魂像画
自分が言うまでもなく、僕は天才だ…まだ高校生だけど。
僕はそんな風に言われることなんてどうでもいいんだけど、皆が言うんだから事実なんだろう、と、
僕は思っていた。今だってそう思ってる。
だから、頼まれて絵を描くことだってしょっちゅうだった。だけど、あんなことがあってから、
よっぽどじゃないと人物画は引きうけないことにしているんだ。
なんでかって? それはね。
「…絵を描いてくれないかしら」
美術室にいたボクは、その声でカンパスから振り向いた。
そして、そんな風に声をかけられて、辺りが薄暗くなっていることにやっと気がついた。
美術部の他の部員達は、どうやらとっくに帰ってしまったらしい。秋の日はつるべ落とし、
っていうけど、本当だ。
(いつもながら、集中すると周りが見えなくなるよな)
僕は苦笑して、扉の所に佇んでいる彼女を改めて見る。
「…お願い、絵を描いて」
どうやら僕へ言っているらしい。少しだけ青ざめた顔で、目だけがギラギラ輝いて、
「私の絵を描いて欲しいの。実物よりも美人に」
繰り返す。胸の名札を示す色が緑…ということは、僕よりも1学年上、3年生の先輩なんだろう。
卒業の思い出にしたいのだと彼女は言った。
(見たこともない人だな)
僕の学校は、少子化だって騒がれている昨今にしては珍しく、生徒数が多い。
だから、僕だっていちいち人の顔を覚えちゃいないし、名前すら知らない人のほうが圧倒的だ。
(そんな人の一人なんだろう)
「僕もヒマじゃないんですが」
一応そう言ったんだ。実際僕は、秋の二科展を一ヵ月後に控える忙しい身だったし、これから
後片付けに入ろうと思っていたから。
だけど、彼女は僕の言葉を丸きり聞いちゃいなくて、
「描いて…お願いだから」
青ざめた顔を近づけてくるんだ。
…どうしたんだろう。
「分りました。引き受けます」
その迫力に押されて、ボクは頷いていた。
二科展があったんだけど、
(何とかなる…うん、何とかしなきゃ)
どうしても彼女の依頼を優先させなきゃならないような気がして、美術室に遅くまでこもって描き続けたんだ。
彼女が現れるのは、決まって部員達が皆いなくなった後。静まり返った部屋の中で、僕は彼女からもらった
彼女の写真と睨めっこしながら、カンパスへ木炭を必死に走らせたものだ。
「…まだ?」
だけど、決まって夕方の5時半になると、彼女は青ざめた顔で美術室に現れて、催促する。
絵は、デリケートなものなんだと僕は思っている。
まして、肖像画を描くのなら、その本人に相応しいものでなければならない。
「卒業までには出来ます。だから待ってください」
毎日毎日、なんど同じ答えを繰り返したろう。そしてその答えを聞くたびに、彼女は何も言わずに立ち去る。
彼女よりも美しく…でも、青ざめた顔の彼女を、どうやって美しく描ける?
彼女が微笑んでいるのは写真の中だけ。しかもそれは、さも「申し訳ない」といった風な、気弱な…
はっきり言って、魅力の欠片もない、そんな笑顔。
美しさっていうのは、内面からにじみ出て来るものだ。僕はそう信じている。
(それが欠片も感じられないなんて)
彼女が美人じゃなかった、っていうわけじゃない。なんというか…そう、表情。
絶望に覆われているようなそれを見て、僕は時々悪寒すら感じた。
だけどやっぱり、彼女は言うんだ。「この顔よりも美しく描け」と。
…ああ、描いた。鬼気迫るその迫力に気圧されて、僕はは描き続けた。
写真の彼女、現実の彼女、そのどちらよりも少しだけ美しく見えるように。だって僕は「プロ」だと
思っていたから。プロであるなら、依頼された以上は描き切るべきで、完成させるべきなんだ。
そして描き上がったちょうどその日。
僕が何も言わないのに、誰にも告げた覚えはないのに、
「出来たのね」
美術室の扉を開けて、彼女が顔を出した。いつも彼女が現れる時刻…夕方の五時半。
もう辺りはとっぷりと暮れていて、部員の姿もいつものようにない。
「は、はい…気に入っていただけるかどうか分からないけど」
戸惑いながら僕が言うと、
「…素敵ね。頂いていくわ」
「あ、待って!」
僕の絵を眺めていた彼女は、いきなり横から手を出してそれを小脇に抱え、どこへともなく歩いていく。
放っておけばいいものを、僕は何故かその後を上履きのままで追いかけていた。
不思議なことに、いつもならグラウンドで活動している運動部の生徒達の姿は一人もなくて、
遅くまで活動している文化部の連中と一人や二人、すれ違うはずの道にも誰もいない。
つまりその時、僕と彼女の周りには誰もいなかったのだ。ただ、ボクと彼女をつなぐように道があるだけ。
彼女の姿を見失わないように、追いかけて…いつもなら明かりが灯るはずの教室も、その日は暗いまま。
彼女の後姿だけが、ぼうっと浮かび上がったような暗闇の中、学校の裏庭の雑木林まで歩いていくと、
(あ、あれ?)
