扉を開けて出かけていった。

…それは去年の春のこと。
窓から入ってきた、咲き遅れた桜の花びらが、私が作っているおかゆのお鍋に入ろうとした。私はその花びらをつかみ、
レンジの炎へ投げ入れる。あっという間に小さな灰になって、それは風に吹かれてどこかへ消える。

「亜子ちゃん」
そしてそれから一年が経った。下宿の一斉掃除があるっていう春先。
美香ゃんは、廊下の掃き掃除をしていた私に声をかけてくる。
「どういう風に掃除したら良いのかな」
「あ、それはね…入っていい?」
「どうぞ」
彼女の部屋へ招き入れられて、私は驚いた。
一体前に掃除したのはいつなんだろう。布団はさすがに干されているものの、大学のレポートや
教科書なんかが畳の上に散乱している。
「…まず、この本なんかを片付けなくちゃ。それから、畳をお酢で拭いて」
私が内心、呆れているのを隠して言うと、
「私一人じゃ出来ないわ…」
美香ちゃんは、心底困ったように私を見る。
私はため息をつきながら、
「…手伝ってあげる。ほら、片付けて」
「ありがとう」
結局、美香ちゃんは「亜子ちゃんすごーい」「あ、ここ届かない」とかしゃべっているだけで、
ほとんど手を動かそうとしなかった。

…今年も三分咲きだった桜が、少しずつ満開になりかけている。
今夜は風が強い。だから地面に落ちた花びらを、私は箒でかきあつめながら火で燃やす。
ああ、掃除、しなきゃ。桜の花びらって、すぐに地面を汚すのだから。

そして思い出す。その、ほんの少し前の出来事を。
「あの、これ、受け取ってください!」
バレンタインに、一生懸命作ったチョコケーキ。不器用だけどラッピングまで自分でしたその箱を、
私は同じ講義を取るようになってから知り合って、ずっと好きだった男の子へ渡そうとした。
「あ、うん…」
戸惑いの返事をして、受け取るには受け取ってくれた彼。
だけど、彼と同じサークルに入っているという美香ちゃんは、それから3日後の夜教えてくれた。
「亜子ちゃんが渡したチョコケーキの箱、部室のロッカーの上に置きっぱなしに
なってるわよ」
…だから私は、彼の部室へ、部員の人に断わってからその箱を取りに行った。
これ以上、私の想いがさらしものになっているのに耐えられないから。

そして今。
「あ、やあ」
夕焼けに染まる頃、下宿の棟へあの彼が訪ねて来る。私を見ても気まずそうな顔一つせず。
「美香ちゃんならいるわよ」
「ありがとう」
それだけを答えて、私は掃き掃除を続ける。
分かってる。私は彼女よりも顔だって頭だってあまりよくない。スタイルだって言うまでもない。
けれど、
(人を想う気持ちだけは負けないつもりだったのにな…)
苦笑しながらため息を着いて、私は中庭に集めたゴミへ火をつけた。
…日が落ちて、風は一層強くなった。私が焚いた火の中で、花びらは燃えている。

「じゃあ亜子ちゃん。私達、これから彼の部屋へいくから…おじさんとおばさんには…ね?」
「分かってるわ」
しばらくして、美香ちゃんがそう言いながら、彼と一緒に出かけていく。
彼が住んでいるのは、出来たばかりのワンルームマンション。
「あ、ちょっと待って。これ、二人でどうぞ」
私は言って、私が作った紅茶を美香ちゃんへ押しつける。
「わあ、さすが亜子ちゃん! 私、こういうのホント、まるっきり出来ないから尊敬しちゃう!」
果たして彼女は喜んだ。
「亜子ちゃんって、本当に家庭的なのよね! ありがとう」
そして私は、私に背を向けて歩き去っていく二人の姿が痛くて、目を逸らす。
…そんな女がいいんだ。
自分の部屋の掃除も出来ない。知り合いが困っているときも自分の都合を優先させる。
知り合いが好きだったと分かっている男の子を、平気で連れてくる。
いつか彼女が言った。
「彼と亜子ちゃんとの件は終わってるもの。彼が私に限らず、他の女の子と付き合うことに
なったのと同じじゃない。それに私達が」
あっけらかんと笑って続けて、
「友達であることに変わりは無いでしょう?」
そんな女がいいんだ。
そんな低レベルの男が好きだった自分にも、私は苦笑する。

…花びらは、炎の中で燃えている。

いつの間にか私は、彼のワンルームマンションへ向かっている。
彼と美香ちゃん、一体どういう『話』をしているのかはしらないけど。なんとなく楽しくなって、
クスクス笑いながら、私は彼らのいる部屋へ行く。
私の手には、2Lのペットボトルに入れた灯油とマッチ。
そして美香ちゃんが持っている彼の部屋の鍵から作った複製の鍵。こういう大事なものを
雑然とした机の上に置きっぱなしだなんて、って、マスターキーで彼女の部屋に入ったときは
私はまた苦笑したものだ。
(…燃えるがいい)
彼の部屋に入ったら、二人は机の上に突っ伏していた。
(燃えろ)
私に、こんな思いをさせた貴方達、許さない。
紅茶の中に混ぜておいた睡眠薬で、ぐっすり眠っている彼らの体と絨毯に灯油を振り掛けて、
私はマッチを落とす。
幸せなまま、二人で逝けるなら本望でしょう。

…そして。
(…ああ、素敵)
夜桜って、綺麗ねえ。
消防車と救急車にすれ違いながら、私は家へ帰る。
(…夜桜って、こんなに綺麗だったのねえ)
暖かい春の夜の風に吹かれて私、やっと笑ってる。



FIN〜



著者後書き:大学時代の下宿体験を元に。静かに降り積もった狂気みたいなものを
淡々と描いてみた…つもりです。
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