不意に、彼女の姿がとある木の裏で消えた。きょろきょろ辺りを見回していると、
『ありがとう。これで私も心置きなく』
そこから、声が聞こえてくる。
『貴方だけだったわね。私に気付いてくれたの…』
地を這うような声、とはこのことを言うんじゃないだろうか。そこでようやく我に帰って、僕は肌に
粟粒を立てた。
紛れもなく、彼女はボクが後をついてきていることを知っていたのだ。
恐る恐る覗きこんで…情けないけどボクは腰を抜かした。
雑木林の奥の奥、ちょっと見たところでは全然分らないところに…木の枝からぶらさがっている、
半ば白骨化しかけた彼女を見つけたんだから。
そこで僕の足は、僕の意思に関係なく、すっくとばかりに立った。
ようやく出すことの出来た悲鳴を、恥も外聞もなく上げながら、
(人のいるところへ、とにかく、人のいるところへ…!)
僕は一生懸命走った。もうここにはいたくない。後ろを振り返ったら、彼女に捕まってしまうような、
そんなたまらない恐怖感に襲われながら。
それから学校は、大騒ぎになった。
事情を聞かれても、僕に何が言えたろう。
ただ発見した時のことを警察や校長が居並ぶ前で言って、それ以上のことは…話せない。
言ったって信じちゃくれないだろう。
彼女は、僕よりも10年も先輩だった。友達が出来ないことを苦にして自殺してしまったのだという
彼女の「遺体」は、カラスにつつかれたり、虫に食われたりして悲惨な有様だったという。
(一瞬しか見なくて幸いだった)
警察の人の取調べに応じながら、悪いけど僕はそう思っていた。かなりお腹も減っていたはずなのに、
食欲も一気に吹き飛んで、おまけに
(わ、もうこんな時間か)
もう夜の八時だっていうのに、僕はなかなか解放されない。クタクタに疲れ果てて、
とにかく一旦、美術室へ戻らせてもらう許可をもらって戻ってきたら、
(…なんで)
彼女が「その場所」へ持っていったかと思ったのに、あの絵はいつのまにか美術室に戻っている。
僕が描いていたその場所で、イーゼルにかけられて。
それ以上その絵をかけっぱなしにしておくのに忍びず、僕は他の絵と同じように布をかけて、
絶対見られないように厳重に紐をかけて…他の絵の一番下へしまった。
この絵は、絶対に他の人に見せちゃいけない。
(燃やしてしまおうか)
紐でぐるぐる巻きにしている間、何度そう考えたろう。だけど、そのたびに、彼女の声が
『お願い…燃やさないで』
直接頭の中に響いて、そのたびにズキズキ痛むから諦めたんだ。やっと学校の生徒に気付いてもらえた
彼女は、このままずっと、彼女の存在を知っておいて欲しいんだって、そう思って。
ようやく僕が、パトカーで送ってもらって家に帰してもらえたのは、夜中過ぎだった。
そして翌日、まるきり眠ることが出来なくて、痛む頭を振り振り学校へやってくると、
やっぱり気になるのはあの絵のこと。
美術室へ入って、僕は思わず立ちすくんだ。
「何をやってるんだ!」
「あら、だって」
女子部員の一人が、せっかく僕が「封印」していたその絵を、わざわざ紐を解いて美術室の
ロッカーの上へ飾っている。
「すぐに戻せ! これはダメだって!」
「だ、だって、こんなに素敵な絵なんだもの。この絵の人だって、こんなに素敵に微笑ってるんだし、
そんなに怒らなくたって」
昨日の「ニュース」は知っているはずなのに、恐らく好奇心に負けたんだろう。彼女は僕の剣幕に口を尖らせて、
「分ったわよぉ」
それでも僕がやっていたように、その絵へ布をかけ、紐を巻き始める。
彼女から、「封印しなおした」その絵をひったくるようにして、元の場所へ戻しながら、その時僕は、
とんでもなく不吉な予感に囚われていた。
そしてその予感は、不幸にも的中してしまったんだ。
絵の「封印」を解いた女子部員は、学校からの帰り道、何を思ったのか踏み切りの遮断機をくぐって、
線路の中へ入ったらしい。
周りの人が止める間もない、一瞬の出来事だったそうだ。
だから、僕は先輩、後輩を問わず部員の人に言い含めている。
「一番下に置いてある、あの絵を見ちゃダメだよ。どんな不幸が襲い掛かっても知らないよ」
…それにも関わらず、毎年、その絵は一度は封印を解かれて美術室に飾られた。
そしてその日は必ず、学校の生徒の誰かが不幸な事故に遭う。
そんな時、僕は必ず、
『友達…また増えたわ』
僕の頭の隅で密かに笑う、そんな声を聞く。
僕が「生きていられる」のは、きっと彼女なりの「お礼」なのだろう。
だけど、僕はその笑い声を聞くたび、ため息と一緒につくづく思うのだ。
(もう肖像画は二度と描かない)
…美術室に、二度と夜遅くまで残るまい、と。「天才」も、あの世の人からの依頼の前には形無しだから。
FIN〜
著者後書き:蒸し暑い夏を何とか乗り切ろう企画第三弾。心を込めて描いた絵、または
天才と呼ばれた人が描いた絵には、魂が宿るのではないかと思います。だから、肖像画ではなく、魂像画。
真夜中の美術館なんて、だから怖くてよう行けませんよ私。(2009年6月29日謹製)
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